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『夜の魂』 チェット・レイモ

天文学者チェット・レイモによる、宝石箱のようなエッセイ集。

レイモの思考は、個人的な体験と無限の宇宙との間を自由に飛び交う。
友人から届いた郵便を出発点に銀河の中心で強烈な光を出すクエーサーへ、大学の構内で学生の集団とすれ違ったことからは多宇宙の計り知れない世界へと。
その飛行が優美な文章で書き記されたのが本書である。

「知ることはすべてではなく、半分にすぎない。残りの半分は愛することだ。」

レイモは、今世紀初頭のアメリカの博物学者ジョン・バロウズの言葉を引いているが、この先人の言葉を裏付けるように、本書にはレイモの天文学への愛が溢れている。
下記の文章からも、それを伺うことができる。オリオン座をこれほど美しく説明した文章が他にあるだろうか。

巨人の前脚には、ダイヤの輝きのリゲルが光り、振り上げた腕の肩には、ルビーの輝きのベテルギウスが燃えている。もう一方の脚と肩には、きらめくサイフとベラトリックスが輝き、狩人のベルトにはアルタク、アルニラム、ミンタカが白い真珠のように並んでいる。

星々と同じく愛情をもって語られるのは鳥や蝶、草や花だ。詩的に表現された動物や植物は、まるで想像上の生き物のように思える。

キベリタテハは楡の木の中で眠り、ティッシュペーパーのように薄い羽根を、酷寒に対して雄々しくも折り畳みながら、生き永らえ、春の最初の暖かな日光のお蔭で奇蹟的に蘇って、公園に遊ぶ人々に夏の美の素晴らしい一瞥を与えるのだ。

レイモはまた本書で、ソローやボルヘスなど先人達の言葉や詩への言及を多くしている。
哲学者や思想家、そしてたくさんの詩人や文筆家達。彼が引用する彼らの言葉を噛み締め、そこから新しい学びを見出すのもまた本書の楽しみ方だ。
本書に詰まっている叡智は科学的叡智のみに留まらない思索の叡智でもあるが、レイモも繰り返し主張しているように、物理学者と哲学者、科学者と神秘家は、とどのつまりは「目に見えない何か」という同じものを追求しているのだから、これはごく自然なことであろう。

ヨーロッパ人が光る星から星座を作ったように、南半球の原住民の人々は、当時あまりに明るかった天の河の切れ目から闇の星座を編み出したという。オーストラリアではエミュー、ペルーでは狐やラマの赤ん坊など。
それを指してレイモは下記のような美しい文を書いている。

ヨーロッパ人が途切れた光を見たところに、インディアンたちは弾ける闇を見、ヨーロッパ人が道を見たところに、インディアンは獣たちを見た。

そしてレイモは、この地球上に驚くべき多様さで生命が存在している奇蹟に目を見開き、しかし私達人間には紛れもない奇蹟であることも、多宇宙という世界から見たら奇蹟でもなんでもない、と謙虚に言う。

銀河系の数は無限に見えるのに、われわれの怒りは有限である。どんな有限数も、それを無限数で割ればゼロになる。

シュルレアリスム、神秘畑の山下知男による美しい訳と、マイケル・マカーディーの印象的な版画が、内容によく合っている。

本書のコピーライトは1985年。
天文学で解明されている内容はもちろん当時のものであって最新ではない。
だが本書が名作であることにそれは全く影響していない。カール・セーガンの「コスモス」がそうであるように、この本の魅力が知識の古さによって輝きを失うことはない。
知識の新旧で測れない価値がここにある。

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