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体調が悪い時の考え方(それは梅雨みたいなもの)

体調が悪い時、「自己管理が悪い。1日で治して復帰せねば」とか思いがちだが、それは正しいのか?と考えた話。


ここのところ体調が悪い。寒さのせいなのかな、とか、休みを取れていないからなのかな、とか色々考えるが、よく分からない。ともかくも調子が悪いのである。

そうすると、私の頭の中では、自動的に「早く治して明日にでも復帰しなきゃ」とか「体調が悪いのは私の自己管理が悪いのだから、もっと引き締めて、ここから一刻も早く立ち直る方法を確立しなきゃ」とか「具合が悪いからと言って予定を遅らせていたら終わらなくなってしまう。具合が悪くてもできることを無理にでもしなければ」などの考えが湧き上がってしまう。

ちょっと待て。それは本当なのか?


人にはバイオリズムというものがある。調子のいい時もあれば、悪い時もあるだろう。自然の流れだ。それを、「調子の悪い時は都合悪いから1日で終わらせて、調子の良い日ばかりにしよう」なんて、人間という生物の、脳内のちっぽけな都合だけでできるのか。動物の体はそれそのもののリズムもあれば、環境などの外的要因、大きな自然の中に呼応して生きている。「自分の体調は自己管理できる」なんて考えは、本当か? 大きなリズムを無視していないか?

「自分の体の調子にはリズムがある」「外的要因に合わせて調整することで、リズムに適応しやすくなる」くらいが、せいぜい人間にできることではないのだろうか。

闇雲な根性論ではなく、自然の流れに合わせて自分の周りを調整して適応すること、流れに沿うこと。それがせいぜいで、「今日1日で治さないと」と考えたって、人間の勝手もいいところだ。自然に合ってない。自然の流れへの自分の体・心の反応をよく感じて、大らかな流れの中でどう流れていったらいいのか感じてやってみる。そのくらいしか意味ないんじゃなかろうか。


言うなれば、「梅雨は困るから1日で終わらせよう」とか考えても仕方ないということだ。梅雨は毎年来る。自然のリズムだ。それを人間の都合で1日で終わらせられるか? 「明日には治して復帰しなければ」なんて、そんなことを言うようなものだ。仮に無理に1日で梅雨を終わらせられたとしよう、その後、リズムを崩したことでの問題は起きないか?

「梅雨を1日で終わらせよう」と考えるのではなく、「梅雨には梅雨の過ごし方がある。どう過ごせばいいのか考えよう。梅雨の時期に合った過ごし方を感じて、心と体に聴いて、自分なりの適応方法を見つけよう」と言うのが、正しい梅雨の過ごし方ではないのか。


少しずつできることをしながら、回復を待つ。回復を早めるために、お風呂に入ったり暖かくする、できるだけ寝る。そもそもの話として、「1日で回復するのが社会人としての自覚」とか言うような前時代的で阿呆なことを本気で言うような環境には身を置かない。…ということが大切に思える。


この調子の悪さを、「梅雨時の過ごし方を模索する時」と考えて、ゆっくり回復方法を探っていきたい。なお、遅れてしまうと焦った事案は、一呼吸置いて冷静になってみれば、具合が悪くても、無茶をしないで少しずつ進められるし、そうすれば別に問題ないようだと気づいたところである。案外そんなものか。

しばらくゆっくりとやっていきたい。


楽しんで頂けたなら幸いです。ご寸志、受け付けております。