書評|國分功一郎『中動態の世界』

前にボクが書いたスピノザ『エチカ』(100分de名著)の書評を読んだ友達が、まさにこの本の世界だね!と教えてくれたのが國分功一郎『中動態の世界』です。こういうポジティブスパイラルって素晴らしい。

まず、タイトルからして惹かれます。中動態ってなんだ?サブタイトルが「意志と責任の考古学」なのですが、これは歴史を紐解く本なのか?とても興味が湧いてきます。実際は文法の歴史的変遷から様々な哲学者を読み解く本です。その中心となる文法が、失われた「中動態」です。何を読み解くか?それが「意志と責任」についてです。

そして、出版社が医学書院なのも興味をかき立てられます。医学書を出している出版社です。なぜ、医学書院が哲学者の書いた古代の文法についての本などを出版するのか?プロローグは「ある会話」。セラピーのような会話。この部分だけはとても医学書のようです。例えば、アルコール依存症やドラッグ依存症。これらは「意志」の問題なのでしょうか?「頑張れば」いいのでしょうか?この医学的課題が本書の出発地点なんだと思います。だから、医学書院から出版されているんですね。この本を紹介してくれた友達も医者です。

ボクたちの生きる世界は能動態と受動態が分かれる世界です。能動態と受動態の対立する世界では「意思」が生まれます。自分が(自分の意思で)やった、能動態。自分が(自分の意思ではなく)やられた、受動態。しかし、この言語的なパラダイムシフトが起きる前は、「意思」の概念がなかったようです。その例が古代ギリシャ。

國分功一郎は古代ギリシャ語、ラテン語、サンスクリット語などの「共通基語」を手がかりに「能動態 vs 受動態」世界以前の「能動態 vs 中動態」の世界を探ります。そして、アリストテレス、バンヴェニスト、デリダ、アレント、ハイデッガー、そしてスピノザなど哲学者から中動態の世界を検証しようとします。

ボクは世の中にはグレーしかないと思っています。純粋な黒や純粋な白はない。能動態と受動態が対立する世界では、白黒をつけたがる。しかし、実際にはグレーがほとんどだから、言葉はどこか空回りしてしまいます。ボクらはグレーを表す言葉を失ってしまったからなんですね。

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