会津若松城 ~氷の城の紙芝居~
最初の一人旅は福島県、の会津若松。
会津といえば会津若松城、会津若松城といえば赤瓦…だけども、
当時はそれよりも雪景色のイメージが強かった。理由は今も分からない。
始発電車に乗って数時間、いくつもの乗り換えを経て到着。
城の外観のような駅舎。会津若松城の修復に合わせて改装したみたいで、東北の駅百選に選ばれてるとか。
着いたのが夜だったので、観光は翌朝に。
そして翌朝、時期は1月という真冬、引くほど寒い。
水堀もキンッキンに凍ってやがる…!
石を思いっきり投げつけたら石の方が砕けそうな分厚さだ。
天守も雪化粧どころか氷漬け!
ドラクエの中盤の山場のダンジョンみたいだ。
実はこの会津若松城、地元では違う名前、鶴ヶ城と呼ばれてる。
元々は南北朝時代に築城された黒川城という城だったけど、豊臣秀吉の奥州仕置で蒲生氏郷がやってくる。
そして城を大改造!
地名を“若松”、自分の幼名から取って“鶴ヶ城”へ改名。
そんなんで今でも地元からは鶴ヶ城と呼ばれてるとか。
それが何故、全国では会津若松城と?
それは鶴ヶ城って名前、全国規模だとちょこちょこあるから。
蒲生氏郷も何とも言えない顔をしてるだろう。
そして戊辰戦争でも激戦地だったのに持ち堪えた堅城で、その中でも有名なのが山本八重。
何年か前の大河ドラマ“八重の桜”の主人公だ。
天守の中では山本八重の戊辰戦争時の活躍を紹介する紙芝居も。
案内の人に薦められて見たのだが…
朝早い、
1月のオフシーズン、
客は自分一人だけだ。
自分も芸人で知名度も人気も皆無なので、客が一人のライブもあるっちゃある。
だから分かる。やってる方も地獄だと。
なので「へー」や「そうなんですねー」といった合いの手を入れたけど、棒読みすぎたのか気を使ってるのが伝わってしまった。
係の人が申し訳なさそうに会釈をしてた。
そしていたたまれない空気の中、紙芝居は終わった。
…これは誰も悪くない。タイマンだったからこうなっただけだ。内容は普通に面白かったし。
現に後で来てた家族連れの時には全員楽しんでたし。
戊辰戦争で焼けた阿弥陀寺、の仮の本堂として明治に移築されたみたい。
ちなみに阿弥陀寺には新選組の斎藤一の墓がある。
そして会津若松には、日本どころか世界的にも珍しい建物がある。
それは二重螺旋構造の“さざえ堂”。
これが会津若松に来たもう一つの理由。
極寒の中、さざえ堂のある飯盛山へ。
なんてこった!