沙羅双樹と僧侶の物語
ある僧侶は言った。
『たとえ、咲いて一日で落つる命だとしても
生を生きて現す白い花は、美しい。』
精一杯、天を向き咲き誇る夏椿を見て
僧侶は優しく触れた。
生は、儚いのか。
『師に教わったのは、強く生きてこそだと
聞いたが。』
その僧侶は、海を隔てた島を見て懐かしい誰かへ思いを馳せているようだった。
ある島で出会った、歌を奉じる少女のことを思い出していた。
暗い部屋に居た少女は、祭りの日だけ外へ出ることを許されていた。
それは、この港町の掟だった。
細い腕を精一杯伸ばし、美しい歌を奉じる少女は、いつも笑っていた。
傍にいる老女ふたりも笑っていた。
気づけば、そんな少女と話すようになった。
そして、この島に訪ね来てからいつしか、自分も少女に惹かれ逢瀬を重ねた。
道に反していたこともわかっていた。
そうして、国に帰る時が近付くと少女は、暗い部屋から出て来なくなった。
村人から貰った柑橘を少女へ渡してほしいと、国へ帰る最後の日に老女に渡したことが少女との思い出の最後だった。
だんだんと、小さくなっていく少女のいる港町に少女との逢瀬を思い出しては夏椿を重ねた。
『沙羅双樹の花の音は、いまもこの我が心に刻み込まれている。
沙羅双樹は、この国でも美しく生きている。
少女は、幸せだろうか。
あの美しい歌をまだ響かせているだろうか。』僧侶は、呟いた。
小さな島の港町では、新しい生命が紡がれ、少女の腕には柔らかな温かさが生きていた。
少女の歌を守り歌に、時に微笑み、安らかな寝息をたてながら。
生命は、紡がれる。
沙羅双樹は、生は儚いものか。
否。
紡がれ生きる生こそ巡り
思いは血となり受け継がれていく。
受け継がれた思いは、記憶となりて
微かなものとなっていく。
それは、いまもどこかで歌っている。
沙羅双樹が風に揺れ動く様は、
陽に照らされ美しく咲き誇る様は
歌うように、幼子をあやすように。
『生きてこその生だ。』
僧侶は、沙羅双樹を見つめて言うと
寺へと戻っていった。
風に揺れる夏椿は、優しく僧侶を見つめていた。
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