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お金に振り回されない生き方 【投資について語るときの愛と追憶】 

 投資ネタでコラムを書いているくらいだから、まるで、私は世の中すべてを「カネ」というような切り口で分析しているように見えるかもしれない。半分正しく、半分途方もなく違う。
 お金は、人生の不便さや不都合さを解決する手段を提供してくれる。例えば、タクシーに乗れば、歩くより早く目的地に到着する。病気に買って病院にかかれば、薬局で買うより治療効果の高い薬を処方してもらえる。
 また、お金はその価値を他の様々な価値に交換してくれる。本を買って読めば、作者の知識や経験を共有することができる。お金を払って旅行すれば、未知の体験を得られる。

 お金とは便利な道具である。
 しかし、カネだけでは買えないもの、入手できないもの、体験できないものは確かに存在し、それらは人生において大変に有意義なものである。金で買えないものを得るには、コミュニケーション能力や観察力や様々な知恵が必要となることが多い。このことを示唆してくれる実験的な書籍として、「ぼくはお金を使わずに生きることした」(マークボイル著)を取り上げてみたい。

 イギリス人の作者は、いくつかのルールを定め、自分ではお金を使わずに、食料や電気や交通手段を手に入れ、最後には、大勢の人を招いてパーティをするという一年間の計画を立てる。

 作者の試みた数多くの実践、例えば、コミュニティを大事にしてシェアリングするということやフードロスになるはずだった野菜をもらったり、野生の植物を採集するといった体験談には、素朴ではあるものの、都会の貨幣生活で失われているものをあぶりだす。

 私の八ヶ岳の山荘には、テレビもエアコンもなく、小さな冷蔵庫には、少々の調味料がある程度である。庭に自生するスミレや三つ葉を味噌汁にいれ、山椒を集めて佃煮を作る。近所の空き家のあんずの木から落ちた実を拾い、ジャムを作る。空き地に生えているタラの芽やワラビをバターで軽く炒める。秋には、ハナイグチというバター風味のキノコを探す。栗の実も多く手に入る。近所の人からジャガイモやレタスをもらい、直売所で3本百円のズッキーニを買って、塩焼きにする。リタイヤした70代のマダムが一人で開いているコーヒー屋に立ち寄り、気候や猫の話をして過ごす。こんな具合にゆるく貨幣経済から距離を置いた過ごし方を実験している。家の修繕費は別として、毎月、山荘の維持にかかる固定費は1万円ほどである。

 外資系の金融機関に勤めたり、六本木のIT企業に転職したり、港区の不動産や有価証券に投資してリターンを求めてハラハラしたり、といった経験を経て、自分が向かいつつある生活は、こんなものなのかもしれない。

 あくせく働いて、神経をすり減らし、疲れを知らない微笑みをたたえながら、スマートさを競う東京のビジネスとの対極である。ウグイスやカッコーなどの鳥の鳴き声と水を含んだ甘い樹木の芳香に囲まれた森の世界に、人間の動物的な本能に近い生活能力が覚醒し、森の中で食べられるキノコを鑑定するために、真剣に目を凝らし、嗅覚をとがらせ、図鑑とにらめっこをするのだ。

 今の生活は幸福なのか? 

 お金で得られるモノに囲まれた暮らしはリアルなのか? 

 何度でも周囲を見渡してみよう。自分の手元にあるお金を使って、どんな価値を手に入れたのか、これから手に入れるのか?他人に称賛されるという価値が欲しいのか?高価な時計や車と手に入れたら、幸せなのか? 「Fire」すなわちFinancial Independenceには、お金に振り回されない、という意味も含まれているはずだ。そうであるならば、自分の幸福の価値基準も必要だ。ひたすら資産を形成し、その資産を使うことで、自分が幸せになれないのであれば、お金の下僕の状態が続いているといえる。自分にとって、お金がもたらす価値が何であるかを正しく理解し、どうすれば幸せになれるのか、ということも考えておかなければ、本当の意味で、お金からの自立はできないのだろうか。

執筆:黒猫投資家(猫と人間のほんとうの幸せを探求する女性個人投資家)

猫と人間のほんとうの幸せを探求する女性個人投資家が紡ぐ不動産、株、投資信託物語

過去の記事は、「オールイヤーズのブログ」から読むことができます。

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