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2.

「ダン課長、お呼びでしょうか?」

 ヤマトは、捜査一課長の部屋に足を踏み入れた。

 ダン課長は、奥のソファに腰を下ろして、白い細い棒を口に咥えている。

「ダン課長、煙草ですか?警部のレトロ好きには驚かされますよ」

「ヤマトだって、将棋が好きなんだろう?」

 ヤマトは、どうして、という言葉を飲み込んだ。捜査一課長が内部のカメラを防犯のためだけに使っていないということは、想像に難くない。

「いやあ、最近はアンドロイドの対局ばかりですから」

「アンドロイドは嫌いか?」

「いえ、そういうわけじゃありませんが……」

 ヤマトは一瞬回答に詰まったが、そう答えた。

 ダン課長が、口からゆっくりと煙を吐き出す。

「アンダータウンの首なし死体事件、お前には、特別任務を務めてもらう」

「特別任務ですか?」

「ああ、本部の連中とは別の線で捜査に当たってもらう」

「どういうことでしょうか」

 ダン課長はソファからずいっと身体を前に引き起こした。

「いいか。お前の特別任務は極秘捜査だ。他の連中にも内密に頼みたい」

「なぜですか?」

「この事件は明らかな殺しだ」

「殺人事件ということが問題なんですか?」

 確かに近年稀にみる凶悪事件には違いない。だが、年間通してみても、殺人事件がないわけではない。業務上過失致死を含めれば、依然として、人が死に至る事件は相当数に上るだろう。

「人間が殺されたんだ」

 ダン課長が灰皿に煙草を押し付ける。ふうっと息をつくと、低い声で言葉を続けた。

「容疑者はアンドロイドの可能性が高い」

「まさか。アンドロイドが人を殺すことなんてありえないでしょう」

「ありえないことが起きたんだ。捜査は慎重に行う」

「アンドロイドが容疑者……」

 ヤマトにはにわかに信じられなかった。だが、ダン課長の表情からは、信憑性が高い情報であることを理解せざるを得なかった。さらに、この状況がいかに危険なものであるかということも予感させた。

「根拠があるんですね」

 ダン課長がわずかに目をしばたたかせた。都合の悪い状況で、ダン課長が見せるくせだ。長年、ダン課長の元で働いているものにしかわからない微妙な動きをヤマトは見逃さなかった。

 ヤマトには思い当たることがあった。警察上層部からの指令で、犯罪抑制の目的で開発が進められているツールがあると聞く。そのツールが完成すれば、犯罪者予備軍、つまり、これから犯罪者になる可能性の高い人物の特定が可能になり、未然に犯罪を防ぐことができるというものだ。

 すでに発生した事件についても、その犯罪を犯したものを可能性が高い順にランク付けすることができるという。

 その開発工程がどんな段階にあるか、ヤマトたち刑事に情報が降りてくることはなかったが、すでに完成されているのかもしれなかった。今回の事件がその試運転的なテストケースに使われていてもおかしくはない。

「犯罪者予測システムですか」

「好きに想像してくれ」

 ダン課長の歯切れの悪さは、ヤマトの仮説を認めたも同然だった。

「動機は何ですか?」

「それもわからない。そもそも、アンドロイドに明確な動機があるのかもわからない」

 なるほど、とヤマトは思った。事件概要から、容疑者の絞り込みは出来たとしても、実行が可能だという推測にすぎないのだろう。

 なぜその行動に及んだのか、という動機までは導き出せないに違いない。

 動機の解明は、人間にだって難しいのだ。いくら精度の高いツールだとしても簡単にわかるものではない。国内最高の叡智を集めて開発したとしてもだ。人工知能は正解のない問題に弱い面もある。動機のような形のないものの正体を明らかにするのは超難題と言わざるを得ない。

しかも、「犯罪者予測システム」の推測が正しいとすれば、容疑者はアンドロイドということになる。アンドロイドに動機が認められるとすれば、アンドロイドに心が存在するのか否か、という別の命題をはらむ。

「容疑者のアンドロイドは、殺害された教授の身の回りの世話をしていたらしい」

「家政婦アンドロイドですか」

「ああ。そうだ」

 ダン課長がぞんざいに返答する。

 よりによって、家政婦アンドロイドが容疑者とは。警察上層部の苛立ちと焦りが手に取るように感じられる。

 家政婦アンドロイドの普及には、政府も一役買っている。少子高齢化により、人手不足は深刻化した。人手不足解消の政府の一手が、ホスピタリティを獲得したアンドロイドの普及だった。だが、それも簡単に実現できたわけではない。

 アンドロイドにいかにしてホスピタリティを持たせるかという課題は、多くの研究者たちが研究を続けてきた分野だった。

 まず、人手不足に悩まされた介護業界で、アンドロイド需要が高まった。しかし、アンドロイドが扱える業務内容の範囲は限られていた。

 例えば、背中のかゆいところをかいてくれとアンドロイドに頼んでも、当時のアンドロイドは反応できなかった。

 そもそも、アンドロイドに、背中がかゆいことがあるはずもない。「かゆみ」を知らないアンドロイドには、それを和らげる方法として、背中の患部をかくという行為がわからないのだ。かき方そのものや力加減もわからない。

 人間が感じる「かゆみ」をアンドロイドは感じない。

 感じない「かゆみ」を理解させるために、膨大なビッグデータが使われた。ビッグデータの解析から人工知能が「かゆみ」を学び取った。

 他にも、機械に理解できない事象というものは多くあった。

 そのひとつひとつを学ぶことで、アンドロイドは人間に対する接し方、ホスピタリティを獲得したのだ。

 ホスピタリティを獲得したアンドロイドの代表格が家庭用の家政婦アンドロイドだった。

 一般市民に最も近い存在のアンドロイドが人を殺すとは、万が一にも真実だったとしても、警察上層部には目を背けたい思いがあるに違いない。

 ダン課長が咳ばらいをする。

「反アンドロイド運動をしている組織には特に知られたくない。先日もアンドロイド製造会社が過激派によって狙われた。人型アンドロイドの風俗店もやられた。今、複数の人型アンドロイドが襲われている。第三のラッダイト運動に発展しかねないと危惧される状況だ。そこへ来て、この事件だ。アンドロイドが人間を殺してしまったのだよ」

 これは非常事態に違いなかった。

 二人の間に沈黙ができる。

「家政婦アンドロイドはどのように黒岩ジョー博士を殺害したのでしょうか?」

 ヤマトは筋肉質な首を傾けて、ダン課長を見た。報告では、頭部切断が死亡原因としか伝えられていなかった。

「死体はレーザーで首を切断されている。一瞬にして切断したんだろう。切断面は一ミリの狂いもなく真っすぐだ」

 水平な切断面。生きている人間を相手に、そんなことが可能なのだろうか。人間離れした技量による殺人は、アンドロイドが犯人という説を補強していた。

 レーザーによる切断。家政婦アンドロイドには、料理用のレーザーカッターの装備があったはずだ。それを使えば、技術的には可能かもしれない。

 ヤマトはさきほどKポッドが流した映像を思い浮かべた。

「頭部はどこに?」

「わからん。見つかっていない」

 ヤマトに予想に反した答えだった。

「なぜ、頭部だけ見つからないんでしょう?」

「世話係のアンドロイドが持ち去ったんだろう」

「人間を殺して、頭部を持ち去るなんて。とてもアンドロイドの行動とは思えませんね。理解できません」

「俺だって同じ気持ちだ」

 ダン課長は表情を硬くする。

「だがな、アンドロイドが人間を殺す日が来たんだよ。恐れていたことが現実に起こってしまった」

 恐れていたこと。その通りだろう。

 アンドロイドが反乱を起こして、人間と戦うストーリーの映画や小説をヤマトも観たことがある。昔の映画に特に多かったように思う。それはただの作り話のはずだった。

 アンドロイドは人間のために作られた従順な機械だ。その機械たちが、無秩序に人間を襲うのだろうか。アンドロイドと人間の共存はうまくいっていたはずだ。

 もし、これが、明確な動機のない殺人だとしたら。アンドロイドの暴走や誤作動により、制御不能に陥ったアンドロイドを前にして、自分たちはどうすればよいのか。

 暴走するアンドロイドから人々が逃げ惑う様子を思い浮かべ、ヤマトは戦慄した。

「これは映画や小説ではない。事実だ」

 ダン課長はヤマトの白昼夢を見透かしたように、決然と言い切った。

 ヤマトは困惑しつつも、その事実を受け止めるしかなかった。

 これまでも、ヤマトは刑事の仕事において、何よりも事実を重視してきた。真実は、事実の中にしかない。これがヤマトの哲学だった。いくら信じがたいとしても、それが事実であるならば、受け入れるしかないのだろう。その上で、もしかしたら、今は見えていない真実がどこかにあるのかもしれない。

ヤマトはかぶりを振る。

 霞ほどにも掴みようのないその何かが、人間に理解できることなのかどうかも、ヤマトには判然としなかった。

「それでだ。今回の特別任務だが、さすがに一人で捜査というわけにはいかん。もう一人、君と組んでもらう相手なんだが……。羽川マリア巡査長を考えている」

 ヤマトは困惑の表情を浮かべた。

「女性ですか?」

 ダン課長がうなずく。

「女性だが、やわな女性を想像するな。トランスヒューマンだ。彼女は、幼い頃に、身体の一部を機械で補う手術をしている。だが、心配ない。人間と変わらない。いや、お前と同じ人間だ」

 マリアの噂はダンも知っている。その明晰な頭脳とハイブリット化した肉体を駆使して、多くの難解な事件を解決へと導いている。実績は十分にもかかわらず、現場での捜査が心情らしく、昇任試験は受けていない。現場に拘り続けているようだ。

「彼女は間違いなく優秀だ」


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