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年の暮れに(日記)


2021年が終わります。この一年はあっという間でした。厚みのない一年、という感覚でしょうか。

書くことは、断続的に続きました。ある程度勢いで書けるようになってきた。でなければ大晦日の夜、紅白が流れる中でふらっと書き始めることはなかったと思います。

昔より明らかにテレビを見れなくなりました。内在できなくなった、という方がしっくりきます。何やかんやツッコミの言葉が浮かんで、メタ的なモードで見てしまいます。テレビに対して同一化の程度が下がったのかもしれませんが、家族とテレビを見ていると、何となく退屈で寂しくて、不安な気持ちになってしまいます。

思えば1年間、そんな心持ちでした。仕事をしながら、このままで大丈夫なのか、この生活を続けていて大丈夫なのかという不安がむくむくと育った一年でした。

コロナ発生の偶然性、を思います。震災を思い出すとき、自然災害の偶然性、というワードがまず浮かびます。コロナは、それとは違いますね。

でも、そんな中でも、動けるようになってきました。収穫です。とにかくやってみよう、動いてみよう、と決めるまでの時間が短くなった。有限性に身を任せるのが早くなった。

おそらく、仕事を始めて数年が経ったこと、そして30代が近づいてきたことと関係があると思っています。若い頃よりも、細かいところが気にならなくなった。昔は街に出るだけでも、身だしなみは大丈夫か、声の調子は変じゃないか、忘れ物はないか、予定は頭に入っているか‥と、神経質に気にしていた。お店に入って店員に声をかける、なんてもってのほかでした。当時の僕には一大イベントでした。

で、それが最近無くなってきた。周りを気にしすぎず、行動できるようになった。これには、加齢に伴って疲れやすくなったという、当たり前の事実が、おそらく影響しています。

実家にも何冊か本を持って帰りました。本がないと過ごせなくなってきました。そして帰省してから古本屋に行き、2冊出しました。自覚はありますが、病的ですね。

大晦日は何やかんやハレの日ですね。おせちが届いたので、メニューを一つ一つ見ながら、ちょっとずつつまみ食いしていました。田作りが思ったより苦くて、あれは小魚の内臓の苦味なんでしょうか。

テレビから津軽海峡冬景色が流れています。2021年も終わります。自分の欲望を相対化すること。行動的であること。そして何よりも、他人との、敵対的でないあり方を探ること。これからの目標です。

来年は良い年にします。良い年になってほしい。
みなさんの一年も良い年でありますように。

(ねこやなぎ)


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