自分を労う自分ファースト。

SNSの良い効果を発見した。仕事でくさくさして、本当に辞めてやろうか、辞めることを真剣に考えた方が良いのでは、と思うくらい腹立つことがあった日。そういう日は無駄にスマホを触ってSNSをいろいろ見てダラダラしてしまう。インスタグラムは見る専門で、たまたま見つけたフォローしている動画を見てたんだけど、それはマイファミリーマイホームというもの。

動物と子供の心暖まる可愛い交流や、犬や猫などの動物が、人間に寄り添ったり愛情表現するもの、ご両親が赤ちゃんに愛おしくキスするものや、ご年配のご夫婦がダンスするものなど。

ぜーーんぶ、優しく思いやりがあり、あたたかい愛のかたち。見ているこちらの気持ちもアタッチメントされるからなのかな、とてもとても慰められた。優しく触れたり、ギュッと抱きしめたり、愛くるしい目線だったり、仕草だったり。それらを擬似体験することで、知らぬ間に脳ミソのストレスが無くなって、絶望的な投げやりな気持ちも収まってた。不思議だ。

SNSに依存するみたいなのは嫌だけど、何かや誰かや、言葉の話せない人間以外の生き物との、ただ優しい愛の行動だけを次々見ていくことは、とっても心の栄養になるんだと思った。

落ち込む時や極端な、しかもネガティブな思考に偏ってしまう時、自分のことしか見えてないし考えていない。そういう状態で他者への愛情表現を何の解釈もなく、ただ見続けると、何て言うか、視野が世界が広がる。もう少し他の可能性を考えられる気がして、凝り固まってた気持ちがほぐれる。

じゃあ愛する対象が居ないのかというと、居るんだけど、旦那さんは愛おしいし、思いやりしかない。だけど、普段仕事をしてたりの中では、どんどん嫌な出来事や嫌な他人のせいで、削られてしまうのよね。

この間、普段あまり話さない職場の同僚の方に誘われて、珍しくランチを一緒にした。彼女が賢いし大人だなと思うのは、私や私の部署のめちゃくちゃ忙しかった仕事のこと、それで部署の皆が残業しまくって、納期に間に合うように頑張ってたこと、そのことを本当に労ってくれたこと。感謝しかない。こんな励まし方って素敵だなー。
私が○○の担当をし続けてるのは、能力としてはもったいない、とまで言ってくれて。かいかぶってるぜ。

誰か他の人から見てくれてたこと、労われることが、どれだけ癒されるか慰められるか、彼女の行動から学んだわ。もう辞めようかなと思ってた気持ちも、ほんの少しだけ、薄まった、ような。どうだろう。

根本的な問題解決にはならないかも知れないし、やっぱりこの仕事や会社が嫌いだし、向いてないし、求められている能力には足りないのだなと痛感はする。そういうところを見極めて、このまま続けるのか、きっぱり諦めて、現実的なことも含めて考えなきゃいけないとは思うけど。悩むだけで、本当に先へ進めるための考えになってるかは不明だが。

SNSでもリアルな人間でも、他者や何ものかに思いを馳せる、思いをかける。よく日々の小さな幸せを見つけるのが、一番幸福な人だとか言うけど、こうやって細やかなことに、自分以外の存在に思いを馳せて感謝する、という視野の広がりも大事なんだ。

いや待て。自分自身に優しい思いやりと労りをかけてないから、他者からの思いかけない労り等に、驚いて感謝してしまうのだな。
やっぱり、よく言われている話だけど、まず自分で自分を労う、思いやりをかける。ここに立ち戻ることが必要なんだなー。

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