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『ビル・ビリリは歌う』 黒井千次

「内向の世代」を代表する作家であり、サラリーマン小説界の重鎮(そんな界があるならば)、黒井千次の自選短編集『石の話』から、昭和36年発表、著者が20代で書いた『ビル・ビリリは歌う』を紹介したいと思う。

これからお話しするのは、大都会の中心部にたっている或る大きなビルで本当におこった出来事です。
そのビルは、何万人という人々を一日中のみこんで、それでもまだゆったり余裕のあるようなそれは大きなものでした。

どこかおとぎ話のような語り出しで始まる物語。

13階までのフロアーがあり、何万という人々が日々働いているこのビルで、ある日異変が起こる。かすかに、どこからか赤ん坊の鳴き声が聞こえはじめるのだ。
それも1部屋、1フロアーだけの話ではなく、どの階でも、ビルの上から下まで、外線の電話の中にも。。。
当然のこと大騒ぎとなり、警察や消防も出動する事態になるのだが、ことの真相は謎のまま、ただ赤ん坊の鳴き声は小さく大きく聞こえ続ける。そして。

さて、その後、この騒ぎがどうなったと思います?
驚いたことには、これは本当に驚いたことなのですが、騒ぎは次第に消えていってしまったのです。

泣き声が消えたわけではなく、赤ん坊の声は毎日聞こえ続けるものの、いつしか人々はその声に慣れ、「ビルとはそういうものだ」と思うようになったのだ。

ビルとはそういうものだ──これはなんという便利な言葉でしょう。ビルがある晩大声で歌い出したとしても──ビルとはそういうものだ。ビルがある日、毛だらけになってしまっても──ビルとはそういうものだ。ビルがある日、雨ですっかり溶けてしまったとしても──ビルとはそういうものだ。ビルとはそういうものだ・・・・・・。

そうして人々がその状況にすっかり慣れて何ヶ月もたち、もはや赤ん坊の声がしているのかしていないのか、すっかり気にならなくなった頃、またもや異変が生じる。
定年退職を迎えたある社員が、最後の挨拶に部長の机の前に立った時だった。突然、壁の間から澄んだボーイソプラノが聞こえてくる。


青い花 しぼみ 
おじさん 背中に
カビ生える
ビル・ビリリ
  ビル・ビリリ

そして人々は気づく、あの泣いていた赤ん坊が、成長したのだと。

そのニュースは働く人々の心に明るい花を咲かせ、子供が再び口を閉ざした後も、皆は小さく呟くようにビル・ビリリの歌を口ずさむようになる。
そんな皆の心に呼応するかのように、ある時ビル・ビリリが再び歌い出す。


白い 白い 白い風吹いた
どうしてそんなに
働くの
ビル・ビリリ
  ビル・ビリリ

赤い 赤い 赤い森燃えた
あなたのお部屋
ここじゃない
ビル・ビリリ
  ビル・ビリリ

歌に焚き付けられるように、鼓舞されるように狂騒が起き、人々はビル・ビリリと口々に歌いながら、終業の鐘と同時に我先にとビルの外に飛び出していく。

そして翌日。
ビル内での異変により著しく秩序が乱れたことから、<ビル・ビリリ狩り>を行うとの社長の通達が下る。
使われるのは煙にDDTに消毒液。
そして社員は、部長の音頭で「出ていけ 出ていけ ビル・ビリリ」と大きく叫ぶ。
昨日まであんなにビル・ビリリを愛していたのに?
いや、上の命令は絶対なのだ。

このようにして、ビル・ビリリはこのビルから追い出された。
行きたくないけど、しかたがない、出ていけというなら出ていくよ、と歌いながら。
その時になってはっとした社員達が「行かないで!」「待ってくれ!」と叫んでも、もう後の祭りだったとさ。。。

シンプルな、寓話的な作品である。
子供でも読める文章で書かれた短い物語が、ほろ苦い余韻を残す。
集団社会の思考停止を風刺的に描いた悲喜劇には星新一的なブラックユーモアが漂い、またミヒャエル・エンデのシュールな短編に通じる要素も感じた。
ふと感じる牧歌的な味やビル・ビリリの歌の前衛的な歌詞など、作品の持つ当時の空気が今読むと新鮮であり、若い女子社員のかわいらしい仕草や偉ぶった上司の、漫画的でコミカルな描写も楽しい(思い浮かぶ画風で言うと手塚治虫風だろうか)。
独特な魅力を持った一作だ。


この短編集、自選というだけあって粒揃いである。
企業勤めの方が読むと胃がきゅっとなりそうな“ネクタイ禍小説”『首にまく布』、や、ドン引きしつつも笑えてしまう“ゴミ出し変態小説”『袋の男』 、リタイア世代の男の揺れる心をじんわり描く『おたかの道』や『庭の男』など、どれを取っても甲乙つけがたく面白い。