力の抜けた文章を書く
1月下旬の北関東はまだ寒いです。グレーのカーテンのような雲が空をのっぺり覆って、風も容赦なく冷たいです。
金曜日、久々に一日休みを取れました。いつも通りに起きて家事を済ませました。加湿器のクエン酸洗浄をして、溜まったAmazon段ボールを片付け、食器と洗濯物を片付け、ひと休み。
家事はストレッチ、ですね。普段の仕事は身体が硬くなるものばかりで、休みの日に家事をすると、やっと身体がほぐれてきます。
午後は近くのカフェに行って本を読みました。お昼どきを避けてきたのですが、それでも普段より人が全然いません。人がいないカフェは面白いですね。机や椅子や照明なんかが、背景からニュっと顔を出します。壁一面の大きな窓ガラスから差し込む日の光が、机や椅子の影を作る。
なんというか、力の抜けた文章を書くにはどうしたらいいのかなと、最近考えています。力を抜いて書く、ってどういうことなんでしょうね。
手持ちの本から文章をお借りして、少し考えてみます。
お二方とも哲学者の國分功一郎さん・千葉雅也さん「言語が消滅する前に」で、レスネスの話を読みました(p173 クール、レスネスの遊戯空間)。他人と接するとき、自分の実存を10かけることが社交ではない。自分を7か8にして他人と関わるのが社交だ、というわけですね。
現代詩作家である荒川洋治さんの「文学は実学である」。おかのうえの波(p59)で、文章を書くときの心がけについて書かれています。
①知識を書かないこと
②情報を書かないこと
③何も書かないこと
この心がけは、筆者が詩を書いていることに関わりがあるかも知れないとも言っています。
"「持てる」ものを排除して見えてくるものをこそ求めようとする。"
哲学者の千葉雅也さん、美学者であり庭師の山内朋樹さん、読書家の読書猿さん、編集者・ディレクターの瀬下翔太さんの「ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論」。人類学者レヴィ・ストロースの書き方が紹介されていました。
まずはザーッと文章を書いてしまう。審問の目を挟まずにザーッと。ひとかたまりの文章ができたなら、その後で整えていく。エモノを斧からノコギリ、ノミと変えていく。初めから細かく整えてない。
読書猿さんのブログでは、画家と細工師の例えが出てきますね。
この本ではnoteについても触れられています(p218)。
"noteは「許し」のある執筆環境なのかもしれないです。"
"noteはエディタから最終的に公開される画面まで、全体的にてきとうでも大丈夫。赦しのサービスだなと感じます。"
野矢茂樹さん「哲学な日々」。読んでくれる相手のことをリアルに想像すること、そして読んでくれる相手が「物分かりの悪い」人でなければならない、と書いています(p84)。
國分功一郎さん、千葉雅也さんの「言語が消滅する前に」の「他者に依存していることを認める(p174)」から。
人間が思考するときは、必ず他者のイメージや他者の言語を参照している。そうやって主体化している。人文学者はこれを「歴史性」という言葉で示していて、あるテキストに依拠して語る、ということをしている。
さて。一通り眺めてみて、じゃあ力の抜けた文章とはなんだろう。うーん。
校閲を挟まず、出たものをそのまま書くこと、ではないと思います。言葉の厳しさを受け入れる、言葉による否定を一旦引き受ける、という段階はおそらく必要です。軟弱な文章と、力の抜けた文章は違う、ということなんだと思います。では、軟弱でない文章はどうしたら書けるのか。うーん。分からない。「どうしたら」に含まれる、操作している感が薄まらないと、それは難しいんじゃないかと思っています。なんにせよ分からない。修行ですね。
書き始めてしまったら、どこかの段階で必ず、賭けに出る必要に迫られる。諦めて飛び越えなくてはいけないフェーズがくる。
わたしは賭けが苦手です。自分のあずかり知らないところで、勝手に物事が動き出してしまうのが怖い。おかしなことを書いて、変な人だ、と思われるのも怖いです。引用が多くなってしまうのは、そういうところに原因があるのかもしれません。だから文章をザーッと出す、それだけのことがとても難しい。それだけ、とは言えないわけです。どうしたって止まってしまう。
書きたいことがむくむくと湧いてきても、文章を書いていると、ブレーキがかかる。フリック入力する親指を、意識が止める。そんなことを書いていいの?書いてどうするの?意味があるの?
我執との付き合いは難しいですね。自分の自意識に足を絡め取られてしまいます。このコロナ禍は、我執との付き合いが非常に難しいのだというのを、鮮烈に突きつけてきます。
今日はとりあえずこれくらいにします。
カフェから出て、晩御飯の買い出しです。お昼頃とは打って変わって、晴天。地平の端にクロワッサンのような雲がモコモコと流れていきます。
今夜はチャプチェにしました。カリカリに焼いた目玉焼きを乗せて食べる。今週はハードだったので、牛肉を買うことを許しました。もう少しピーマンを入れてもよかった。
いい一日でした。
(ねこやなぎ)
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