山田菊『八景』第二部「東京」(後半)
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公園
芝
齢千年の墳丘の上に、鳩小屋の軒を積み重ねたような多層の仏塔〔増上寺五重塔〕が建っている。
おお!仏塔の法悦のような、長夜の深い眠りよ!
Oh ! dormir d'un sommeil aussi profond
Que l'extase de la pagode
Durant une nuit longue ! ...
〔原句不明〕
森から頭を覗かせ、車や市電のうなりにも泰然としている。金の宝珠が寺社の緑の軒並を睥睨している。厳めしい軒端が月下に伸びる。
足元では、技藝の女神、弁天の蓮に小川が流れ込んでいる。冬には流れが止まる。すると地面が現われ、霜柱が突き出す。足の下で砕け、ガラスのように割れる。
冬は黙想の季節、おまけの季節だ。
晩に霧の小路をリムジンの赤い前照灯や人力車の小走りが通りすぎるのみである。松の大木の下に電灯で煌々と照らされた玄関、楓会館〔紅葉館〕だ。
藝者が踊る、街灯の火のように。
春になって、再び芝公園を訪ねる。梅の下を下駄が連れ立ってゆく。
なめらかな色の階調に目を浸すが、ひとつにまとめることはできない、香りのせいだろうか。曲がりくねった枝に花が咲き、色の言葉を散らす。
芝はとても古いが、シンコペーションのようだ。昔の壁が現代的な建物で急に断ち切られ、赤い柱廊は今や耽美主義者の家しか囲んでいない。
通りには、松の築地塀で、腰がうろこ状になった美しい屋根が、ゆったりと過ぎてゆく……
そこには歴代の君主たちがいる、三百年前に埋葬され、朱と煤で覆われている。
朱漆の巨大な惣門、重厚な楽園の入口が、鈍い光沢で直立している。
車道は物欲しげな刃のごとく、門に車や軌道や電線網を刻みつけている。
その向こうには作業場がある。楽園はいつも修復中なのだ。
祖先のうちふたりは日光に眠っている、輝く名所、今でも往時と変わらず見事なところだ。ほかに6人が東京のもう一方の端、上野公園に祀られている。
芝には正室たちのほか、18世紀の側室も一緒に眠っている。
日本の土壌が慎ましく育むのは、稲藁や、なめらかな幹をした楓である。大君はそれでもって神々を喜ばせる。しかし将軍は、彩色された彫刻や装飾された板、漆や金属や象嵌で細工された天井や柱を作り出す。
とはいえ、いくら厳めしい石灯籠が入口から霊廟まで並べられていても、君主たちの亡骸は、ただ御影石と青銅の下に眠っているだけだ。
風雨が貞淑な人間のごとく吐息と涙で墓を包むと、堂々たる大公といえども日本人であるからには無視して通り過ぎることはできまい。
上野
写真家が薄紅色の初蕾を狙っている、桜は太陽のほうへと枝を伸ばす……
救世軍の少佐が大声を張り上げて酒に反対する演説をしている……
音楽学校や美術学校の学生たちが池の周りを歩いて校舎へと登ってゆく。音楽学校の学生はベートーヴェンとヴァグナーを演奏し、美術学校の学生は裸体を晒してくれるモデルを見つけるべく苦労している。
広場には野外酒場や将軍の墓があり、その間に青銅の仏像や鐘がある……
鐘の向こうに梅が咲く、そこには春が来たのだろうか
Prunier en fleur derrière la cloche...
On ne sait pas que le printemps est là.
芭蕉〔原句不明〕
この庶民的な大公園には、血と炎が刻印されているだろう。半世紀前には将軍派と尊皇派が戦った。3年前には大火に焼き払われた地区から逃げてきたひとたちが焦熱地獄に巻かれた。浅草の高楼〔凌雲閣〕は崩れた。死ぬまいとするひとたちが温くなった運河の水に飛び込んだ。
だが、全ては終わったことだ。上野では旗飾りの下で美術展が再開され、動物園ではロバと鎖に繋がれた可哀そうな象が憐憫を誘っている。
蓮の花や、囚われた手のようにそよぐ葉の上で、ひとびとは憩い、食べる。ヨーロッパめかしてヴェルレーヌを祝う。一本調子の日本語で読まれた訳詩は、蓮畑の嘆きのようだった。
シャンペンサイダーとサッポロビールが藤棚の下で飛び交っている。
小島には小さな聖堂と食事処があり、香と醤油の匂いが漂っている。
蓮は小さくなり、消えてゆく。生き延びるにはこの池と島が必要だったのだ。
枝なくて
世にかゝはらぬ
蓮かな
芭蕉
日比谷
近代的な公園、柵で囲われ、砂利が敷かれている。軍楽隊のための野外音楽堂、皇后臨席のもと赤十字大会を開く際に天幕を張るための乾いた地面が必要なのだ。
東京の名高い火消したちが、風向計のような竿のてっぺんで肌を脱ぐ。また、デモ隊が集まって提灯行列を作ることもある。
日比谷は白や薔薇色の建物に面している、外壁の窪んだものは震災後にダイナマイトで爆破せねばならなかった。
ビザンツ様式の屋敷のテラスから公園が見下ろせる。帝国ホテルだ、金をはじめ様々に彩色された石造りの内装は一切の柔らかさを排している。
けれどもわたしは、池でつがいになって立っているコウノトリの灰色の翼に守られて、詩人が身を隠す片隅を知っている。
燃え盛るツツジが這い伸びて、滝に迫ってきたとき、ふたりでそこを訪れたら、花の白さや赤さに気づかないことがあろうか?
11月――ふいに葦簀の村が現われる、戸口の大きく開いた藁葺小屋、店々の前掛け、高級な壁布。寒くなってきた夜に漂う緑の匂い。
菊が並べられ、花びらが揺れ、縁台に庭ができる。
村百戸
菊なき門も
見えぬ哉
蕪村
高貴な花は、切られて土に挿されるのではなく、牛車で運ばれてきて野外に並ぶ。
縁台の上に香り立つ繊細な色の滝ができる。
こちらでは、巨大な鉢に300や500の花が、ひとつの根元から整然と伸び、一斉に見頃を迎えている。
あちらでは、針金細工を後光に背負った花が、聖者の名を附されるごとく素晴らしい号を与えられ、一輪で咲いている。
そして粘土で作られた風景、正確に縮小され、一握の砂で区切られた一望に収まる地平線。
いらっしゃい、そして鼻が凍ったらまだらな空の下をお帰りなさい。茣蓙の上には熱を保つ火鉢がある、――灰の中に炭が一片あれば充分だと分かるだろう。
青山霊園
我死ぬ家
柿の木ありて
花野見ゆ
中塚〔一碧楼〕
フランス人の母がわたしに「日本で死にたい」と言った。穏やかに言う母の灰色の目には生き生きとした優しい光が灯っていた、その様子には今でも驚かされる、母は日本人ではないからだ。
日本で死ぬ……老人にとって苦しいことは何もない。長寿を迎えたひとには恩賜の杯が贈られる。落成した橋を最初に渡るのは老夫婦だ。誕生日には赤子のように赤い服を着せられる。ご隠居さま……名誉ある退役者、そう社会から呼ばれ、歌人は詠う。
コオロギよ、声を抑えよ、老人の浅い眠りを乱してしまう!
O grillon, chante doucement, chante moins fort :
Ton cri trouble le sommeil léger des vieillards !
〔原句不明〕
老夫婦のために、仏壇の前には音を立てるやかんが置かれている。嫁や娘が肩を揉んでくれる。
亡くなると位牌の前には抹香や常夜灯や花や供物が捧げられる。
墓地の小道が草むすことはない。忌日にはごちそうで故人を偲ぶ盛大な宴会が催される。
青山霊園、この桜咲く広大な公園では、悲しくならない。あるクリスマスの晩、白髭の宣教師のためにメルカダンテのミサ曲を歌うことになっていたのだが、遅れてしまった。雪が墓石を包んでいた。天へと奉挙される銀色の見事な聖体が、松の大木を映していた。千もの死者が、キリスト教の夜に仏教的な厳かさを放っていた。
昼間は、この霊園は深緑の境内となる。それぞれの石には表意文字が太古の記号を刻んでいる。遺骨は産まれる前の姿勢にうずくまって眠る。死者は永遠の世界へと生まれていったのだ。
鳥辺山(火葬場である)
谷に煙の
燃え立たば
はかなく見えし
われと知らなむ
和泉〔菅原孝標女『更級日記』「源氏の五十余巻」に引かれた、『拾遺集』「巻二十:哀傷」の読人知らずの歌〕
郊外
堀切
かつては将軍の菖蒲園だった。刃のような緑の葉の中に、女の鬘のような花が立ち、花びらを垂らしている。わたしは侍と遊女が一緒に集まっているさまを思い浮かべる。
ジグザグの板、古典的な菖蒲池である。八ッ橋という。その下を蛙がくぐり、蚊の大群を散らす。
公園を出ると、わたしは道に迷った。芝生の両堤の間を流れる隅田川に沿って、工場の建物を目印にしながら歩いた。
すると再び街に出た。浅草の仲見世だ、慈悲の女神〔観音〕の鐘が、空っぽの提灯を震わせる。
歌劇場、『ファウスト』〔いわゆる「浅草オペラ」のことか〕、力士、映画、噺家、商店、男の子宝や安産の祈願、子どもの守り神である地蔵の首のよだれ掛け、そういったものを通り過ぎる。
わたしは閑静な新興地区に出た。
門口に柳が揺れていた。門は開け放たれていた。番台では絹の着物を着た男が大きな台帳を抱えていた。
艶のある茣蓙だ。素っ気ない木造で、どれもそっくりの、静かな家が並んでいた。
美しいガラス窓のところで、わたしは額入りの写真に見入った。
写真には実寸大の女性が写っており、真面目な顔つきで、手には新婦のごとく長くて重い礼式用の着物を持っていた。
立派な写真館の並ぶ通りだと思ってしまった。
そこは東京の吉原だった。
高尾
高尾へ行くとき、わたしは矢来を越えただろうか?八王子では端正な板張の屋敷が通りに並んでいる。火災から復興したため町全体が新しく〔1897年の八王子大火〕、桑の木に囲まれている。屋根の下では蚕が糸を紡ぎ、糸車がほぐし取っている。
折目ただしい産業の街、八王子、ここは巨大な紡績機だ。街道が美しい生糸のように伸びている。
山頂の杉林を目指し、椿を摘みながら小道をよじ登る。
先端まで寄進者の名前が書かれた柱を立て直してはいけない。どの木も捧げものだ。
この山は不動という輝く王〔明王の直訳か〕、炎を纏った動かぬ神に捧げられている。シヴァ神の伝来で、悪を遠ざける剣と縛る索を持っている。
翼の生えた賢者、天狗が枝から飛び立つ。知恵と教訓、そして長い鼻の持ち主だ。
初めて日本に来た外国人のことだと言う者もいる。
滝の下で裸の男たちが頭を突き出している。水が気の迷いを祓うのだ。
成田
寺院が屋根の重々しい翼をふたつの広場の上に広げている。中庭では鳩がざわめき、急に飛び立つ音は扇を開いたときのようだ。
そこでは10世紀も昔の勝利が祝われている。厳かな聖域に大きな火柱がうねる。黄金のなめらかな錦を着た坊主が、ゆっくりと扇ぐ。掛物菓子〔ドラジェ〕のように頭を剃った若い助祭たちが並んで詠唱する。横笛と炎が揺れる。
狐憑きが治るだろう。
笛の震えを耳に残し、炎の猛りを目に焼きつけ、わたしは寺を出て宿へ向かう。玄関先から女将たちが鋭い声をかけてくる。いらっしゃい!そして飼い慣らされた鳩のようにお辞儀する。
開いた障子から、屋根や看板や提灯が雑然として、鳥が飛んではぶつかるのが見える。
将棋を指したり絵や文字を書いたりしている賢者が壁に描かれている。
大勢の人物が森の中を動き、岩の間には青銅の小像が立っている。成田には聖人も罪人もたくさんいる。役者は参拝に来ているが、子どもは気ままに遊んでいる。
伝承――甕割り 子どもが大きな水甕に落ちた。どうしよう?一番の知恵者が小石で甕を割った。
学校の教科書では、この若き司馬温公の機知を教えている〔司馬温公の甕割り〕。
成田の伝統は占術である。門前に多くの占い師が店を構える。筮竹を使って予言する者もいれば髑髏で占う者もいる。
わたしには大旅行のお告げが出た。
多摩川
恋人は明日には帰ってくるだろうか?多摩川をゆく波のような恋人よ
L'amant qui promit de revenir demain ?
Il ressemble à la vague
Glissant sur la Tamagawa.
〔原句不明〕
ある夏の晩、ゴルフ倶楽部をすっぽかし、自動車で竹林や田圃を抜けた。前照灯が飛び交う蛍をかき消した。
川面に係留された舟はがらんどうだ。歩いている者は一日じゅう鵜飼をしており、滑ってゆく水の上の堤で獲物を食べている。
「玉の川」と呼ばれるほどに水が澄んでいる。美しい小石は庭の飾りにも柳の梁簀の重石にもなる。
わたしは多摩川で「火中の栗を拾わせる〔猿にそそのかされた猫が囲炉裏の栗を取るが、猫は火傷をしただけで栗は猿に食べられてしまった、というラ・フォンテーヌの寓話から〕」が「鵜に魚を取らせる」と訳せることを学んだ。
目黒
訳せば「黒い目」。この穏やかな村で、わたしは筍飯と栗飯、つまり春と秋の旬のものを食べたことがある。
ある寺の上を、そう、比翼、つまりつがいの鳥が、片翼を共有し決して離れないほど深く愛しあって飛んでいる〔目黒不動の比翼塚〕。
木々の下で坊主が片肌を脱いで弓を引いている、林の中に不吉な穴熊がいるのだ。
目黒の庭師が、わたしのために、様々な色合いの朝顔、芝生、白くて香りのしない菫を植えてくれた。冬の夜には、腰に鈴をつけ木綿の白衣を着た行者が、わたしの目を覚まさせる。凍るような滝水を求めて寺に来るのだ、冷たい水垢離は「黒い目」の村全体を清める。
けれども、お兄さん、あなたは馬券なしの競馬やオートレースのために行くのでしょう〔目黒競馬場のこと。1923年の旧競馬法成立まで馬券の発売は禁止されていた〕。
(訳:加藤一輝/近藤 梓)
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