ないことへの祝福

初めてnoteをかくので緊張しています。

弊事務所CATの小竹のメガネは半分壊れています。セロハンテープでとめてかれこれもう1年以上は使っています。いい加減買いかえろと思うのですが、なかなかかえません。男性はそういうものなのでしょうか?

今回は私、佐藤が思っている空間と物体の考え方について書こうと思います。
これは私がなにかを作る際に必ず意識しており、またそれを面白がっています。
簡単にいうと極薄の世界があると思っています。
頭おかしいと思われるかもしれませんが、空間を、なにもないであろう空間をどうしても「なにもない」とは見過ごせないのです。わたしには極薄の膜が物体にはりついて、空間との断絶を生んでいるように思えます。境目になにかがある気がしてならないのです。

具体的になにか「見てしまった・・・!!」というわけでもありませんし、幽霊をみるような気持ちともまたちょっとちがうのですが、どうやって物体と空間が切り替わっているのかが不思議でたまりません。もしかすると、ただの広い部屋に椅子がおいてあっても誰もなにも思わないかもしれないけど、椅子というだけで人の存在を感じてしまうように、自然になにかがそこにはあるんじゃないかと思っています。というか願わずにはいられません。

あと空間の中にはみちみちに空気のつまった大きな風船のようなものがぎゅっとつまっており、絶えず膨張しようと物体をおしているのかもしれないです。その風船の膜はとても薄く、だからかろうじて実在できてないのかもしれません。目に見えないからといってないがしろにしてしまうのはもったいないですよね。あまりにも空間がかわいそうです。私は、私にも見えなくても、誰にも見えないものでも、肯定していたいのです。

頭おかしいと思わないでほしいですが、ものをつくる上でわたしは「ない」ことにこそ美徳を感じます。ここまで断言していくと「ない」かたちの集積がものをかたどってるように思えませんか?古代のアーティストが大理石の中に形を見つけて彫り進めたように、ものをつくりたいのかもしれません。

まだまだ未熟ものなので言いたいことがかけてない気がしますがいまの全力です。

またかきます。

佐藤









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