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『アトリと五人の王』 菅野雪虫

これは生涯で五回も結婚することになった、とある姫君の物語である。若くして嫁ぐのが当たり前の世とはいえ、数えで十歳の初婚から、九年で五回というのは、やや多い。
いったいどんな偶然で、逆らえない命令で、あるいは自分から選んで、五回も嫁ぐことになったのか──それは、読んでのお楽しみ。

(序章)

小さな王国「東琴」の姫アトリは、継母である王妃に蔑まれ、9歳の時に、厄介払いのように、辺境の滅びゆく国の領主に嫁がされる。
まともに会話もできない愚鈍な姫と思われていたアトリは、この初婚を機に大きく成長するのだが、運命の翻弄が続き、その後何人もの夫と短い婚姻を繰り返すことになる。。。
架空の王国を舞台にした、一人の王女の物語。
体裁は少女向け小説ながら、政治、民衆、人の心、そして女性の生き方を鋭く描いた本書を、大人の目線で読んでみる。


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強い者の弱い者への無関心は、暴力です

ほんとうの暗闇を知ったら、わずかでも光があることに感謝できる

アトリのセリフには含蓄がある。
とても10歳そこそこの少女の言葉とは思えないが、アトリの過酷な運命を追っていると、そのセリフは自然に心に響いてくる。

アトリの生き方は、古風な「女の生き方」である。近代的な、男と並んで戦おうとする強い女ではない。
その真逆の、男の影に生きる女だ。父や夫に従い、結婚に翻弄され苦い涙を流す。
だが、そんな古風な女の人生にヒロインを置くことで、作者はこの作品に、女性が生きていく中できっと経験する不条理や困難を上手に織り込んでいると感じた。

人生は短いのです。嫉妬や憎しみや、自分への憐れみにおぼれていれば、またたく間に、時は過ぎてゆきます。

自分の考えを変える気のない相手に、認められようとするほど、空しいことはありません。

子供向けとは思えない言葉は、まるで主婦向けの人生相談の回答だ。

才気ある若い王たちやヒロインを支える心根の立派な若者といった、少女小説らしいキラキラした登場人物の脇で、妙にリアルな人物像がチラリと光るのも面白い。
その一人であるアトリの父は、なかなかに人間の機微を感じさせる人物だ。言うならば真っ当で善い人間だが、鈍感でいいかげんな面もある。そしてアトリは、父の良いところを十分知りつつも、そのいいかげんさが過去に自分を傷つけたという点で彼を許していない。
リアルでほろ苦い、大人向けの人間描写である。

さて、古風なアトリに対して、近代的な自立した女性像を体現しているのが、アトリの義母妹カティンだ。
美しくおとなしい姫であったカティンは、だが予想に反して政略結婚の道に従わず、流行作家として一人で身を立てていく。
そのカティンとアトリとのやりとりでひとつ、思わず立ち止まった箇所があった。

元夫である王から裏切りを責められ窮地にあるアトリは、一時実家に戻っていたが、命を落とす危険を承知で、民のために夫の国に戻ると決めている。そんなアトリを、カティンが止めようとする場面での会話である。
「まだ子どものあなたのことを、滑稽な歌ではやしたてて笑っていた。民なんてそんなものよ」と言うカティンに対して、アトリは言うのだ、「そういう民があなたの本を買ってくれるんだよ」と。
民衆とは情のない厄介なものでしょうと言うカティンの、言下に彼らを見下す気持ちを、アトリは改めさせるのだ。

この会社の奴らなんて。
この学校の教師なんて。生徒なんて。
うちのバイトなんて。
ここの客なんて。。。。
他者を「なんて」と思う気持ちは実は私達の日常にいくつも潜んでいるかもしれない。
そうやって相手を見下してしまえばそこで断絶が起きる。

アトリがもし「私はそんな民を信じる」というようなきれいな言い方をしていたら素通りしてしまうかもしれない場面だが、「そういう民があなたの本を買ってくれるんだよ」という表現に、はっと立ち止まって考えさせられる。

物語の最後、アトリは最初の結婚の地に帰る。
「故郷は生まれた場所じゃない。自分が一番大切にされ、一番大切にしたい場所だよ」と言って。

子供向けというくくりには入れたくない、大人にこその読みどころが多々あった。
起伏に富んだストーリーにぐいぐい引き込まれ、アトリの名言にうなる。充実の大人読みができる一冊だ。