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教職と哲学

今,哲学について学び直す。
その理由は主に3つある。

1つ目は,苫野一徳の論の根拠を知りたくなったこと。
2つ目は,学び続ける教師の姿勢が,ノンバーバルで子どもに影響を与えること。
3つ目は,教師の仕事観や指導観の根底には,
哲学の思索とのつながりがあるのではないかと感じたことである。


1つ目については,この休校期間中に,
『本当の道徳』(トランスビュー)
『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマー新書)
を読破した。

これまでにも,
『「学校」をつくり直す』(河出新書)

中断しているが,
『教育の力』(講談社現代新書)
『愛』(講談書現代新書)

を読んだことがある。

苫野さんは一貫して,
「自由の相互承認」「学びの個別化・協同化・プロジェクト化」
を主張している。
その哲学的背景は何なのか。
そして,源流となった哲学者たちは,
どのような思いでその理論をうちたてたのか。
その文脈から,哲学の分野について足を踏み入れた次第である。


また,休校期間中に,
『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学所員)
も読んだ。
ここでも古代ギリシャに端を発した論が述べられていた。
やはり,学ぶときには,何か啓示があったかのように,
次々とつながりが見えていくものだ。
今がそのタイミングであると思い,入門書から学び始める。


2つ目の観点で言えば,
いつかの堀裕嗣の論の影響が大きい。
堀先生は,長期休業に自身の本が売れることを憂いていた。
忙しい日常で本を読む習慣のない者が,長期休業中に読んだとて,
実践に生かされることは,まあないだろうという趣旨だったと思う。
長期休業期間は,時間がたっぷり取れるからこそ,
インプットではなく,アウトプットに努めるべきで,
日常的に本が手にとれる環境を勧めていた。
(書いているうちに思いだしたが,おそらく読書術の書籍の論文だった。)

だから今こうして,哲学書を手に取っているわけで,
こうしてアウトプットもこまめにできるようにしているわけだ。


3つ目。
自分は唯我独尊タイプだ。
腹落ちしないと指導に生かせない。
なぜ,この指導をすると良いのか。
なぜ,この子はこの論展開では納得しないのか。
「ごめんね」「いいよ」文化では,
子どもたちの成長につながらないのでは。

そうした疑問が,常にある。
その疑問に応えられそうな哲学者たちの主張が見えてきたのである。

特に生徒指導に関しては,
カントやヘーゲルといった哲学者たちの主張を
自分なりに言語化して理解することが指導観の成長につながると確信する。


…でも,哲学って難解だ。
入門書ですら,何回読んでも頭に入ってこない。

少しずつ。少しずつ。自分の世界をひらいていこう。

まずは,
『21世紀を読み解く、竹田教授の哲学講義21講』
から。

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