見出し画像

『われら闇より天を見る』 クリス・ウィタカー

15歳の彼らは完璧な4人組だった。
不良のヴィンセントと美しいスター。ヴィンセントの親友ウォークと、その恋人マーサ。
しかし4人の輝かしい日々は、ヴィンセントが酔ったあげくの自動車事故でスターの妹を殺めてしまった事件を機に、永遠に失われてしまう。

物語はその30年後、刑期を終えたヴィンセントが地元に戻ってくるところから始まる。
15歳という年齢にも関わらず刑務所送りになったヴィンセントは、刑務所内での殺人などのため長い刑期に服していたのだ。

ウォークは地元で警察署長となり、スターも同じ町で、2人の子供を持つシングルマザーになっている。マーサは、地元を離れて弁護士になった。
スターは妹の死とその後の家族の崩壊から立ち直れず、アルコール中毒になり荒んだ生活を送っている。
そんなスターを保護し、彼女の子供達にも目をかけているウォークは、戻ってきたヴィンセントと再び親密な繋がりを築き、彼ら皆が過去を消化し、新しく平和な日々を作れることを願っているだが。。。

*****
物語は、2つの軸で展開される。
一方の主人公はウォークであり、その物語は、ヴィンセントが戻って間もなく起こるまたしても悲惨な事件を追うサスペンスでもある。

「役立たずでいることは第二の皮膚のように体になじんでいた」というウォークは、何も起こらない町で御用聞きのような警察官として、凡々とした日々を送ってきた。
パーキンソン病を抱え、その進行に怯えながら周囲にはそれを隠しているウォークが気にかけているのは、スターと子供達、そしてヴィンセントだ。
意固地なところもありながら、どこまでも誠実なウォークが、マーサだけを頼りに、孤独に難事件に挑んでいく。
物語が加速する終盤の、怒涛の展開が見ものである。

*****
そしてもう一人の主人公は、スターの娘、13歳のダッチェスだ。運命に翻弄されながらも強く逞しく生きる孤高の少女の物語である。

人は生まれを選べない。
過去に起きた悲劇を生まれる前から背負ったダッチェスは、勝ち目のない手を配られた子供の一人だ。
口癖は「あたしは無法者」。美人で口が悪く、性格もキツい彼女は、その強さ激しさを鎧にして生きている。

「さっさとむかしみたいに、“いい子でな”とかなんとか言いなよ。そしたらそっちは先へ進んで、こっちも先へ進めるんだから。あたしたちのなんか些細な物語だよ、ウォーカー署長。悲しくはあるけれど、些細な物語。そうじゃないふりをするのはよそう」

「明日のことを現実みたいに言わないで。明日も自分はここにいるし、あたしたちもここにいるみたいに」

ダッチェスのセリフはハードボイルドだ。そしてそれほどに、彼女の運命は過酷だ。
希望が見えるたびに、それは無惨に打ち砕かれる。これでもかというほどの意地悪な展開に、読むのが辛くなるだろう。

しかし、過酷な展開ではあるのだが、物語は暗くはない。ダッチェスの強烈さが暗さを寄せ付けないこともあるが、子供達に手を差し伸べる善意の人々が多く登場することもあるだろう。
ダッチェスの物語もまた終盤から大きなうねりでラストに向かい、読者の目頭を熱くする。無法者の少女がすっくと立つラストが美しい。

*****
ダッチェスに教会に通う理由を聞かれた祖父ハル(味のある重要な登場人物だ)が答えて言う、「人間のしてしまったこと、するかもしれないこと、それを理解するためだ」という言葉があるのだが、これは作者がこの物語に込めたテーマであるかもしれない。

量的に読み応えはあるが、エンターテイメント小説なので重々しくはない。
あまり考え込まずにぐいぐい読める感動的な長編小説が読みたいという気分の時におすすめの一冊だ。
“we begin at the end”という原題を「われら闇より天を見る」と訳した題名も素晴らしい。