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自分を責めるのではなく、受け入れながら変わっていく

現時点で皆さんの多くも何かしらの目標に向かって努力をされているのではないかと思うのですが、私が思うに日本人は何か物事が上手くいかなかったり、なかなか思い通りに物事が運ばなかったりすると過剰に自分のことを責めてしまう方が多いのではないかと思うのですね。

例えば「なんで俺はこんなことができないんだ!」というふうに自らの能力のなさを責めたり、「なんで私はこんなにも努力が続かないんだ!」というふうに自らの精神力の弱さを責めたりする方もいるのではないかと思うのですが、実は私が思うにはこのように自らのことをあまりにも過剰に責めるのはやめたほうがいいのではないかと思うのです。

なぜならこのように自らのことを過剰に責めていると大抵の場合は次第に努力をすることがつらくなっていき、途中で挫折してしまう可能性が非常に高くなると思うからなのですね(-_-;)

そのような経緯から私はこのように自分のことを過剰に責めるのはやめたほうがいいのではないかと考えているのですが、それでは目標への努力をしているプロセスにおいて自分のことを責めそうになったときには一体どうすればいいのでしょうか?

私が思うに大切なのは今の自分を責めることではなく、今の自分を「受け入れること」なのではないかと思うのですね^^

なぜダメな自分を責めてはいけないのか?

勉強1

皆さんのなかにも現時点で特定の分野で努力をされているという方が多いのではないかと思うのですが、そのような方のなかには何か上手くいかないことがあったり失敗したりすると過剰に自分のことを責めてしまうという方も一定数いるのではないかと思うのですね。

個人的には日本には真面目な方が非常に多いことからこのような方が多いという印象があるのですが、皆さんのなかにもそのような経験があるという方が一定数いるのではないかと思うのです。

そのような方は少し物事が上手く運ばなかったり失敗したりすると「何やってんだ俺は!」というふうに自分に対して叱責したり、「なんで私はこんなこともできないんだ!」というふうに落ち込んでしまったりするのではないかと思うのですが、それでも私が思うにはこのように過剰に自分のことを責めるのはやめたほうがいいのではないかと思うのですね。

それでは一体なぜ私がこのように自分のことを責めるのはやめたほうがいいと主張するのかということなのですが、その理由はこのように自分のことを過剰に責めていると次第に努力をすることがつらくなってしまう可能性があるからなのです。

私が思うにこのようなタイプの方は少し物事が上手く運ばなかったり、失敗したり、思い通りに事が運ばなかったりすると自らに対して過剰に厳しく責める傾向があるのではないかと思うのですが、それでも我々人間は自分のことを責めたところでそう簡単に物事を好転させることはできないのではないかと思うのですね。

例えば数日後に英語の単語試験があるにもかかわらず、非常に物覚えが悪いことから覚えなければならない単語をまったく暗記することができない学生がいるとしましょう。

この学生は数日後に英語の単語試験があることから必死になって単語を暗記しようとするのですが、それでも生来記憶力があまり良くないことからなかなか頭に入ってこず、一向にいい点を取ることができる自信を持つことができないのですね。

そのためこの学生は「なんで私はこんなにも記憶力が悪いんだ!〇日後には単語のテストがあるのに全然覚えられてないじゃないか!」というふうに非常に強く自らのことを責めてしまっているのですが、それでも私が思うにはこのように自分のことを過剰に責めるのはやめたほうがいいのではないかと思うのです。

なぜならこの学生は自らが英単語を暗記することができていないことが原因で「何をやっているんだ私は!」というふうに過剰に自らのことを責めているのですが、それでも自分のことを責めたからといって急に単語を覚えることができるようになるわけではないからなのですね。

そのような経緯から考えるにこの学生は英単語の勉強をするたびに「なんてダメなんだ私は!」というふうに過剰に自らのことを責めてしまうことになるということなのです。

ここで皆さんに分かってほしいのは何か物事が上手く運ばなかったり、失敗したり、思い通りに事が運ばなかったからといってすぐに自分のことを過剰に責めてしまうという方には「努力をするたびに自分のことを責めてしまう」という構図が出来上がることになってしまうということなのですね。

例えばこの学生を例に考えると元々記憶力の悪いこの学生はどれだけ勉強しようともなかなか単語を覚えることができていないことから、勉強をするたびに「私はまだこんなにも覚えていない!何をやっているんだ私は!」というふうに自分のことを責めてしまうことになるということなのです。

一度勉強をした際に「なんでこんなにも単語を覚えていないんだ私は!」というふうに自らのことを責めることによって気合が入りすぐにテスト範囲の単語をすべて覚えることができれば問題はないかもしれないのですが、その一方でなかなか単語を覚えることができないでいると『勉強をする=自分を責める』という構図が出来上がってしまうことになるということなのですね。

その結果この学生は勉強をするたびに「なんで私はこんなにもダメなんだ!」というふうに自分のことを責めることになってしまうことになることから、次第に勉強をすることが非常に億劫となり勉強から遠ざかってしまうことになる可能性が高いということなのです。

そして私が努力をするプロセスで自分のことを責めてはいけないというふうに主張をする最大の理由はこのようにダメな自分を責めてしまうと努力をすることが嫌になってしまう可能性があるからなのですね。

私が思うに努力をするプロセスにおいてダメな自分を過剰に責めてしまうという方は自分のことを責めることによって変わろうとしているのではないかと思うのですが、それでもこのような方法だと簡単に努力の成果が出る場合には問題はないものの、自分のことを責めるもののなかなか努力の成果が出ない、なかなか目標に到達することができないなどという場合においては努力をすることが非常に苦しくなってしまうのです。

例えばある学生が「今日から毎日1時間数学の勉強をしよう!」というふうに思い立ったものの、実際には20分ほどで集中力が切れてしまいなかなか勉強を継続することができなかったとしましょう。

このようなケースにおいて日本には非常に真面目な方が多いことから「なんで俺はたった1時間も集中力が続かないんだ!」「なんで俺は20分で集中力が切れてしまうんだ!」などというように努力が続かない自分のことを責める方が多いのではないかと思うのですね。

そして実際にこのように自分を責めることによって気合が入り翌日からは毎日1時間集中して勉強が続くようになるという場合であればいいものの、大抵の場合はこのように自分を責めたとしても翌日から急に集中力が上がることなどはなく、依然として20分ほどすれば集中力が切れることになるのではないかと思うのです。

このような場合この学生は毎日毎日1時間勉強しようと試みているものの毎回20分ほどで集中力が切れてしまうことから、勉強をするたびに「今日も20分で集中力が切れてしまった!なんで俺は集中力が続かないんだ!」というふうに自らに対して憤りを感じ、強い自己嫌悪感に苛まれることになるのではないかと思うのですね。

しかしどれだけこの学生が自分のことを責めたところでそう簡単に集中力が身に付くなどということはないことから、やはりしばらくの間はこの学生は目標とは程遠い20分から30分ほどで集中力が切れしまう日々が続くのではないかと思うのです。

その結果この学生は勉強をするたびに自分のことを責め強い自己嫌悪感に苛まれることになってしまうのですが、このような状態になってしまうと勉強をすることが非常につらくなってしまうのではないでしょうか?

なぜなら『勉強をする=自分のことを責め自己嫌悪感に苛まれる』という構図が生まれるからであり、このようなタイプの方は自分のことを責めるもののなかなか理想の自分になることができないと次第に努力をすることが非常につらくなってしまうことになってしまうのではないかと思うのですね。

そしてそのような経緯から私は努力をするプロセスにおいては自分を責めるのはやめたほうがいいと思っているのですが、それでは努力をするプロセスにおいてはどのような姿勢が最も理想的なものとなっているのでしょうか?

私が思うにそれは自分を責めるのではなく「今の自分を受け入れる」という姿勢になるのではないかと思うのですね。

自分を責めるのではなく、受け入れながら変わっていく

トレーニング1

ここまで「自分を責めてはいけない」ということについて見ていったのですが、それでは一体なぜ多くの方は物事が上手く運ばなかったり、失敗したりしてしまうと自らのことを過剰に責めてしまうのでしょうか?

私が思うにその最大の理由は「自分のことを責めることによって変わろうとしているから」なのではないかと思うのですね。

例えば前章で例として見ていった集中力が続かない学生は「なんで俺はこんなにも集中力が続かないんだ!」というふうに自らのことを過剰に責めることによって「よし!明日からはきちんと集中して勉強しよう!」というふうに決意し変わることができるというふうに考えているのではないかと思うのです。

このようにダメな自分のことを過剰に叱責し責めればそれがきっかけで変わることができるというふうに考えている方が多いからこそ過剰に自らのことを責めることになってしまうのではないかと思うのですが、それでも大抵の場合は人間は自分のことを責めたところでそう簡単に変わることはできないものなのではないかと思うのですね。

例えば集中力が続かないことから「なんで俺はこんなにも集中力が続かないんだ!」というふうに自らのことを過剰に責め、そして実際に翌日から「今日からはちゃんと集中して勉強をしよう!」というふうに思いしっかりと勉強が続くのであればいいかもしれないのですが、このように自分のことを責めていながらも結局変わることができないと勉強をするたびに自分のことを責めてしまうことになるのではないかと思うのです。

そしてこのように過剰に自分のことを責めていると次第に勉強をすることそのものが億劫になるのではないかと思うのですが、私が思うに自分のことを責めることによって生じる最大の懸念はこのように努力をすることが嫌いになることなのではないかと思うのですね。

例え過剰に自分のことを責めたとしても翌日か2日後くらいに理想の自分に変わることができ自責感から解放されることができればいいのですが、自分のことを責めるもののなかなか自分が変わることができないと努力をするたびに自分のことを責めるという構図が出来上がり、努力をすることが非常に苦しくなってしまうのではないかと思うのです。

そのような経緯から私は努力をする際に自らのことを過剰に責めるのはやめたほうがいいのではないかと主張しているのですが、それでは現時点でこのように自らのことを過剰に責めてしまっているという方は一体どうすればいいのでしょうか?

私が思うに重要なのは「自分のことを責める」ということではなく「今の自分を受け入れる」ということなのではないかと思うのですね。

それではこの「今の自分を受け入れる」とは一体どのような意味なのかということなのですが、それが「今できないことはできないと認める」ということとなっているのです。

例えば先ほどの学生の例で考えると自分は毎日1時間集中して勉強をしようと思っているにもかかわらず勉強が続かないことからやきもきしているのでしょうが、大事なのは「現時点で勉強が20分しか続かないのは仕方がない」というふうに今の自分を受け入れることなのではないかと思うのですね。

先ほどの例ではこの学生は「なんで俺は集中力が20分しか続かないんだ!」というふうに自分のことを過剰に責めてしまっているということだったのですが、このように自分のことを責めたところで変わることができるわけではないことから、このような状況では現状の自分を受け入れたほうがいいのではないかと思うのです。

そして現状の自分を受け入れたうえで「今の自分が集中力が20分しか続かないのは仕方がない。どうやったら1時間集中力が継続するか考えよう」というふうにどうすれば成長をすることができるのかということを考えたほうがいいのではないかと思うのですね。

このように書くと皆さんのなかには「そんなの自分に甘いだけじゃん!」というふうに思われる方もいるかもしれないのですが、私が思うに「自分に甘い」という状態は決して「今の自分を受け入れる」という状態ではなく「今のままでいい」と考えることなのではないかと思うのです。

例えば先ほどの学生の例で考えると「集中力が20分しか続かないのは仕方ないじゃん!俺には1時間も集中して勉強をするなんて無理だから、1時間集中して勉強するという目標は諦めよう!」という考え方が「自分に甘い」と言える状態なのではないかと思うのですね。

その一方で「自分を受け入れる」というのは確かに今できないことはできないと認める姿勢となっているのですが、これは決して「今のままでいい」ということではなく、当然ながら今できないことは受け入れたうえで自分の目標に向かって歩を進めていくということなのです。

例えば現時点で腕立てが20回ほどしか連続ですることができない男性が「腕立てを連続で100回できるようになりたい!」というふうに思い努力をすることを思い立ったとしましょう。

しかし実際にその目標に向かって努力をし始めてみると自分の体の脆弱さは想像以上のものであり、15回も連続で腕立てをすると腕がプルプル震えてきて、20回もすると完全に体が持ち上がらなくなってしまうのです。

そしてここで自分のことを過剰に責めてしまうという方であれば「なんで俺はたった20回しか(腕立てが)続かないんだ!」というふうに過剰に自分のことを責めてしまうことになるのではないかと思うのですが、それでも腕立てとは当然ながら気合だけで継続するものではないことから、このように自分を責めているとなかなか数字が伸びないことから毎日イライラしながら腕立てをやることになるのではないかと思うのですね。

その結果『腕立てをする=自分のことを責めてしまう』という構図が出来上がることからこのようなタイプの方はどこかのタイミングで腕立てをすることが過剰に苦しくなり、腕立てをやめてしまうことになるのではないかと思うのです。

それではこのような状況においていわゆる「自分に甘い」というタイプの方だったらどのようになるのかということなのですが、私が思うに自分に甘いという方であれば「俺って腕立て20回くらいしかできないや!100回連続でするなんて無理無理!もうやめちまおう!」というようになかなか目標に到達することができないことから、途中で放棄してしまうことになるのではないかと思うのですね。

私が思うに「自分に甘い」というタイプの方はこのように途中で努力することを放棄したり、「今のままでいい」と成長することをやめようとすることになるのではないかと思うのですが、それでもこれでは当然ながら目標に到達することなど絶対に無理であると言えることでしょう。

そのような経緯から考えるに当然このような「自分に甘い」という姿勢も努力をするうえではダメなものであることだと思います(-_-;)

それではこのような状況において「今の自分を受け入れる」というのは一体どのような姿勢なのかということなのですが、それが「現時点で20回しか連続でできないのは仕方がない!100回連続でできるようになるまで頑張ろう!」というような姿勢なのではないかと思うのですね。

このように「現時点で20回しかできないのは仕方がない!」というふうに書くと「そんなのは自分を甘やかしている!」というふうに思われる方もいるかもしれないのですが、これは決して自分を甘やかしているわけではなく、できないことを素直にできないと認めているだけなのです。

確かにここでこのように考えず「なんで俺は20回しか腕立てができないんだ!」というふうに自分のことを責めれば「100回連続で腕立てできるようになってやる!」と一時的にはモチベーションを上げることはできるかもしれないのですが、それでも私が思うにそのようなモチベーションはそう長くは続かず、大抵の場合はどこかのタイミングで腕立てをすることが嫌になるのではないかと思うのですね。

なぜなら腕立てをするたびに「なんで俺はこんなにダメなんだ!」というふうに思ってしまうことから、次第に“腕立てをするたびに”自分のことを責めてしまうことになるからなのです。

そのためやはり重要なのはこのように自分を責めることではなく、「現時点でできないのは仕方がない!」というふうに現状の自分を受け入れることなのではないかと思うのですね。

しかしこの「現時点で20回しかできないのは仕方がない!」というのは決して「今のままでいい」と考えているのではなく、現状を受け入れたうえで成長していこうと考えているということなのです。

努力をするプロセスにおいて過剰に自分のことを責めてしまうという方は自分のことを責めることによって変わろうとすることになるのではないかと思うのですが、それでもそのようなタイプの方の多くはどこかのタイミングで努力をすることが非常につらくなってしまうことになるのではないかと思うのです。

やはり何かができなかったり思い通りにいかなかったりしただけで自分のことを責めていると次第に『努力をする=自分のことを責めて自己嫌悪感に苛まれる』という構図が出来上がってしまうことから努力をすることが非常につらくなってしまうのではないかと思うのですね。

そのためやはり大事なのは『今の自分を受け入れる』ということと『自分を甘やかす』ということの区別をしっかりとつけ、現時点でできないことに関しては「仕方がない」と今の自分を受け入れながら成長していこうとすることなのではないかと思うのです。

そのような経緯から私は「自分を責めて、自分を奮い立たせる」という姿勢よりも「今の自分を受け入れる」という姿勢のほうが大切なのではないかと考えているのですね^^

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