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江戸時代を書くことの恐怖と楽しさ

※『菊乃、黄泉より参る! よみがえり少女と天下の降魔師』の制作裏話も含みます。執筆の裏話は知りたくないという方は、どうぞご注意ください。


小さいころ、『殿さま風来坊隠れ旅』という時代劇にドはまりした。
理由はというと、主演のおふたりがかっこよかったから……ではなく、隠密として登場する、京本政樹さんの演じる村垣市蔵が、べらぼうに色っぽかったからです! ハイ!!

黒い着物。長髪ポニーテール。
主人公ふたりを影ながら助ける公儀隠密。
冷ややかで生真面目かつ色気たっぷりの、あの流し目……。

村垣市蔵が出てくると、テレビにくぎ付けになったものです。

とはいえ、「時代劇」から「時代小説」へと興味が移ったのはかなり後。
二十代になり、宇江佐真理さんの『雷桜』に出会ってからのことでした。

昨年、江戸時代を舞台にした時代ファンタジー小説を上梓した身ではありますが、時代小説というジャンルは、私のなかでは長らくハードルが高かった。
なにしろ、専門用語が多い。
とくに、「小説なら、西洋ファンタジー小説がいちばん好き!」という小学生時代をすごしてきたので、馴染みのない言葉や地名が多く、ページをめくるごとに「これはどういう意味だろう」と辞書を引くはめになってしまった。

それでも、宇江佐真理さんの時代小説を読んで、その魅力にはまった私にとって「いつか時代小説を書く」というのはひとつの大きな夢になりました。
そして実際に、『菊乃、黄泉より参る! よみがえり少女と天下の降魔師(角川文庫)』を書くことになるわけですが……

やっぱり、そのハードルの高さときたら天下一品!

まずもって江戸時代は長い。約260年もある。
現代でいったら、音楽ひとつとっても「レコード」から「ダウンロード」まで至ったのは、わずか40年ほどだ。
260年なんていったら、最初と最後とでは、文化も食生活も言語までもが変わってくる。それをひとくくりで「江戸時代」と呼ぶ。
でも、「時代小説を書こう! 時代は徳川綱吉の頃!」と決めた当時の私は、その当たり前すぎる事実に気づいていなかった。

好きな時代小説は、宇江佐真理さんの『髪結い伊三次捕物余話』や『斬られ権左』。

時代ファンタジー小説では、霜島けいさんの『九十九字ふしぎ屋商い中』シリーズ。

どちらも、私が書こうとしている綱吉の時代からは、おそらく100年以上の隔たりがあるという事実に気づいたのはいつだったか。
たしか最初に違和感を覚えたのは、「畳」について調べていたときだった。

「あれ? もしかして綱吉の時代って、庶民は畳を使ってない……?」

さーっと、血の気が引いた。
時期としては、角川文庫キャラクター小説大賞に『菊乃、黄泉より参る!』を投稿する一か月ほど前の段階だったと思う。
そこからは、ひたすら一単語、一単語、調べなおす日々がはじまった。

「待って。この時代、正座すらない? 片膝立てて座る感じ? 男性も? いや、武家は正座か? 庶民は? え、あぐらってあり!?」
「長屋はもうあるよね。ああ、ある……。あれ、入り口って腰高障子でいい? 畳ないなら、なに敷いてた?」
「わーっ、この地名、綱吉の時代に存在してないー!」
「地理の参考にしてた江戸時代の地図って、江戸後期!? あれ、このお堀って、いつ作られた!?」
「庶民の服は、麻ですか、綿ですか、なんですかーっ」

「……この物語展開、そもそもこの時代にあり得るのか……?」

いちばん恐怖したのは、物語が破綻する級の時代考証ミスを見つけてしまうことだったけど、こちらは大丈夫でした。ほ……っ。
いや、時代考証上、問題なかったというよりも、「この時代の、○○に関する文献はいまだ発見されていないため、わからない」ということがわかったというべきか。
「文献がない」「わかっていない」という事実の大切さを痛感させられました。その空白にこそ、創造の余地があるんだ、と。

最終的に、読んだ資料の冊数はなかなかのものとなりました。
それでもなお、時代考証には最後の最後……受賞後の改稿から、校正に至ってもなお苦しめられた。

とくに、ゲラの段階で「ぎゃーーーー!」となったのは、二点。

一点は、読んでくださった方は覚えていらっしゃるかもしれませんが、登場人物のひとりである「鶴松」に関して。
綱吉の時代、「鶴字法度」というものがありまして。
綱吉が娘の鶴姫を溺愛するあまり、人々に「鶴」の字を使うことを禁じたものです。
この存在を、まったく知らなかった私。
知ったのは、入稿直後でした。今作とは関係なく読んだ江戸時代の資料に、そういう記述があったのです。

「え、え、井原西鶴さんもいるし、大丈夫だよね……?」

見つけた瞬間から、無我夢中で資料をあさりまくりました。
同時代の作家である井原西鶴も、しっかりこの法度のあおりを食って、一時期、改名を余儀なくされていました。
そして、地名に使われる「鶴」も「亀」に置きかえられるなど、現代にまで爪痕を残すほどの影響力があった法度のようです。

まずい。この時代に「鶴松」って名前は、もしかしてあり得ない。

しかも「鶴」だけならまだしも、鶴「松」です。綱吉の子供の名前がまた徳「松」。
……鶴松や。なぜピンポイントでそんな名前にしたの。綱吉さんへの嫌がらせかなにかなの。

……あ、嫌がらせなのか!

当時、庶民はかなりこの法度に怒り心頭だった、井原西鶴もあの手この手で「鶴」の字を使おうとした、という史実を見つけ、「あえて『鶴』の字を使っている」というほうに持っていきました。
持っていったというよりも、鶴松が「んなもん、嫌がらせに決まってんでしょーが」と教えてくれた感じでした。
そしてミス発見から数時間後、担当さまに経緯を説明し、版面を崩すことなくゲラ校正時に対応することをお伝えし、了承を得たのでした。
結果的に、このくだりは読んでくださった方からも好評で、なんだか妙に嬉しかったです。鶴松、やるなあ。

そしてもう一点は、「日本橋の商家の屋根は、瓦葺きではない問題」。
私が江戸時代を書くにあたって、どうしても書きたかったもの……それは、商家の密集地で屋根のうえを走りまわるシーン。
昔から憧れだったのです。屋根のうえを走らせることが。
こちらも入稿時、瓦屋根としていたのですが、それこそ入稿後に読んだ資料のなかに出てきてしまった……。
明暦の大火後、日本橋の商家の屋根は、瓦→こけら葺きになったよ、と。

こ……こけら葺きの屋根の上って、走れるかなあ……(遠い目)
こけら葺きについて調べ、構造や強度を調べ、「大丈夫、走れる」と思えるまでには、そこそこ時間がかかりました。い、胃が……。

江戸時代、怖い。怖すぎる。

でも…………楽しい!

知れば知るほど奥が深い江戸時代。なんて面白い時代なんだろう。
その後、校正士さまからも、本当に助けになるご指摘をあれこれいただきました。
その中で、時には「これは、時代小説をあまり読まない方が読むにはストレスになりそうだから、あえて無視します」といった判断もしました。
あくまで筆者の判断であり、校正士さまはしっかりと指摘してくださっていたことは、ここに記しておきます!(敬服)

そして、もうひとつ、大切なこと。
発掘の仕事の中でも、調査する機会の多い江戸時代ですが、実際に土を掘ってみて気づくのは、「わかっていないことがすごく多い」という事実。
掘るたびに、それまで当たり前と思っていたことが、じつは間違っていたのでは、と気づかされる。
一般に言われる江戸時代像は、案外、毎日のように覆されていたりするのだ。

それを思えば、読者さまに違和感やストレスを与えない範囲内であれば、より大胆に創造の翼を広げてみるのもいいのかもしれない、なんてことを考えたりもするのでした。
そういう意味でもまた、江戸時代に計り知れない奥深さを感じさせられる。

遠くて近くて、近くて遠い江戸時代。
いつまでもあの謎めいた時代に魅了されていたい。

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