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追伸

この世は溢れんばかりの要素で満ち満ちていて、それらは常に入り組み、立ち昇り、流れる波であり、そしてたっぷりのプランクトンを含んだ海であるのだ。私達が生きるためには常に泳いでいる必要があり、泳ぎを止めたその瞬間波の重量はひどくのしかかって、誰も知らない海の果てまで連れて行く。泳いでいるということ、それは生活や、夢への経路だったりするものだが、それがどんなに些細で細々しいものであっても続けていなければならない。目に見えない程度のバタ足は、一生地に足をつけることのない私たちの唯一の抵抗である。小さな波はひとりでに進んだり、拡がったりして、誰かの息を塞ぐかもしれない。同時に、誰かを押し進めるかもしれない。その誰かというのは、私であり、あなたであり、未だ出逢えぬ運命の人である。知人を、見知らぬ運命を、殺す覚悟も生かす覚悟も持って生のために継続する。同じ海から生まれた私たちは、同じ業によって執着するのだ。
私たちは頻繁に、泳いでいるにも関わらず、海の気まぐれに呑まれて押し潰されたり、足が絡まったりして海の底へ行く。それが誰の意志なのか知ることはできない。ただの結果である。念の入り組んだこの海の街では、だれもが覚悟を忘れる程にただ足掻いているから。呑まれ呑まれて、不気味なプランクトンと海水と死骸を口にして生きている。いつか魚に噛まれた脚で波に立ち向かい、この街の食事に辟易し、だけど陽の当たる海を愛して笑顔を見せ、波の雑音の狭間で沈んだ貴方のこと。誰も、何人たりとも責められない。海水というものは、貴方の傷口からとくとくと流れ出た血の味だった。それと私の涙が混じりあったものがこの辺鄙な詩である。塩辛く、未熟な詩である。
一緒に沈むことなどどうせできないのに、一緒に沈んであげればよかったと思う。だから、軟らかい足で泳ぐのをひと時やめて、海藻や、流木につかまって、太陽や月や星々を頼りに凪いだ場所へ行き休憩しようか。君の代わりに泳いで、どんなものも、どんな場所も、どこまででも探しに行ってあげられるよ。少しならおんぶもしてあげようね。好きな食べ物はなに? 好きな時間帯はいつ? この街で見つけた綺麗なもの教えて。君はいつの間にかわいいバタ足をして、プランクトンに、血水に、死骸に感謝しながら生きて行く。流されては泳いで、巡り合って、見知らぬ運命は今日も不器用に泳ぐことを選んだ君の目の前へとやってくるだろう。自力で泳ぐ彼らの間に浮かぶ流木は、いつかのふたりのものだろうか。運命が胸に積み重なって、私が私であることも運命だと知った時、業は祈りに変わり、海の底は空の果てに成る。運命の一片一片が、この広大の内で愛しく生きていることを、海の中の空に向かって想っている。陽光がどこまででも届き、あなたの光と呼応するように。

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