グザヴィエ・ド・メーストル「アオスタ市の癩病者」冒頭

【原題:Le Lépreux de la Cité d'Aoste】
【グザヴィエ・ド・メーストルは、フランス革命下に自室を旅したという独創的な随筆「部屋をめぐる旅」(続編「部屋をめぐる夜の遠征」)で有名ですが、ほかに短かい小説を三つ書いており、イタリアからロシアまでヨーロッパ各地を漂泊したグザヴィエ自身が各地で体験したことを元にしていると思われます。タイトルの「アオスタ市」は、広い意味でのアオスタ地域(ヴァッレ・ダオスタ)ではなくアオスタの市街地を指し、舞台となった「癩病者の塔」は現在もアオスタ駅ちかくに残っています。原典はŒuvres complètes du comte Xavier de Maistre (Nouvelle édition), 1866を使用しました。〔〕は訳註です】

ああ!考えもしないのだ、陽気で奔放で高慢な、
快楽と力と富に囲まれた者たちは……
ああ!考えもしないのだ、彼らが踊っているときに……
どれほど多くの者が苦しんでいるか?……辛酸を舐めて
いることか!……どれほど多くの者が
あらゆる心痛に打ち震えていることか!
(トムソン『四季』より「冬」)
〔エピグラフは原文英語〕

アオスタ市の南部はほとんど無人境で、かつて賑わっていた様子もない。耕地と草原が見られ、草原の片方の端はローマ人が城郭として築いた古代の塁壁、もう片方の端はいくつか庭園のある城壁となっている。だが、この人里離れた土地は、旅人の興味を惹くだろう。城門の傍には古城の廃墟があり、民俗伝承を信じるならば、十五世紀にルネ・ド・シャラン伯爵が嫉妬に狂って妻のマリー・ド・ブラガンス妃を城の中で餓死させたという。それで土地の者たちは、その城をブラマファン(「飢餓の叫び」という意味だ)と名づけた。この逸話は、信憑性を疑うこともできるが、本当だと信じる感性豊かなひとにとっては、廃屋に興を添えるものだ。

その向こう、数百歩先のところに、古い城壁を背にして、かつて壁を覆っていたのと同じ大理石で造られた四角い塔がある。それは「恐怖の塔」と呼ばれている、幽霊が棲むと長いこと信じられてきたからだ。アオスタ市の老婆たちは、闇夜に大きな白い女がランプを手に塔から出てくるのを見た、と確かに覚えているのだ。

15年ほど前、塔は政府の命令により修復されて壁で囲われた、癩病者をひとり住まわせ、その悲惨な境遇でも可能なあらゆる娯楽を提供しつつ、社会から隔離するためだ。聖マウリツィオ〔サヴォイア家の聖マウリツィオ騎士団のこと〕の施療院が世話役となり、癩病者には家具とともに庭を耕すための道具がいくつか与えられた。癩病者は久しく前からそこに独りで住まい、ときどき宗教的な救いを授けに来る司祭と、週ごとに施療院から食糧を持ってくる者の他には、誰とも会わなかった。――1797年のアルプス戦役の際、アオスタ市にいた軍人が、ある日たまたま癩病者の庭の近くを通りかかったとき、門が少し開いているのに気づき、入ってみようという気になった。軍人は、質素な服を着た男がひとり、木にもたれて深い瞑想に耽っているのを見つけた。士官の入ってきた物音に、孤独な男は振り返ったり目を向けたりはせず、悲しげな声で叫んだ。「どちら様ですか、わたしに何の御用ですか?」「よそ者をお許しください、あなたの庭がうるわしく見えたもので、無礼をはたらいてしまったかもしれません、しかし邪魔するつもりはないのです」と軍人は答えた。塔の住人は手を振って言った。「駄目です、進んではいけません、あなたは癩病に冒された不幸な人間の近くにいるのです」「あなたの病気がどんなものであっても避けはしません、わたしは今まで不幸な方から逃げたことはないのです。ただ、ここにいると煩わしく思われるようでしたら、すぐに帰りますが」と旅人は答えた。

――すると癩病者は「ようこそ、いらっしゃい」と言って、やにわに向き直った。「いてもよいですよ、わたしを見てもなお留まろうというのであれば」軍人は、癩病によってすっかり醜くなってしまった不幸者の姿に、しばらく驚きと恐ろしさで動けなかった。そして「是非ここにおります、偶然ここに導かれ、しかし確かな好意によって留まっている者の訪問をお許しくださるのであれば」と伝えた。

〔このあと軍人と癩病者の対話が続きます〕

〔訳者の確認した限り、以下の既訳があるようです。
高橋常陸坊「惡因緣」、『忍ぶ草』第45號(元『智徳會雜誌』からの通号)、智徳會、明治31(1898)年
鷲尾猛「アオストの孤獨者」、『開拓者』第11巻第5號、日本基督教青年會同盟、大正5(1916)年
陸奧廣吉『アオスト町の癩病者』、雨潤會、大正8(1919)年
田沼利男「悲しき癩病者との對話」、『女性改造』第3巻第5號、改造社、大正13(1924)年
山内義雄「アオストの天刑病者」、『世界短篇小説大系 仏蘭西篇 上』、近代社、大正15(1926)年
峰村孝「アオスト町の癩病患者」、『カトリック』第十二巻第二號、カトリック中央出版部、昭和7(1932)年
大倉燁子「妖怪の塔」、『踊る影絵』、柳香書院、昭和10(1935)年
水谷謙三「アオスタ市の癩者」、『シベリアの少女 他一篇』、長崎書店、 昭和15(1940)年
大澤章「アオスタの市の癩病者」、『囘心』、山野書店、昭和22(1947)年
同・再録、山村静一編『アオスタの市の癩病者』、ドン・ボスコ社、昭和30(1955)年
伊藤晃『オストの町の癩者』、駿河台出版社、昭和38(1963)年(語学教本)
NOGUTI Kôki(野口洪基)「Aosuto mati no raibyô kanzya(アオスト町の癩病患者)」、『Izumi』64-gô、いずみ会、昭和40(1965)年〕

(訳:加藤一輝)

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