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他者との間に『無条件の愛』を感じながら生きていく

私は人生における幸せとは他者との間に『愛』を感じることであるというふうに考えているのですが、ここで重要なのはこの『愛』は無条件のものでなければならないということなのですね。

要は我々人間は誰もがただ人間であるというだけで愛されるべき存在であると言え、自らを含むすべての人間が愛されるべき大切な存在であるということなのです。

私は幸せな人生を送るうえで大切なのがこの『無条件の愛』であるというふうに考えているのですが、その一方で世の中にはこの『愛』というものを感じることができていないという方もそれなりにいるのではないかと思うのですね。

私が思うにこのようなタイプの方は自らが愛されているという実感もなければ逆に自らが他者を愛しているという実感もなく、他者に対して感謝の気持ちを抱くこともなければ逆に他者を思いやったり気遣ったりすることもないのではないかと思うのです。

このように書くと皆さんのなかには「最低なやつだな!」というふうに思われる方もいるかもしれないのですが、実際にはこのようなタイプの方は意図的に他者との間に『愛』を感じていないのではなく、生まれつきなぜか他者との間に『愛』を感じることができないという方が大半なのではないかと思うのですね。

そしてそのような経緯からこのようなタイプの方は自らが愛されているという実感もなければ逆に他者を愛することもないということになるのではないかと思うのですが、それではなぜこの『無条件の愛』がなぜそこまで人生において重要になってくるのでしょうか?

今回の記事ではそんな『無条件の愛』がなぜ人生において重要であるのかということなどについて見ていきたいと思います^^

他者との間に『無条件の愛』を感じながら生きていく

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それでは早速『無条件の愛』というものについて見ていきたいと思うのですが、私は幸せな人生を歩むためにはこの『無条件の愛』というものを感じることが欠かせないのではないかと考えているのですね。

この『無条件の愛』とは文字通り自らを含めすべての人に関して無条件で「愛されるべき大切な存在である」というふうに考えるということなのですが、この『無条件の愛』を感じることができているというタイプの方は自らに関しても「愛されるべき大切な存在である」というふうに考えることができ、さらに他者に対しても同じように考えることができているのではないかと思うのです。

その結果このようなタイプの方は自分が他者から「愛されている」というふうに感じることができており、さらに自らもまた他者のことを思いやり大切にすることができるということなのですね。

ここで重要なのはこのようなタイプの方は自らを含めすべての人に関して“無条件で”愛されるべき大切な存在であるというふうに考えることができているということなのです。

そのような経緯から考えるにこのような他者との間に『無条件の愛』を感じることができているという方は決して「優れている人間のみが愛されるべき存在であると言える」「人から称賛されるような人間のみが愛されるべき存在であると言える」などというふうには考えていないということなのですね。

このような他者との間に『無条件の愛』を感じることができる方の考え方をあえて文字にするのであれば、その考え方は「人間はただ人間であるというだけで価値があり、その価値には上も下もない」というものになるのではないかと思うのです。

要は我々人間は誰もがただ人間であるというだけで価値がある存在であると言え、さらにその価値には上も下もない、すなわち誰もが対等な存在であるということなのですね。

この価値観は言い換えれば『すべての人は違うけれども対等であり、誰もが愛されるべき大切な存在である』と言うこともできるのではないかと思うのです。

要は我々人間は誰もが違い、例えば頭の良い人もいれば頭の悪い人もおり、運動神経が抜群の人もいれば運動音痴な人もおり、容姿が整って異性からモテる人もいれば容姿が整っておらず異性からはあまりモテない人もいることだと思うのですが、それでも誰もが対等な存在であるということなのですね。

私たち人間は当然ながら誰もが違うことから、頭の良さや身体能力、容姿や社会的地位などあらゆる部分で我々には違いがあるのですが、それでもそのような違いを『人間としての価値の差』として考えてはいけないということなのです。

他者との間に『無条件の愛』を感じることができるという方は自らを含めすべての人に関して“無条件で”愛されるべき大切な存在であるというふうに考えることができていることから、裏を返せば『優れている人間』のほうが『優れていない人間』よりも価値があるなどというふうには考えていないということなのですね。

確かに我々人間は誰もが違う存在であることから特定の能力や容姿などにおいて優劣はあるかもしれないのですが、それでも大切なのは「誰もが対等であり愛されるべき存在である」というふうに考えることなのではないかと思うのです。

頭の良い人のほうが頭の悪い人よりも愛されるべき存在であると言える、身体能力が高くどんなスポーツでもできる人のほうが運動音痴な人よりも愛されるべき存在であると言える、容姿が整っており異性からモテる人のほうが容姿が整っておらず異性からモテない人よりも愛されるべき存在であると言える、などというふうに考えるのではなく「すべての人は違うけれども対等であり、誰もが愛されるべき大切な存在である」というふうに考えることができなければならないのではないかと思うのですね。

そして他者との間に『無条件の愛』を感じることができるという方は自らを含めすべての人に関して「愛されるべき大切な存在である」というふうに考えることができていることから、決してこのように人間と人間の間に『価値の差』があるなどというふうには考えておらず、「誰もが対等であり、誰もが愛されるべき存在である」というふうに考えることができているのではないかと思うのです。

他者との間に『無条件の愛』を感じることができるというタイプの方は自らを含めすべての人に関して無条件で愛されるべき存在であるというふうに考えることができていることから、「私もあなたも彼も彼女も誰もが愛されるべき大切な存在である」というふうに考えることができているということなのですね。

そしてこのように感じることができるようになれば例え能力や容姿、社会的地位などで自らが他者よりも劣っていたとしても「自分は価値のある人間なんだ」というふうに思うことができるということなのです。

逆に他者との間に『無条件の愛』を感じることができないというタイプの方は『人間としての価値』が特定の能力や容姿、社会的地位や年収などによって決まってくるというふうに考えていることから『優れている人間』のみが愛され存在であり、逆に『優れていない人間』は誰からも愛されないというふうに考える傾向があるのですね。

その結果このような他者との間に『無条件の愛』を感じることができないという方は自分よりも特定の能力や容姿、社会的地位などが優れている人たちに対して過剰な嫉妬心を抱いたり、自らに関して過剰な劣等感を抱いたりすることになるのです。

しかし大事なのは他者との間に『無条件の愛』を感じることであり、自らを含め誰もが愛されるべき大切な存在であるというふうに感じることができなければならないのではないかと思うのですね。

他者との間に『無条件の愛』を感じることができないと人間を極端に能力や容姿、社会的地位などで評価してしまうことになることから、自らに自信を持つことができないという方は「自分は誰からも愛されない存在なんだ」「自分は誰からも見下される惨めな存在なんだ」などというふうに感じることになってしまうのではないかと思うのです。

しかし大事なのは自らを含めすべての人を“無条件で”「価値のある存在である」「愛されるべき存在である」というふうに感じることであり、決して優れている人間や人から称賛されるような人間のみが愛される存在であるわけではないというふうに考えることができるようにならなければならないのではないかと思うのですね。

そしてそのような経緯から私は他者との間に『無条件の愛』を感じることができるようになることが、重要であるというふうに主張しているのです^^

「人間はただ人間であるというだけで価値がある」という考え方

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ここまで他者との間に『無条件の愛』を感じながら生きていかなければならないということについて見ていったのですが、このような姿勢を支えるうえで最も重要な考え方が「我々人間は誰もがただ人間であるというだけで価値がある」という考え方なのではないかと思うのですね。

要は私たち人間は誰もがただ人間であるというだけで価値がある存在であると言えるということなのですが、皆さんがこのように考えることができるようになれば本当の意味で他者との間に『無条件の愛』を感じることができるようになるのではないかと思うのです。

なぜなら我々人間はただ人間であるというだけで価値があるということなのですが、自分も家族も友達も同僚も誰もが無条件で「価値のある存在である」ということになるからなのですね。

そのような経緯から考えるにこの「人間はただ人間であるというだけで価値がある」という考え方を本当の意味で府に落とすことができるようになれば誰もが他者との間に『無条件の愛』を感じることができるようになるのではないかと思うのですが、その一方でこの意見には反対であるという方もいるのではないかと思うのです。

要は我々人間はただ人間であるというだけで価値がある存在であると言うことはできないというふうに考えているということなのですが、それではこのようなタイプの方たちは『人間としての価値』というものに関して一体どのような考え方を抱いているのでしょうか?

私が思うにこのようなタイプの方たちは『人間はただ人間であるというだけでは価値がなく、人よりも優れた点があって初めて価値がある存在であると言える』という価値観を形成しているのではないかと思うのですね。

要は我々人間は誰もがただ人間であるというだけでは価値がある存在であるとは言えず、人よりも優れた点があって初めて価値がある存在であると言えるということなのですが、このように考えていると決して他者との間に『無条件の愛』を感じることはできないのではないかと思うのです。

その理由は非常に明瞭でありこのように考えているという場合は自らを含め人間はただ人間であるというだけでは価値がないというふうに考えていることから無条件で自らを含めすべての人間に関して「愛されるべき存在である」などというふうには思えないからなのですね。

そのような経緯から考えるにこのような『人間はただ人間であるというだけでは価値がなく、人よりも優れた点があって初めて価値がある存在であると言える』という価値観を持たれているという方は決して他者との間に『無条件の愛』を感じることはできないことだと思うのですが、それではこのようなタイプの方は他者との間に愛を感じることはできないのでしょうか?

まぁ私が思うには対人関係における愛とはこの『無条件の愛』しかないというふうに考えているため(恋愛感情の『愛』は除く)、この『無条件の愛』を感じることができないというタイプの方は他者との間に決して愛を感じることはできないというふうに思っているのですが、あえて言うのであればこのようなタイプの方は『条件付きの愛』を感じることになるのではないかと思うのですね。

この『条件付きの愛』とは「優れている人間のみが愛される存在であると言える」「優れている人間のみが価値がある存在であると言える」という考え方であり、先ほどの「誰もが愛されるべき存在であると言える」という『無条件の愛』とは違い、「優れている人間のみが愛される」という“優れている人間であれば”という条件が付いた愛となっているのです。

そして私が思うにはこのように世の中には『無条件の愛』と『条件付きの愛』を求めるタイプの方がいるのではないかと考えているのですが、それぞれの根底にある価値観は以下のようなものであるということでした。

・『人間はただ人間であるというだけで価値があり、その価値には上も下もない』
・『人間はただ人間であるというだけでは価値がなく、人よりも優れた点があって初めて価値がある存在であると言える』

前者は『無条件の愛』を感じることができる方の考え方となっており、後者は『条件付きの愛』を感じている方の考え方となっているのですが、見ての通り両者の最大の違いは『人間はただ人間であるというだけで価値がある』というふうに考えるか否かということとなっているのですね。

前者は我々人間は誰もがただ人間であるというだけで価値があり、さらにその価値には上も下もないというふうに考えていることから誰もが愛されるべき存在であるというふうに考えることができているものの、その一方で後者は人間はただ人間であるというだけでは価値がなく、人よりも優れた点があって初めて価値がある存在であると言えるというふうに考えていることから「優れている人間のみが愛される」「優れている人間のみが価値がある存在であると言える」というふうに考えることとなっているのです。

そして後者の「優れている人間のみが愛される」という考え方は裏を返せば「優れていない人間は誰からも愛されない」「優れていない人間には価値がない」という考え方でもあるということもできるのですね。

そのような経緯から考えるにこのような価値観を持たれているという方のなかには自らを「優れていない」というふうに考えていることから強い劣等感に苛まれてしまうことになる方もいるということなのです。

皆さんのなかには現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方もいるかもしれないのですが、私が思うにそのようなタイプの方の多くはこのような『人間はただ人間であるというだけでは価値がない』という価値観を持たれているのではないかと思うのですね。

そしてこのような価値観を持ったうえで自らに自信を持つことができないことから「自分は誰からも蔑まれる存在なんだ」「自分は誰からも見下される存在なんだ」などというふうに感じることになってしまうのではないかと思うのです。

しかし大事なのは自らを含め誰もが『ただ人間である』というだけで価値があり愛されるべき存在であるというふうに考えることであり、このように考えることができれば現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方も本当の意味で自らに価値を感じ愛されるべき存在であるというふうに考えることができるようになるのではないかと思うのですね。

大事なのは「優れている人間のみが愛される」「優れている人間のみが価値がある存在であると言える」というような『条件付きの愛』を感じるのではなく、『無条件の愛』を感じ本当の意味で自分に価値を感じることなのではないかと思うのです^^

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