山田菊『八景』第三部「京都」(前半)
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東海道
それは百年来の街道だ、侍たちを従えて漆塗の行列が通る。天皇の京都から将軍の江戸へと至る動脈であり、広重が絵にしている。
最初の道程を富士が睥睨している、富士、神道的な白無垢に包まれ、日本の景色を司る偉大な神官、崇高な静寂、峻厳な不動、この国の辻々で旅行者が巨大な里程標としている。
往時と同じく、もぐら塚の野原一面に稲叢が立つ。鴉雀が飛びたつ。葉蔭に艶めく蜜柑、早雪の斜面に散りばめられた野菊。生気の衰えとともに木々が紅葉する。変わらぬ四季のめぐりである。
谷間に威容を隠すと、富士は雲のかかった山でしかなくなる。
わが喜びに暮れゆく夕べ、わが悲しみに暮れゆく夕べ、赤らむ頂を撫でる光、地平線の向こうの空へ滑ってゆく日よ!等しい長さで続く日々、その調和の取れた循環に、わたしも従う。
雪の山々が夕闇に溶けこむ、ああ日々が山肌を登って、われわれの人生をゆっくりと少しだけ後ろへ押しやるのだ。
13世紀の南禅寺にて
姿ざかりの楓の上で枝を低くする大松、その厳しさが身を傾げるさまに、わたしは愛の身振りのようだと心打たれた。
そうした木々の茂る境内に、南禅寺は「竜の門」〔天下竜門と称される南禅寺三門のこと〕を開いている。噴水台の周りに竜が絡みついている。お堂の天井では竜がとぐろを巻き、不安げな上目づかいで迫ってくる。盗賊石川五右衛門も、この同じ柱ごしに、同じまなざしを受けたに違いない。
松の大木の枝ぶりが、わたしにどのような優しさを注いでいるは分からない。わたしは都を捨てて先祖から逃げたのかも知れず、だから先祖の愛情がどうやって追いかけてきてわたしの弱さを包みこんでくれるのか知らないが、巨大な門の向こうに、水と赤土の匂いに包まれた亀山天皇の離宮を見つけた。御陵の近くの山中では、剃髪した尼僧たちを見た。かつて権門にあった北条家の寺院で、武人道真に由緒を持つ鐘の音を聴いた〔誤解があるようだが何のことか不明。北条は南禅寺方丈のことか〕。
滝の低い囁きに鐘の音が溶けこむ。心が震え、生きることのみに感覚が集中する。
琵琶湖の水が水路閣の中で楽器のようにせせらぐ……
南禅寺の端正な音と心地よい姿は、京都でわたしを和ませた。籠に果物を入れて熟した秋色で一杯にした柿売りを眺めるひとたちの何とゆったりとしたことよ。
やわらかな寛容の陽ざしが南禅寺の全てを照らしている。
摩利支天堂
残忍な雄略天皇の狩った獣のごとく、御影石の猪が2匹、入口で跳ねている。
皮や紙の灯篭が庇に吊られている。つつじに縁どられた池は、岸辺に菖蒲が生えている。たいそう古い庭には、地面から突き出たような墓地と、一軒の茶屋が建っている。
雄略天皇の気性を和らげる術を知っていた皇后の計らいで、この地に石の猪が置かれたのだ〔実際には、摩利支天の神使が猪だからで、雄略天皇の葛城山での猪狩りとは関係ない〕。
慈悲の心に満たされて外へ出れば、背中に灯篭がぶつかっても、そっと撫でられたようなものだ。
永観堂
幾つもの夜を浸して青緑色になった池の水面に、楓の葉が映って揺らめく。
りんごのような赤色の広がり、小川に沿って整然とした灯篭、しばし藁屑にくっついて膨らむ泡。みな緋毛氈に座って、静かに物思いに耽る。
この茶色い木でできた寺院は、気だるさと阿片の匂いを振りまいている。薄暗がりに、金属の灯篭と固まった滝のような金色の瓔珞が、頭上に吊り下がっている。
閉じた経典が書見台に置かれている。鯉の形をした木の太鼓もある。金色の飾りで溢れているところに、秘教が折り畳まれている。
わたしは引き返す。門を額縁に紅葉の垂幕が輝いている。風が吹くと、垂幕は光に枝をうねらせ、灯篭や荘厳具は夜に渦巻くだろう。わたしの中でも煌びやかな夢が竜巻となって、渦に合わさる。
去り際に、登高座を守る彩色された衝立と、炎の山となって遠ざかる楓の葉が見える。
すぐ近くには絵師や学者たちが隠棲している。藁葺の小堂が、金属の天蓋の下で、死者に捧げる金と炎の雨を浴びている。ただ思念のみが壮大に違いない。木の葉が地面に散らばる。波打際の海星のようだ。
藁葺の小堂にすぎなくとも、中には重々しくひしめく金色の荘厳具が渦巻いている!
くつろぎの安楽寺
そのゆったりとした道を歩くまで、わたしは楓が菫色になることを知らなかった。
蜜柑や梅、竹、松、芭蕉に覆われた藝術の茅屋に住んでいるのは、いったい誰なのか?
そこでは全てが孤立し、静まりかえっている。収穫を終えた田圃の只中にある寺、岩の間を流れる水、飛び交う鵟は孤独を嘆くかのように鳴いている。
けれども京都の空は正午、寺々が靄ごしに大屋根を聳え立たせている。都は薫物の香りに浸る。紅葉の炎の蔭で白椿が雪のようだ。
わたしは鳥につられて嘆きの声を上げそうになった。だが安楽寺の静寂がそれを押し戻した。
憂きことの
なほこの上に
積もれかし
限りある身の
力ためさん
細川〔正しくは熊沢蕃山の歌〕
師範の家
菊が中庭に飾られている、家の外に出ることのない奥方のように。
家には洋室が何部屋かあり、家具や絵で一杯になっている。白熊の上に黒いピアノが置かれている。唐様の部屋には鮮やかな色の彫刻や装飾が施されている。師範はそこに住んでいる。夫人は折畳式の寝台の一角に横たわり、類稀なる知性と明晰な判断力をもって瞑想している。
和室はいくつもの部屋がつながっており、使われるのは夜だ、風変わりな装飾品が置かれ、電気暖房がつく。雪と風が舞う。贅を凝らしても雪や風を締め出すことはできないのだ。
わたしは庭の高台の茶屋が好きだった。日の光が平場から昇ってくる。中国段通に座り、古い茶碗をもてあそびながら、同席の客たちは丘を眺めている、白や紅の化粧をした舞妓と、喇叭のように裾の広がった着物の藝者だ。わたしも一緒に、やわらかく甘い茶菓子をいただいた。しとやかな京都弁で、所作は慎ましく、称賛されてしかるべき洗練された様子に見惚れてしまった。
気忙しさと無縁の茶会のあと、今度はわたしの番とばかりに向かったのは、景色と合戦を模した踊りを見ながらフランスワインを飲むという会だった。宴席では皆が煙草を吹かし、酒を飲み、談笑し、踊り子たちが客をまわって跪き、庭には青銅の火鉢が7つ、木々と池を照らしている。
わたしは露台に出た。水面に金髪が煌いていた。ああ!冷たい夜にも、暗がりにまぎれた楓が、ふいに赤や緑や黄を溢れさせる、何と鮮やかな流れだろう。混ざり合うことのない剥き出しの明るさ、秋を祝って一日じゅう続いた宴もたけなわだ、わたしは飲み干した!
ゆらめく黄金は、闇にも水にも勝る生気として、わたしの中へ入っていった。
知恩院の僧堂
枝を高く伸ばす松、低く這わす松、知恩院。松葉が黄金の雨のようにぱらぱらと降り、くすんだ土の上で栄光と歓喜のかけらとなって輝く、その対比を哀愁とともに書きとめ、わたしは自分の幸せを数える!
武者を祀る八坂の社の、すべすべとした藁屋根は、大きな両翼を広げたようだ、そこに一羽の土鳩がのったりと降りてくる。
跳橋のように蔀が上がっている、四角や六角の灯籠がしまわれているらしい。こんな埃っぽい部屋に住まう神などおるまいと素通りされている。皆が拝みにゆくのは地上の美なのだ。
二層になった巨大な門から入ると、1633年に鋳造された74トンの大梵鐘が、かろうじて持ち上げられている。石畳の小路が松の下をゆく。木々は片側だけ枝を長く伸ばし、松葉で屋根を作っている。あらゆる仕草が小路へと向けられており、わたしの全神経は歩みに集中する。美しい緑と、頭上に伸びる美しい赤枝の中を昇ってゆく。
厳しくも優しい調和が、わたしの心の奥底に加わった。
清水
清らかな水の寺
磁器の陳列されている中を歩く、石は雑多な色の磨かれた川砂利だ。青磁、割れた黄色い碗、九谷、清水焼、粟田焼が、青や白の磁器、どぎつく艶出しされた磁器と混ざっている。どの店も花々や化粧板や美術品で飾られている。壁は黄色い土だ。
魂に少しばかり不安のある人生にとって必要な品々なのだ。離俗の喜びや余暇からなる藝術のある人生を、わたしは愛おしく心置きなく眺める。
清水、その広く高い舞台から、信徒が虚空へと身を投げる。
わたしはというと、京都の澄んだ空や霧深い山を見つめる。峡谷の上が金色の小道となっており、恋人たちは物言わず佇む。
地面から生えたこの寺を、いつ再訪できるだろう?寺は松や楓とともに東の山から生えている。木々は生まれ変わるが、古い寺は何百年も建ったままだ。
東山の裾には詰めかけるように聖域がひしめいている、お狐さま、観音、祇園の灯と歓楽街、窯元の街、楠の公園、そしてわたしに昂奮と疲労、驚嘆と食傷が押し寄せる。
快と不快がぶつかり合い、緑青の光と夜の影によって、人いきれの東山は、わたしの中で調和を成すまでになった!
とはいえ、幾昼夜か経つうちに、疲れた寺のような心持ちを求めることはなくなっていった。
神は、現世の陶酔に浸る人間のために、木々の返り咲く生気、生い茂る葉の調和を与えたのではなかった。
広く高い舞台、清水から、信徒が虚空へと身を投げる!
目覚め
京都、のんびりとした鐘の音に微睡み、そぼ降る雨とたまの晴れ間に目覚める、日本の中心。
南禅寺の鐘は、代わり映えのしない日々から、わたしを目覚めさせる。
何日か泊まった家の、ある晩のことを思い出す。
思ふその
暁ちぎる
はじめぞと
まつ聞く三井の
入あいの鐘
小部屋に着くと、女友達が鏡を前にして栴檀の櫛で長い髪を梳かす。
わたしも一緒に水白粉をつける。筆を舐めて紫の頬紅をつけ、唇を彩る。
それにしても易々と服を脱ぐものだ。半脱ぎになると、フジタの絵の見事な写しが現われる。赤い腰巻に子どもがぶら下がる。女友達は驚き、笑いながら言う。お父さんそっくり!鐘が聞こえるでしょう!もう夜は終わり。お母さんを放して。
わたしは服を脱ぐことも笑うこともなかった。南禅寺の鐘は、わたしには別様に響いた。
(訳:加藤一輝/近藤 梓)
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