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お食事ですよ、イバラキさん #1「タケノコ堀りと山の幸」

じりじりと音がするような日射しが照り付ける初夏。梅雨時だというのに、湿度も低くからりとした天気である。場所は山の中腹にある開けた場所であり、短めの野草と土が斑に大地を覆っていた。少し歩いたところには小川も流れていて、先刻まで僕はそこで釣りをしていた。
「せんせぇー、いい感じになってきましたよ!そろそろ始めましょう」
僕は声を上げる。少し離れた所にテントが張られており、陽の光が当たらないよう軒が作り出されていた。そこには先生と呼ばれた男がアウトドアチェアに座り、ぼんやりとタブレットで何かを読んでいる。声に反応してタブレットを閉じるとこちらへ向かってきた。日陰とはいえ汗一つかいていないのは気のせいではないだろう。きめ細やかな白い肌に、薄く紅が差しているところが唯一この気温を感じている証左だった。切れ長の目はあくまでも涼やかである。
「おっええ感じやんか。ほな始めよかー」
気の抜けた訛りのある声で反応する。僕がせっせと準備していた七輪の中で柔らかな緋の色を示す炭をみて上機嫌そうだ。ご満悦である。

「それじゃはじめましょうか。」
許可が出たので、食材を七輪の上に並べていく。出がけに買ってきた食材もあるが、今日の主役はここで採れた食材たちであり。僕等はこれを楽しむためにここに来たのだ。先生が急に山に行くか!と言い出したのが一昨日。我ながらよく支度を整えたと思う。
そうして早朝に山に着くなり釣り竿を渡され、「これで魚を釣ってこい」と命じられ。2時間ほど糸を垂らし首尾よく数匹釣れた所で今度は食事にしよう!とのことだった。先生は筍を採りに山に分け入っていたらしい、上質のパンツも草の汁や枯れ木やらで汚れていたが、本人は気にも留めていない。意外と大雑把なのだ。
そうやって入手された山女魚が網の上に横たわっていく。筍は泥を洗い流し
たのち、皮のまま真っ二つにして並んでいた。じわじわと熱が食材に通っていき、炭の香ばしい独特の臭気と、筍の汁気から発せられる山々の匂いが鼻腔を刺激してくる。先生は満足そうな顔でそれを眺めているかと思えばすっくと立ちあがり、クーラーボックスをガサゴソしてして戻ってきた。手には二つの缶ビールである。僕にも渡すつもりらしい。

「飲みませんよ、僕は。まだ未成年ですし」
「堅いこというなや。昔は童でも飲んでたんやで?」
「どんな昔ですか。先生も生まれてない頃でしょう」
「それはどうやろねえ?まあええわ。勿体ない勿体ない」

そういいながら先生はプルタブを引く。勢いよくカシュッと音が鳴り、少々の泡が零れていた。手が濡れるのも構わず先生はビールを流し込んでいく。350mlの缶をあっという間に空にして息をついた先生は大層ご満悦だった。

「いやーやっぱ夏はこれやな!ビールは人類の宝やで!よく発明した!」

満面の笑顔の先生は本当に嬉しそうだ。気温で薄く紅が差していた頬に、さらにアルコールによる血色の良さが加わる。また、切れ長の眼も少し潤んでいる。僕でも分かる色気の凄さだ。僕は先生に少しみとれてしまい、それを自覚して少し恥ずかしくなってしまう。それを隠すように焼きおにぎりの準備をするため席を立った。バレませんように。

「頃合いやな」
程なくして、山女魚と筍に火が通った。先生は既に3缶目に差し掛かっている。それぞれを皿に取ると、食事が始まった。

山女魚の焦げた皮に箸を突き立てる。ふわふわの身ははらはらと解けつつもしっかりとした弾力を伝え、適度な水分は湯気を立てている。口に含むと丁度よい塩気と焦げた香ばしさの皮、そして旨味に変換された山女魚の香りが口の中に広がり、鼻を抜けていく。ここまでの労力に報いるには十分すぎる美味しさだった。
筍にも箸を伸ばす。焦げた皮を皿にして、少量の醤油を垂らす。筍は採取して日が経つとえぐみ溜まるため、通常アク抜きが必要となる。良く市販されている皮つき筍が米糠が付属しているのはその際に米糠を用いるからだ。
しかしこの筍の採取は今朝。そんなえぐみとは無縁のものだ。口に含むとほくほくとした食感と香りが素晴らしい。醤油が素晴らしいアクセントとなっていた。見越してバターを持ってきた僕は天才なのでは。

先生も同じ心地なのか、筍を口にしてはビールで流し込んでいる。山女魚は串にさしたものをそのままかぶりついており、見た目にそぐわずワイルドな一面を晒していた。

「・・・めちゃめちゃ美味しいな。来てよかったやろ?」
「・・・はい!急いで準備した甲斐がありました!」

僕の返事を聞いて、先生は嬉しそうに目を細めた。
美味しいものがあれば、大抵のことは乗り越えられるのだ。これから置き去りにした沢山の〆切が先生に迫り、脱稿まで付き合わなければならない僕も大変な目に遭うことが約束されていても。
先生はまた新しい缶を開け、今度は焼きおにぎりを口に運んでいる。細身の体がどこに入るのか。気持ちの良い食べっぷりであった。





ーーーーー夜半。
宴も終わり、あれだけ照っていた陽も沈みずいぶん経っている。空には月。時期相応の肌寒さが周囲に拡がっており、何か身を包まねば体調を崩しかねない気温だった。
助手はすやすやと寝ている。朝早くから動きっぱなしだったので無理はない。テントを抜け、少し歩く。見覚えのある場所。ない場所。何年ぶりなのか、忘れてしまうほどの時間。
大江山。かつて鬼と呼ばれた者達がいた場所。自分もいた場所。
遠い過去、人達に斬り伏せられた場所。今もどこかに同朋は残っているのだろうか。それすらも分からない。もう自分一人だけかもしれない。

鬼には墓なんてものはない。よく分からない碑が立っているが、それは人間達のための碑であり、鬼にはそういうものは分からない。いや、分からなかった。今なら分かるかもしれない。
見晴らしのいい場所に出た。
「ひっさしぶりやのう。何年ぶりなのか忘れてしもうたわ」
誰にかけるでもない言葉を一人紡ぐ。
「あれから世は変わり、街は変わり、人も変わる。この山も変わった。でも、それはそれで愉快やと思う。美味しいものもたくさん増えた。ビールなんか、皆好きそうなもんも出来ていた。人の知恵は大したもんや」
「・・・もう少し、こっちを楽しませてもらうわ。あの頃も楽しかったけど、今も仰山楽しいことがある。面倒ごとも増えてるけどな」
「また来るわ。待っとってな。」

ただの独り言。こんなことをするなんて、当時の自分には考えられなかったと思う。こういうのも悪くない。


陽がうっすらと昇ってきているのを感じて僕は目が覚めた。隣で寝ていた先生の姿はなかった。テントを出ると涼しい顔をしてコーヒーを飲みつつ、先生はタブレットに目を落としていた。
「おはようございます。早いですね」
「おはよう。そこの川で顔洗ってきぃや」
「はい。・・・なんか先生楽しそうですね」
「そうか?まあ、たまにやからな」
「・・・・?なんです?」
「なんでもない」
先生はなんだか笑っているようだった。


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