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『ブロッコリー・レボリューション』 岡田利規

柔らかい色と謎の絵柄の美しい表紙を眺めて楽しく、読めば文章を追う悦びに陶酔できる、良質で個性的な一冊。
純文学好きで、なおかつ心理小説、実験小説などが好きな方には、猛烈におすすめしたい。

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表題作は、情緒不安定でDV気味の夫(だろうか、恋人だろうか)から逃れてタイに飛び、バンコクのアパートメント型ホテルに滞在している「君」に夫か恋人である「ぼく」が語りかけているという形の作品。
語りかけるとは言っても、その内容は、神の目のように「君」の行動を逐一詳細に述べているもので、その描写はバンコクでの生活だけでなく、こっそり家を出て飛行機に乗ったその一連の行動の細部から、「君」の心の中や頭の中の思考にまで至る。まるで「君」自体が「ぼく」の創作物のようである。

創作物という感覚を与えるもう一つの要素が、冒頭から最後まで何度も繰り返し発せられる、「ぼくはいまだにそのことを知らないでいるしこの先も知ることは決してないけれども、」という言葉だ。つまり彼は、自分は知らないが、と前置きをしながら「君」の行動を事細かく見ているかのように語るという矛盾した状態にあるのだ。
その不気味さに加え、この言葉の繰り返しがまたしつこく、うすら寒さを醸し出してもいる。

独特の文体というか、文の構造も面白い。
英語ならばwhichで繋げられる付加説明部を、「た」という語尾で統一して一文の中に多用して挿入している。と、言葉で説明すると何のことやら意味不明なのでこれはもう実際に読んで体感してもらうしかないのだが、この独特の読み心地が一種の催眠効果のように、読む者を文章世界の中に絡め取っていく。

「君」のバンコクでの行動は、描写は粘着質なのだが、しかしそれ自体は癒しの儀式のようで穏やかな美しさを持つ。
対照的なのが、東京に残された「ぼく」が怒りと焦燥感に駆られて自暴自棄になっていく様子だ。
「ぼく」は執拗に「君」にメッセージを送り、一向に返事もなくその動向も掴めないことに苛立ち、壁を殴り奇声を発する。
そんな自分の行動を語りながら、自分勝手な論理と、「君」をなじる身勝手な言葉が挟まれていく。
(ほら、こうしてぼくはまた自分で自分のことを制御できない状態になっていってしまう。きみのせいだからな。)

「君」は本当に存在するのか、そもそも語り手である「ぼく」自体が存在するのか。
読者は煙に巻かれたまま放置される。

美しい、悲しい、怖い、不気味、奇妙。
読んで引き出される感覚は様々だ。
一読しただけでは腑に落ちない、隠れたメッセージや新しい焦点がたくさんありそうですぐに再読したくなる、そんな作品である。

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他にも、徒歩で進むようなゆるやかな語りのスピードが心地よい「楽天的な方のケース」、星新一的な出だしの「ショッピングモールで過ごせなかった休日」など、一人称視点と三人称視点が自由に入れ替わる独特な文体の、奇妙な読み心地の作品が収められている。

作者は映像作品やパフォーミングアートを手掛ける芸術家。
多数の賞を受賞し、海外でも評価が高いことに心から納得である。