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『すきまのおともだち』 江國香織

子供にとって世界はシンプルだ。
「がっこう」と言えば自分が通っている学校のことだし、「えき」と言えば、基本的に特定の一つの駅のこと。一般名詞に固有名詞的な扱いをして事足りる世界に、子供は生きている。

成長するにつれて、「学校」も「駅」も様々なものがあることを体得し、さらに「学校」、「仕事」、「家」には希望、選択、妥協、満足その他様々な要素が付随することも知る。生きる世界は複雑に煩雑になっていく。

もし、永遠にひたすら子供の生きる世界のようにシンプルな世界があったら、どうだろうか?

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この短い物語の主人公「私」は、若く溌剌とした新聞記者だった時に、突然ひょっこりと不思議な世界に入り込んでしまう。
そこで彼女を「お客さま」としてもてなしてくれたのは、たった一人で暮らしている不思議な女の子。
その世界には映画館も郵便局も海もあるが、どれも私がいたはずのもう一つの世界とは繋がっていない。鉄道も存在するのは一つだけ。それが山手線のようにぐるっと回って、それだけで世界は完結している。

・・・私たちは乾いた砂に腰をおろしました。女の子が手提げからハモニカを取り出します。
「海に来るなら、どうしたって楽器が必要でしょう?」
にっこりして、さも当然のようにそう言いました。
「あなたの分もあるのよ」

二人が海に出かけた時の、このくだりが好きだ。絵本のような世界の甘やかな摂理が心地よい。

少しずつその世界を知り、不可思議ながら馴染んでゆく私だが、何日もしないうちに、お別れは突然訪れ、私は元の世界に戻っている。

その後も、結婚し、子供が生まれ、人並みに順調に過ごす人生の要所要所で、私はひょこりひょこりと女の子の元へ飛び、短期間「お客さま」になるのだ、というお話。

時間の進みのないそちらの世界で、永遠に女の子のままの女の子と一緒に過ごす数日間は、現実の世界の時間としてはカウントされない。0秒間の経験だ。
これは、仕事や結婚、出産などで世界が複雑化していく「私」の人生の中で生じる、単純だった世界へのノスタルジアのメタファーのようにも読めた。
幸せながら重くなっていく生活の上で、それは泡のように生まれてははじけ消える。固執してしがみつきたくなるような病的なものでないのは、現実世界が幸せであるからこそか。

最新の訪問の際に、私は女の子をそちらの世界での小旅行に連れ出す。
初めての旅行での経験を女の子は楽しむが、それでも帰宅の朝は喜びいさむ。

「旅はもちろん楽しかったわ。夢みたいだった」
うっとりと、と言っていいような表情で、女の子は続けます。
「でも、旅をおえて家に帰るのは、素晴らしい気分のものじゃない?」

女の子もまた何かを学び、それを読む読者もまた何かを思う。

さらっと読んで心地良く、ちょっと深読みするのもなかなか面白い、旅のお供にもおすすめの一冊だ。
こみねゆらのメルヘンチックな挿絵も美しい。