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暴れん坊将軍、モンテスキュー、ラモーには意外なつながりがあった!?

最近は放送業界の事情により、過去のドラマが再放送されていることが多いですね。
過去のドラマの中で、何気に強く印象に残っているのが『暴れん坊将軍』。
なぜ強く印象に残ったかは末尾のおまけに譲るとして、今回の記事は、暴れん坊将軍こと、8代目将軍の徳川吉宗の時代に着目します!

今回扱うのは、この3人。
 徳川吉宗(1684-1751)
 ジャン=フィリップ・ラモー(1683-1764)
 シャルル・ド・モンテスキュー(1689-1755)

いざ、この3人を通して当時のヨーロッパ文化を見ていきましょう!


徳川吉宗(1684-1751)

徳川吉宗

Wikipedia: 「徳川吉宗」

・江戸幕府第8代将軍

享保の改革(1716~)を行った。(新田開発、公事方御定書の制定、目安箱の設置、倹約令、大奥の人数削減など[1])

近松門左衛門が作った『曽根崎心中』が1703年に人形浄瑠璃で上演されてから、巷で心中事件が続発するようになった(「今世では結ばれないので死んで来世で結ばれよう」と…)。そこで、幕府は1722年に「心中物の禁止令」を出した。その時の将軍[2]。


ジャン=フィリップ・ラモー(1683-1764)

らもー

Wikipedia: ジャン=フィリップ・ラモー

・フランスの音楽理論家、作曲家

・根音、転回形などのいわゆる「機能和声」と「調性」を理論体系として初めて提唱した人。近代和声理論の基礎を確立した。

「ブフォン論争」(ざっくり言うとイタリアオペラv.s.フランスオペラの優劣が競われた論争)におけるフランス音楽の支持者、作曲者
イタリアオペラの支持者であったラモーによって、けちょんけちょんにけなされた。

・代表曲: 
新しいクラヴサン曲集 組曲 イ短調-長調 (NAXOS)
歌劇「優雅なインドの国々」(NAXOS)


シャルル・ド・モンテスキュー(1689-1755)

モンテスキュー

Wikipedia: モンテスキュー

・フランスの哲学者

・著書『法の精神』(1748年)にて「三権分立」を提唱した人。

・著作『ペルシア人の手紙』にて、18世紀前半のヨーロッパ(特にフランス)の社会や宗教観をペルシャ人からの視点で描写し、風刺・批判した物語。
当時の社会情勢・文化や宗教観がわかる書物。


最後に…

徳川吉宗が生まれた前後、1680~1690年に生を受けた人物をチェックしてみましょう!


年表

テレマン(1681~1767)
ラモー(1683~1764)
徳川吉宗(1684~1751)
ヘンデル(1685~1759)
バッハ(1685~1750)
スカルラッティ(1685~1757)
モンテスキュー(1689~1755)

今回の記事ではそのうちの徳川吉宗、ラモー、モンテスキューを取り上げました。一見、関わりがなさそうな彼らも、生まれた年という観点から繋がりが見られました。

日本の享保の改革(1716~1735頃/1745頃)の途中と終わりごろに、和声論の確立(1722)や、三権分立の提唱(1748)が行われたと思うと、なんだか不思議な気持ち…。

もちろん、今回取り上げたのは18世紀の一部の一部。みなさまは、ここから何をどのように感じられたでしょうか?


(記事のトップ画は、今回のテーマと世代が近い、尾形光琳(1658~1716)の《燕子花図(かきつばたず)》です。パブリックドメインとして公開しているMETのサイト(こちら)より拝借しました。)


おまけ(という名のサブテーマ)

 『暴れん坊将軍』や『水戸黄門』、あとは『ごくせん』とかもそうかな?これらの物語は毎話、問題が生じ解決されるまで、「待ってました!!の定番の流れ」と「そんな展開に!?の一回だけの流れ」で話が成り立っていますこれがまさに感情を喚起させることに関与しているんだなぁ…と思いつつ私は鑑賞していました。

 どういうことかと申しますと、感情が動くのは、(少し昔の時代の例ですが、)煙草をとろうとポケットに手をやったが煙草がなかったとき、すなわち、期待したことが逸脱されたときだと言われています。
簡易に言うならば、「くるぞくるぞと期待したのに、来なかった」「来るぞ来るぞと期待して、その期待を上回る展開があった」時に感情が喚起される、ということです。

(興味ある方はLeonard B.Meyer"Emotion and Meaning in Music"(レナード・マイヤー『音楽における情動と意味』)を読んでみてください)


 これを先ほど例に出した『暴れん坊将軍』で考えてみますと、
   問題が起きる→悪党が集まって話をしているところで吉宗登場→
   「余の顔を見忘れたか!!」→「…う、上様!!」→悪党が開き直って
   「上様がこんなところにいるはずがない!」→乱闘→吉宗勝利
という定番の流れ(=期待)がありつつ、細かい演出やセリフなどが少しずつ異なっている(=逸脱)んです。

 Wikipediaの暴れん坊将軍のページに分岐した流れがたくさん載っています。これを見ると「今回はどれかな、わくわく。あ、こっちだったかー」という「期待と逸脱」が感じられるのではないでしょうか?
(Wikipedia: 『暴れん坊将軍』)


 本題とは関係ないですが、とても興味深いテーマなので合わせて、合わせて紹介させていただきました。
(これがサブメインで今回の記事を決めたと言っても過言ではないほど(笑))

 以上。ほんとのおわり。


参考サイト

[1] 公務員総研より: 【江戸の3大改革】「享保の改革」は、暴れん坊将軍による幕政改革です。https://koumu.in/articles/192
[2] Yahoo news: 大阪学院大学、准教授の森田健司さんが解説「“心中事件”のかわら版は即販売禁止 心中がなぜ幕政批判に当たるのか?」
 https://news.yahoo.co.jp/articles/1784a527f4b04898444edcb0633f871e8f6061a7


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