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青空文庫と2月のはじまり
春の気配ですね。冬の寒さが緩んできました。今日は雨の中買い物に行ってカヌレを買ってきました。
残業が終わり乾いた12月の寒空の下を歩いていたとき、道端の樹と街灯がちょうど重なるように立っていて、街灯の白い光に照らされぼんやり浮かび上がる樹形と、樹形に沿った影の模様が綺麗だったのを覚えています。
胸のつかえが取れるようなスッキリした朝の空気のなか、雪のうっすら積もった畑に木の柵が立っていて、足元には雪が解けずに残っている。白菜の脇で残った雪の形は、柵の落とす影とは少しだけずれていました。今日も太陽は空に登るんだなあと実感して、仕事に向かいました。
荒川洋治さんの「霧中の読書」を読み、登場した作品について調べています。そうすると青空文庫の良さに気がついて、スマホにアプリを入れ、いくらか作品を読んでいます。
国木田独歩の「忘れえぬ人々」。冒頭の風景描写が印象的で、読んでいて気持ち良いものでした。
草鞋の足痕に溜まった泥水にすら寒そうな漣が立っている。
登場人物の視点ではなく、作者の(作品内だと神様の)視点です。こういう文章を書けたら楽しいでしょうね。
原民喜の「沙漠の花」。自分のために文章を書いているんじゃないか、という視点に納得しました。
だが、はたして私自身は私の読者なのだらうか、さう思ひながら、以前書いた作品を読み返してみた。心を込めて書いたものはやはり自分を感動させることができるやうだった。私は自分で自分に感動できる人間になりたい。
何のために文章を書くんだろうと思う時間があって、それはひとつ誰かに読んでもらいたいというのがあるんですけれど、ただたくさんの人に届いてほしいというよりは、その人も何かしたくなるような、もっと言うとその人もその人を肯定できるような、そんなものを書いてみたいと思うわけです。
そんな目的で、自分にも宛てて文章を書いている自覚があります。それは自らと他を分ける、どうしても分けられてしまうような部分を拒絶するのではなくて、丁寧に観察して記述することで、達することができると、そう思います。
2月はなんだか眠くなる日が続いて退屈を持て余し気味でしたが、読みたい本はいくつかあるので、ゆっくり向き合おうと思います。
(ねこやなぎ)
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