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第四章 積年の孤独 2

 マリアの声が聞こえて、ヤマトの意識は引き戻された。
「これが、私の身に起こった第二のラッダイト運動の顛末です」
 ぼやけたマリアの姿が徐々に鮮明になっていく。
「ホスロボエイト、あのロボットは、燃える校舎を出る直前に火事で倒壊した建物の下敷きになりました。私も巻き込まれましたが、すでに救助が到着していましたから、命は助かりました。こんな身体になりましたが、私を救ってくれたことに変わりはありません。レスキュー隊の方は、あのロボットを見て、女の子をここまで運んでこれたのは奇跡だと言いました。私も後で会いましたが、ボディの損傷は酷く、金属部分はほとんど溶けてしまって、原形もとどめてはいませんでした」
 当時を思い出しているのか、マリアの目は潤んでいた。
「極めて私的な経験をご覧いただいて、恐縮ですが、どうしても知って欲しかったので、お見せしました」
ヤマトははっとした。マリアが他人に自分の記憶を見せるのは、初めてだったのかもしれない。今になって、ようやくマリアのただならぬ決意を理解した。
「マリア、ご家族は?」
「亡くなりました。両親も。兄も」
「そうか」
 ヤマトは励ましの言葉が見つからなかった。
「辛かったな」
そう言うのがやっとだった。
「辛かった……。そうかもしれません。生きていかなくてはならないのが、辛かったです」
 マリアの澄んだ瞳は空洞を思わせた。
「命は助かりましたが、サイボーグ化した身体のせいで随分といじめられましたよ。高校生のときに、初恋も経験しましたが、相手に不気味がられました」
 マリアは自嘲気味に言う。
「孤独を感じると、私はなぜ生き残ったのだろうと、考えるようになりました」
「答えは出たのか?」
 ヤマトが聞く。
「ええ」
 マリアはヤマトを見つめた。
「私は救われたこの命を、人を救うことに使おうと思いました」
優秀な頭脳を持ちながら、昇任試験を固辞して現場の仕事を続ける大きな理由がそこにある気がした。
 マリアの表情の少ない顔からは、どんな気持ちでいるのかなど、到底わからない。ヤマトは黙って聞いていた。彼女のこれまでの人生には幾多の苦難があったのだろう。彼女の陰鬱な雰囲気や心の機微を現さない理由も何となくわかった気がした。
「もうひとつ」
 マリアはKポットに目を転じた。
「アンドロイドと人間との共存が私の願いです」
 マリアの薄茶色の瞳が、マリアの兄の優しい眼差しを彷彿とさせた。
「私の経験を見ていただいたのは、ヤマト警部補にリンダが殺人犯でないと考える私のバックボーンをお見せするためです。アンドロイドが人間に従順な存在であることは、一番よくわかっているつもりです。まして、ホスピタリティを備えている家政婦アンドロイドが主人を殺すなんてありえません。リンダにジョー博士を殺害できるはずがないんです」
 いつになくマリアは熱を帯びていた。先ほどの記憶の中で見た子ども時代の快活なマリアがフラッシュバックする。マリア自身も記憶のリプレイを経たことで、当時の自分が戻りつつあるのかもしれなかった。
 理解を求めるマリアの強い視線が耐えられなくなり、ヤマトは目をそらした。
「マリア、君の気持ちはわかった。だが、俺は、君らしくないと思う。この事件は、人間が死んでいる。強制的に死を選ばされた人間の無念さは計り知れないものだと、俺は思っている」
 ヤマトはもう一度マリアを見た。
「その死が何者かの手によるものなら、俺たちはやはり犯人を上げなければならない。犯人が誰であってもだ。リンダが犯人であって欲しくないというマリアの感情が先行することは、刑事として正しいとは思わない」
 わずかな無言の後、マリアが口を開いた。
「申し訳ありませんでした。犯人の検挙に私情を挟まないということは、刑事の鉄則でしたね」
 ヤマトは、マリアの弱々しい声を切なく感じた。
「もう、休もう。明日は、また早くから捜査が待っている。明日訪ねる共同研究者は、ジョー博士をよく知る人物だ。何か新しい情報が得られるかもしれないぞ」
 Kポッドが充電ステーションにボディを収めるガタガタという音が、夜が更けた室内にやけに響いた。

「おはようございます!ヤマト警部補、そろそろお目覚めいただいた方がよいかと存じます」
 遠くからKポッドの声が聞こえる。ドアの外から声をかけているようだ。
 ヤマトが薄目を開けると、まだ弱い冬の朝日が窓から部屋の中に入り込んでいるのがわかった。
 頭はぼんやりしていて、いつ眠りについたのかよく覚えていない。眠ったのは、ついさっきのような気もする。
「おお。ありがとう。起きたよ」
「マリア巡査長は、すでに起床しておられます」
 Kポッドはヤマトの部屋に入ってきそうな勢いだ。
「わかった。準備ができたら、すぐにそっちに行くよ」
 ヤマトはベッドから起き上がると、大きく伸びをした。
 昨夜はなかなか寝付けなかった。マリアの過去に触れたせいかもしれなかった。あれを見せられたからには、マリアのアンドロイドに対する評価も理解できる。だが、公平な捜査に、個人的な感情は無用だ。
 昨日は、突き放すようなことを言ったが、それでよかったのか、ヤマトにはわからなかった。マリアは今日も、クオリティの高い仕事をこなすだろう。それはマリアにとって裏腹な行動になるのかもしれない。
マリアが抱える事情が彼女の気持ちを分断することになることを、ヤマトは申し訳なく思った。
 身支度を整えて、捜査部屋に入ると、キッチンから美味しそうな匂いが漂ってきた。
 ヤマトがひょいと、キッチンをのぞくと、スーツを着たマリアの後ろ姿が目に入った。
「おはよう」
 ヤマトは後ろから声をかけた。
「おはようございます」
 ちらと振り返って、マリアが返した。
 マリアは普段のキリっとした様子でフライパンを電子コンロから上げると、サラダの盛られた二つの皿に手早くベーコンエッグを移した。マリアの脇では、Kポッドが皿の配膳のためにスタンバイをしている。
「悪いな。朝食を作らせてしまって」
 食卓用にあつらえられたテーブルまで、Kポッドと並走しながらマリアに声をかけた。
「いえ。料理は好きですから」
 マリアはスマイルカットに切ったオレンジをガラスの器に盛りつけていた。
 オレンジをテーブルに置いて席についたマリアからは、ふわりとオレンジの良い香りがした。
 朝食を済ませると、二人はKポッドに片づけを頼み、捜査に取り掛かった。
 二階堂アスカ博士とのアポイントは午後だ。それまでの時間を有効に使いたい。
 マリアの提案で、アスカ博士の身辺を整理しておくことにした。Kポッドが関連情報に重みづけをしながら、情報を洗い出してくれる。
「すごい量だな」
 ヤマトが舌を巻いたのは、発表論文の量の多さだ。日進月歩の科学分野に身を置いているとはいえ、論文に仕上げるには、実験や考察など地道な作業が必要なはずで、これだけの論文を量産するのは尋常でない。機関が発行する紀要への投稿もある。多くは査読付きの学会誌への発表だ。アスカ博士が優秀な科学者であることに疑いはない。
「データ解析に特殊性が見られましたので、こんなものを作ってみました」
 Kポッドがエアスクリーンに棒グラフを投影した。
 論文を発行日でソートしたものだった。横軸が時間軸になっており、縦軸は論文数を表している。タイトルには、「二階堂アスカ単著論文数」とある。前半にはまばらだった論文数が、ある年度から増加している。さらに、ここ一年間の論文数には目を見張るものがあった。
「新進気鋭の科学者ということか」
 マリアもじっとグラフを見つめている。
「それもそうですが、こうすると、また違う事実がわかります」
Kポッドがグラフに別のグラフを現した。
 タイトルは「二階堂アスカ共著論文数」とある。
 二つのグラフが重なる。共著数を合わせると、前半の論文数の少なさが相殺された。
「もしかして……」
 そして、共著論文は、ある時点で、ぷつりと途切れている。
「そうです。共著者は、ジョー博士です」
 Kポッドが答えた。
 共著論文の発表は、アスカ博士が所属を人工知能研究所に変えても続いている。途切れた時期は、ジョー博士が休職に入る時期とぴたりと重なった。
「二人は何の研究をしていたんだ?」
 Kポッドが共著論文をリスト化して表示させた。
 そのどれもが、脳科学から得た知見を人工知能の開発に転用するという内容だった。
「そういえば、カナ博士が言っていたな。たしか……」
 マリアが言葉を繋いだ。
「『ジョー博士の研究が進めば、アンドロイドの性能が上がる』ですね」
「そうだ。人間の脳をモデルにした人工知能開発がアスカ博士の研究領域なのかもしれないな」
「そのようですね」
 全ての論題に目を通し終えたマリアが言う。
「今回の事件と、これから会うアスカ博士は、関係があるのかもしれませんね」
 事件との関連性は見いだせない。

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