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ファッションセンスが無いってなんだ

自分は服が好きです。
高校くらいから、BEAMSなどのセレクトショップに行くようになり、そこから学生のころはよく服を見に行ったり、ファッション雑誌を見たりしていました。
しかしいざ自分で服を買って着ると、周りの人に「センス無いね」って言われる...
今は克服しました!と言いたいところですが、現在は妻に時々言われます...
なぜセンスがないと言われてしまうのか。それについて考えてみます。

カッコいい服を買って、来ているつもりなのに

服を買う際に、自分はまずファッション雑誌を見る。
Men'sFUGDEやMen's nonnoなどを読んでましたかね。
そしてその中からいい感じのを見つけたり、最近だとInstagramでショップ店員の参考スタイルなどもUPされているので、そういうのも参考にしたり。とりあえず、そこから自分がかっこいい!というものを選ぶわけですね。
そして購入。
そしたら「ダサい」「センスない」って言われるわけです。
そしてさらに
「キャラと合っていない」「似合ってない」
とか言われるわけです。

...ん?ということは...?

「センスが無い」とはつまり...


自分が言われていたことは、「自分に合った服を着れていない」ということですね。
つまり自分に似合う服を分かっていない、ということ。
たしかに以前の服購入フローを振り返ると、

ファッション雑誌見る⇒これかっこいい⇒買う

これかっこいいって思ったとき、雑誌のモデルが来てる姿をカッコいいと思ってるわけですね。根拠もなく自分も似合うと思っているイタイやつ。
(Men'sFUGDEは特にモデルが外人笑)
試着すればわかるじゃん!と思うかもしれませんが、それでも気が付かないのが、センスが無いやつたる所以なのかもしれません笑

「お洒落をする」には、自分に似合う服を選ぶっていうことが最低条件なわけです。

かの池波正太郎は、男の作法でお洒落について語っています。

自分のおしゃれをする、身だしなみををととのえるということは、鏡を見て、本当に他人の目でもって自分の顔だの躰だのを観察して、ああ、自分はこういう顔なんだ、こういう躰なんだ、これだったら何がいいんだということを客観的に判断できるようになることが、やはりお洒落の神髄なんだ。
・・・そういうことは何も訓練なしでただやってるだけじゃだめでね、やっぱり映画を観るとか、小説を読むとか、いろんなものを若いうちに摂取していれば、自然にそういう感覚というのは芽生えてくるわけなんですよ。

自分と向き合い、自分のことをよく知るということが大事ってことですね。

人間は自分のことはわからないものです。だけど、まず、そういうふうにいして自分の顔と躰をよく見きわめ、それを基準にしていくことが肝心なんだ、単におしゃれのためだけじゃなくて、いろんな面で自分というものを自分で見つめて、客観視することができるようにする訓練、これが大切なんだよ。

自分と距離を作って思考できるというのは、自分だけではなく周りのことも見えてくる、ということに繋がっていくんでしょうかね。

センス良く服を着るには


まずは自分の事を知って、自分に似合う服はどういったものかを理解する、ということですね。
自分に似合う服を勉強するには、ファッション雑誌やInstagramなどで、自分と似た雰囲気の人でおしゃれだなーっていう方を見つけてマネするのが手っ取り早いかもしれません。
それが自分に限らず、様々な人のファッションパターンを理解できれば、違う雰囲気にイメチェンするにも失敗しないでしょう。
自分も自己と向き合い、自分なりのファッション哲学を語れるおっさんにいつかなりたいなぁ、と思いファッションを楽しんでいこうと思います。

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