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Book introduction: Good Economics for Hard Times -4-

こんにちは。

これまで3回にわたって『絶望を希望に変える経済学』を紹介してきました。今回が最終回です。

今回は残りのトピックである経済成長、環境問題、格差問題について概観します。


経済成長

著者らは経済成長を追い求める姿勢にはいくつかの根本的な問題があると言います。

一つ目の問題点は、未だに経済成長を引き起こす要因を特定するのは非常に難しいということです。ある要因と経済成長との間に因果効果を見出すためには、それ以外の要因が調整されている必要があります。しかし、サンプルとなる国家や州などの数に比べて、(マイナスの効果も含めて)成長に影響すると考えられる要因は無数にあり、その全てを調整して比較可能な2群を作り出すことができないのです。ちなみに、成長戦略として企業や富裕層に対する減税がよく話題に上がりますが、実は各国の税率と成長率との間には相関関係すら見られていません。(政治家が「この政策のお陰で成長が達成された」「成長のためにはこの政策が必要だ」などと述べても、それらは仮説の域を出ないと考える方が良いでしょう。)

二つ目は、GDPという指標では測定できない幸福や生活水準があるということです。例えば、インターネットの閲覧やSNSを利用することによる効用(幸福の増加もしくは減少分)はGDPには反映されません。また、スリランカとグアテマラの一人当たりGDPは同じくらいですが、スリランカの方が妊産婦死亡率や乳幼児死亡率が非常に低く、アメリカと同程度の水準となっています。

また、著者らは多くの貧困国に実際に赴いて研究を行ってきた経験から、大抵の成長理論が前提とするリソースの最適配分は貧困国の多くで実現されておらず、このような市場の失敗が貧困国の成長を阻害する要因の一つであると述べています。そのため、十分に活用されていなかったリソースを最適配分することで追加的なリソースが無くても貧困国においては成長が促される可能性があるといいます(近年の中国がこれに当てはまる?)。一方で、これはリソースの非効率配分が減ると伸び代が失われることを示唆しており、先進国の成長の鈍化の一部がこれによって説明されるのではないかとしています。

そして、これまでの歴史的事実が物語っているのは成長は減速するということです。日本はこの事実を受け入れずに(GDPの増加という偏った)成長を求め続けた結果、1990年のバブル崩壊後に危機的な状況に陥ってしまいました。

この章の結論は、(特に先進国では)経済成長を追い求めるのをやめ、平均的な市民の幸福や最貧層の生活水準を高めることを目指すべきだというものです。これまで世界の貧困の減少に経済成長が寄与してきたことは確かですが、成長は手段であり目的ではないはずです。一方で、開発経済学は医療や教育などの具体的な政策に関して多くのエビデンスを蓄積してきました。そうしたエビデンスに基づいた政策に投資するとともに、実験を行い政策をブラッシュアップしていくことが重要だと言います。



環境問題

今後、気温の上昇によって様々な問題が発生すると言われており、温暖化対策は待ったなしの課題となっています。地球温暖化の原因となるCO2の多くが富裕国*(または富裕国で消費するモノを生産する国)で排出される一方で、気温の上昇に伴う被害の多くは貧困国(赤道付近に多い)にとってより深刻です。貧困国では、空調の整備も不十分で、屋外で働く人も多いため、気温の上昇は生産性だけでなく直接命に関わります。環境問題の難しさの一端は、責任のある人々にとって解決のインセンティブが低いという非対称な状態になっていることにあると言います。

*貧困国や中所得国の富裕層もかなりの排出量を誇っているようです。

また、やっと安価な空調に手が届き始めたインドのような国では温室効果ガスの排出量の多い安価な空調によって今日の命を守るか、高いお金を払って温暖化対策に取り組み将来の命を守るかといったトレードオフを迫られています。この他にも貧困国は様々なトレードオフに直面しています。

著者らはこのようなトレードオフを貧困国に背負わせないために、税金と規制によって富裕国の排出量削減を進めながら、責任ある富裕国が貧困国へのクリーン技術の導入を支援することを提案しています。

また、アメリカを筆頭に排出量の多い国で排出量削減への動きが鈍いことの背景には根深い成長信仰があると指摘しています。排出量削減の取り組みが成長を減速させるという思い込みに囚われているのです。しかし、ただGDPを増やすこと(上述の通りそもそも増やせるかどうかも怪しい)が自国の市民の幸福度を高める最善の策なのかということはしっかりと議論する必要があります。何も手を打たなければ世界が求めているスピードで適切な再分配は起こらないという事実から目を背けてはいけません。



格差問題

著者らは、これまで主に述べてきた市場の失敗だけでなく、政府による政策の失敗、特にレーガン・サッチャー時代に行われた企業・富裕層への減税、規制緩和、福祉政策の縮小といったトリクルダウン的発想の成長戦略が米英の不平等を著しく拡大したと指摘しています。

他にも、(ピケティが主張したように)労働賃金よりも資産の成長率が大きいことなども影響し、今日の社会階層の移動性は非常に低いものとなっています(つまり、多くの人が親の属していた社会階層から抜け出せないということです)。

著者らは、富裕層の所得への課税・増税が、企業の必要以上の高報酬を減らすという意味で、税引後格差だけでなく税引前格差を抑えることにも効果があるだろうと述べています。一方で、本書で述べられている貧困層へのサポートを実現するには、富裕層への課税額を数%増やすくらいでは十分ではなく、中流階級に対する増税も必須になるだろうと言っています。

また、世界で協調して課税制度を整えることも重要です。課税制度を整えることは、脱税やタックスヘイブンへの資産の流出を防ぐだけでなく、企業・富裕層誘致のための各国の減税合戦を抑えることに繋がります。



最後に…

ここまで見てきたように経済学や政治が期待していたほど市場がうまく機能しないことが明らかになってきています。市場の失敗によって失業や貧困に陥っても、多くの人は市場のせいにできず、自分のせいだとも思いたくない(実際にその人のせいではないことも多いということはこれまで述べてきた)ために、制度を設計しているエリート層や自分たちの仕事を奪う移民などに怒りの矛先を向けるようになり、その結果が分断という形で表れているのだといいます。

そのため、本書で著者らが一貫して主張しているように人々の尊厳を守る政策を行うことが大切です。ほとんどのトピックの解決策は、貿易や経済成長政策により打撃を受けた人々や貧困層を救済するというものでした。しかし、相手を憐れな存在と決め付けて救済してやるという態度は、ともすれば彼らのための政策によって彼らの尊厳を傷つけ、より強い反発を招くことになってしまうため、制度設計にも注意が必要となるでしょう。


いかがだったでしょうか?これまで4回にわたり『絶望を希望に変える経済学』という本を紹介してきました。

本書の結論が全てではないですし、これからも研究は更新されていきますが、多くの人が情報をアップデートして議論できるようになれば世界も少しずつ良い方向に向かっていくのではないかと思います。

本書の最後の言葉でこの記事を締めたいと思います。

経済学は、経済学者にまかせておくには重要すぎるのである。ーL16, P467



参考

[1] 『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』, アビジット・V・バナジー&エステル・デュフロ 著, 村井章子 訳, 日本経済新聞出版社.

[2] Press release: The Nobel Prize in Economic Sciences 2019 & POPULAR SCIENCE BACKGROUND.

[3] 『「原因と結果」の経済学 データから真実を見抜く思考法』, 中室牧子&津川友介 著, ダイヤモンド社.

[4] 『政策評価のための因果関係の見つけ方』, エステル・デュフロ&レイチェル・グレナスター&マイケル・クレーマー 著, 石川貴之&井上領介&名取淳 訳, 日本評論社.

[5] 『大学4年間の経済学が10時間でざっと学べる』, 井堀利宏 著, 角川文庫.

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