山田菊『八景』第四部「山々」

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日光

わが恋は
知らぬ山路に
あらなくに
迷ふ心ぞ
わびしかりける
貫之

杉の長い闇、この植物の列は柱や桁まで続く、緑を脱がされ、枝葉を落とされ、金に飾られ、漆を塗られた、精気のない動かぬ植物だ。

美しき森の柱廊は、長く緩やかに、彫刻を施された山、日光へと至る。

震える柱、華厳の滝は、透明な二段目の高台、中禅寺とその湖を支えている。

流れる早瀬をさらに少しずつ遡ると、最後の高原、湯元に出る、そこから虹が伸び、卵の臭いのする温泉が湧いている。

これが、将軍家の霊廟を抱く日光の山々の三重冠だ。

その三重冠は流れる水音で溢れている。降りしきる霧、霧降滝、すっかり暗い滝、マックラ滝、7つの落水、七滝、そして清らかな滝、巡礼者の詩人は足を止め、眺め、詠う。

ぬき乱る
人こそあるらし
白玉の
まなくも散るか
袖のせばきに

さて、詩人は最も高く聳える聖なる男体山を見つめる。

名月や
夜は人住まぬ
峰の茶屋
蕪村

そして巡礼を始めるのだ。

日光、日の光

きらめく街、巨木の集まり、光を散らす温泉、大地の鉱石、すべてが一挙に混ざりあい、日の光の中で組みあがる。

ふたつの急流の分岐点にある、本当に素晴らしい街だ、湯気の立つ不思議な蟇蛙の2枚の舌の上に、色鮮やかな宮が建っている。

靄が立ち昇る……徳川家の初代家康家光の墓所から上がる香だ。真っすぐに続く橋や宮を順々に越えてゆく。

細かい雨が斜めに降る。晴れたときよりも寺が輝いて美しく見える。

寺はどっしりとしていながらも動きや色を変え、雨の下でいっそう深く柔らかに艶めく。巡礼者たちは退散した。かすかな雨がわたしの青い和傘を透かす。言葉もなく、濡れてひとつになった空気を歩く。ここではたくさんの彫刻が目に語りかけてきて、口をふさぐのだ。

廻廊に柵に入った灯籠の置かれている石畳の庭を見る。格子には細工が施されている、対称に、永遠に。細工のひとつが逃げだす。灯篭の霊だ、闇夜に乗じて散歩する住人を怖がらせていたのだ。ひとりが剣で霊と戦った。斬られた霊は、脱殻となった鎧のように悲しく黒々と、もとの場所に落ち着いた。

御影石の鳥居家康の最初の宮に通じている、「王の柱廊」へと続く石畳の道だ。象や獅子や虎が軒蛇腹に並び、それに連なって悪夢を食べるという霊獣の獏がいる。

傍には石で囲まれた杉が生えている。まだ苗木のとき、家康はその杉を携えて駕籠に乗っていたのだ。隣の杉は、台湾出兵に赴いた馬の厩舎と並んでいる。

王の記憶と感情が動物や植物にまで行き渡っているのだ。

悪しきことは見ざる、言わざる、聞かざるの「三猿」が刻まれている。

寺の内陣は、鑿と筆の振るわれた外側よりも滑らかで、漆に塗られて輝いている。狩野派が天井に黒い龍を描き、わたしが手を叩くと大きな息吹を返してくる。

別の宮へと歩いてみる、そちらは端正な見た目で、廻廊に囲まれている。大きな陽明門に圧倒される。

乳のような白さ、赤い舌、金色の天使、葉叢、黒い瞳が、質素な瓦屋根の下に蠢いている。衝立には山々や水鳥が唐草の縁取りの中に描かれている。

わたしは雨の陽明門が気に入った。写実的で力強い獣たちは皆、庇の下に留められている。あるいは、壊れた門や、もはや飾りの落ちた建物を見ていたかもしれない。

庭では木彫りの優美な動物が彷徨っていただろう。

彫り師はそれを知っていた。厩舎では猫が眠っている。

ある夕方の5時ごろ、掃除の時分で客もまばらなとき、わたしは聖なる踊り子たちに演壇に来てもらった。ああ!鉢巻の下には、化粧した巫女の年老いた顔だ!深紅の袴に干からびた脚、痩せ細った手に五十鈴が鳴る!鈴からしずくが聖水のように飛び散る、久しく前からご利益はないのだが。

唐門はもっと地味だ。金の格子で囲われ、翼と草で縁取られている。庇の下には袖に手を入れた中国の賢者たちがいる。

神域は、ゆったりと按配された柔らかな光を浴びる。嵌板には動かぬ浮彫りが刻まれている。

牡丹は風にもそよがない。

樫の不死鳥と鷲がくつろいでいる。格天井の枡目の中には花々が描かれている。

こうした絢爛さは全て偉大な統治者であり藝術の牧者であった家康の魂に捧げられており、その亡骸に詣でるためにはさらに道を行かねばならない。

足元では苔がスポンジのように水を湛え、すり減って窪みの開いた石は滴に震えるようだ。参道と手すりが、静寂の中、古い杉並木に沿って昇ってゆく。ずっと上のほうで緑の枝が悲しげに項垂れて吊り下がっている。

社は木々の向こうにあり、おぼろげな屋根と庭しか見えない。

頂上で、青銅の鋳物と石が墓を取り巻いている。

翼を閉じた金色に輝く塔だ。

その華々しさの陰に、望みのない孤独の嗄れた叫びが聞こえる。

赤い橋

キプリングが血塗られた逸話を語っていた〔『キプリングの日本発見』にあるがキプリングの創作とされる〕、この美しい漆の鞍〔神橋〕は、あまりに目立ちすぎる。入口にあって景色を引き締め、寺院の御堂を風景に収めるのに欠かせない帯を投げかけている。

中禅寺

鶺鴒も滑りそうな剥き出しの石の河原に、阿弥陀像がたくさん立っている。欠けたり流されたりして、その数は誰にも分らない。

悲しき境界だ、何もかもが同じように、打ち寄せる水と単調な時に突かれている。そこに並びたくはないものだ。

わたしは何度も中禅寺へ行ったことがある、馬で、人力車で、そして靴下の上に履く柔らかい鉄のような藁のサンダル、草鞋で。

そこではいつも水が囁き、瑞々しい葉が繁っている。

股引を履いた娘たちに引かれた馬の列が荷物を運んで降りてくる。

わたしは中継の茶屋で足を留め、緋毛氈に座って谷筋の道のほうへ身を屈めた。

焼き菓子、薄荷、絵葉書、竹の杖……

馬に寝て
残夢月遠し
茶のけぶり
芭蕉〔実際には静岡県金谷で詠んだ句〕

近道しようとすると、笹が踝を傷つける。

引き返すと、内股歩きの人夫が歌いながら橋を渡っているのが見える。

いっちく!たっちく!穴熊橋を
月夜に来るのはだあれ?
おなかが出ていて手はだらり
よろよろ来るのはだあれ?
寺の門番が天麩羅を持って
明かりが進んでゆく……
いっちく!たっちく!穴熊に盗まれた!
腕組して
ハンカチを頬に当てて
穴熊橋を戻ってきた!
〔いっちくたっちく節の変種のひとつと思われるが元の歌詞は不明〕

登り終えると楢林の中の開けた台地に出る。華厳の滝が並外れたスクリューのように唸っている。霧の布が滝に続いて落ちていく。私服警官が周囲を見張っている。あまりに大勢の絶望した者が、途切れぬ長い流れとともに、虚空へと身を投げるのだ。

最初に身を投げたのは帝国大学の輝かしい学生だった〔藤村操はまだ大学生ではなく、旧制一高の学生だった〕。西洋哲学に失望し、楢の木に辞世の書を刻みつけた。

死を選ぶ、ただし美しい場所で、自然の力の存分に働いている場所で。

中禅寺、――その湖畔には大型船の甲板のようなフランス大使の別荘がある。山から採ってきた秋の大きな枝が花瓶に差さっている。

柳で編まれた肘掛け椅子の下には紐編みのカーペットが敷かれている。

ときに馬の駆足が湖の静けさを乱す。大使館員が2匹のグレーハウンド犬を連れて足尾鉱山から帰ってきた。またあるときは白い霧が一帯を覆ってしまう。ひとりきりで海の上にいるかのようだ。

桟橋には向こう岸の別荘地への渡し舟がエンジンを切って繋がれている。

クローデルは湖で、フランスからのろくでもない献本を「河童」の餌だといって指の間から滑り落とす、この妖怪は何でも沈んだままにさせるのだ。

わたしは、下駄舟、つっかけの舟の上からヨットレースを眺め、港で銀の魚や赤い岩に出会うのが好きだった。

重々しく光る水面を滑る舟、船出や船中で爪竿の立てる湿った音、夕焼けのなか蔓から下がる瓢箪、これほど心地よい夕べはない。

そして夜になると、男体山に登るのを待つ。

ふたつなき
物と思ひしを
みなそこに
山の端ならで
いづる月かげ
貫之

夜明けの山頂で、わたしは太陽が富士山から卵のように昇るのを見た。

日光おみやげ:薄荷、木彫りの盆、毛皮。

(訳:加藤一輝/近藤 梓)

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