見出し画像

一人じゃないから一人がいい。沼津港に行ってみた。後編

この旅にでた直接のきっかけはムカデだったけれど、水族館でメンダコの標本を友人と見たことや、前日の娘との会話もきっかけとなっていたように思う。
その日はワンオペで、二人を送り出し、仕事に行き、迎えに行き、ちょっと疲れてそのまま外でごはんを食べた。
車で家に着いた時、娘が聞いた。
『ママって計画するの得意なの?』
「いやいや、そんなことないよ。無計画の極みみたいな人だよ」
『え、じゃあなんで今は計画できるの?』
「きみたちが生まれて、どうにかして健やかに生かさねばと思っているからだよ」

どうやら、帰ってきたらお風呂入ったら次は明日の準備をして、そうしたら20時まで好きな番組を見ていいよ。と言ったのを聞いて、計画的だと褒めてくれたらしい。

そんな会話をしたとき、あ、そうだ私は計画性などなく、むしろ計画性とは対局のところへいて、好きなところへ行き当たりばったりで旅するのが好きだった、と思い出したし、そのままその自分を「計画性のある真面目な自分」の中に埋もれさせてしまうのが嫌だと思った。

そんなこんなでようやく『沼津深海水族館』

シーラカンス推しなのね?とこの時はぼんやり考えていた


表で、「やっと来た!!」と一人で感動する。
「思っているより小さいよ」と言われていたので覚悟して入る。遊覧船に乗ると割引券がもらえて、それも忘れずに出した。1800円。
中は思ったより賑わっていたけれど、順番で水槽を見て行くスタイルなのでそこまで混んでいる感じはなかった。後ろの妙齢のカップルが
「なんで水圧とかでも大丈夫なんかな〜」「わからんな〜」(的なことを関西弁で)と話していたので

ぬる〜っとしていてわいい。


「普通体の中には空気が入っていて、それが深度と水圧によって変化しちゃうんですけど、深海魚はその分脂が詰まっているから大丈夫なんですよ」と横からぽそぽそ喋りかけてしまった。船の中で聞いた情報ですけど、と。

目があった。

二人は大笑いして、「なんだおねえさんくわしいなぁ!ありがとう!ガイド料はらわんとなぁ!」と言ってウケていた。きっと、これは何かな?わからないね、みたいなイチャイチャだったのかもしれないけれど、知っていることは教えたくなる仕事病である。ちなみにそもそも浮袋を持たないという場合もある。

前の妙齢の女性はひたすらスマホで写真を撮っていた。子供はもっと見たいと泣き叫んでいた。この空間、カオスで嫌いじゃない。

イソギンチャクは幽玄。

肝心の魚たちはとてもよかった。深海の生き物と浅瀬の生き物を比べるコーナーも小さいながらわかりやすいし、見えている色が変わると深海に住む生き物はどう見えるのか?という展示は照明が数秒ごとにかわってとても面白い。けれど水槽を叩かないで、よりもストレスにはならないのか、深海魚は目が退化しているのもいるくらいなので色はそこまで重要ではないのか気になるところだった。

ヤドカリとうなぎじゃないやつ。

深海の生き物は、私のような人間が素潜りではとても到達できない場所で普段暮らしている。そのため環境に適応した色形をしているのだけれど、それが相当ユニークで、そこが深海魚人気なのだろうと思う。でも彼らから見たら、よっぽど人間や地上の動物の方がユニークなのだろう。空気が入った水槽に入れられ、海底の水族館で展示されている人間や動物を想像する。


毬栗。
🦑

標本類や解説も充実していて、なかなか進めない。あっという間に周りの人に追い抜かされて行く。つるりとしたもの、ぶよぶよしたもの、とげとげのもの。鮮やかなもの、渋いもの、人間では考えつかない生き物たちが、空想の世界でなく生きてこの世の現実にいることが、とても素敵だと思った。

脚が取れやすいため全て揃っての展示は珍しいそう
ヒカリキンメダイ

ピカピカ光ながらすごい勢いで泳ぐヒカリキンメダイ。その光は無数の軌跡のように見えて、繁殖目的でもなくこれが日常なのかとちょっと感慨深くなった。
その部屋を出て、階段を登るところに、沼津港と水族館についてのパネルがあり、じっと見入っていたら先ほどのカップルが「今の、何が光ってたんだろうね?」と通り過ぎて行ったのだけれど、声はかけずに、「目」ですよと小さく心の中で答えた。

階段を登ると、びっくりしたことにシーラカンスの剥製が二つも置かれ、昔の海を再現していた。おもったよりかなりデカイ。海の中で会いたくない感じのデカさである。3万年という長い間、地球上で起きた大量絶滅を数度乗り越えて今この時代も生きている、まさに生きた化石である。これまた進化の分岐とされたハリモグラがひっそりと展示されすやすや寝ていて、中々にシュールだった。
絶滅したと思われていたシーラカンスが発見されたことや、それを機に懸賞金がかけられ大々的に捜索が始まったことが分かりやすく書かれていた。

海の不思議という歌を思い出して帰りに聴いた。

卵を親の体の中で孵化させ、ある程度育ててから産む卵胎生であることや、脳が5グラムしかないこと、脊髄の中は空洞となっていること、調査の様子や泳ぐ様子がよくわかる展示だった。
他にも深海の生き物の生息地の特徴やなぜ赤色が多いのかと言った深海の生き物を語る上で必要な要素が、丁寧に解説されていた。飼育個体の標本もとても多く、私は最後ほぉっとなってよろけるほど深海魚の世界に入り込んでいた。

と、同時に、もう世界に何個体いるかわからないシーラカンスを、こんなに調査でぱかぱか採集して大丈夫なんだろうか、と深い深い海で暮らす彼らを想像した。三万年生き残って、人類が根絶やしにしたなんてことになったら居た堪れなかった。
10枚もの鰭をゆらりゆらりと動かしながら泳ぐ、鮮明ではないシーラカンスの映像が、私の中でまだ流れ続けているようだった。

水族館を出て、海鮮丼を食べることにする。本当は胸がいっぱいでそこまでお腹は空いていなかったのだけれど、せっかく沼津に来たのだから食べていきたい。
遊覧船乗り場の2階にある、漁協直営のお店に行くことにした。割引チケットをもらうときに100万円おじさんたちに「混んでいないし、美味しいよ」と言われていたからだ。
入ってみるとこじんまりした食堂風に、壁面には色とりどりの魚が描かれている。壁と海が見える席に座った。となりの席のお兄さんの食べる豪快太刀魚の一本揚げはとてもじゃないけれど食べ切れる気がしなくて、メニューと睨めっこをする。ほぼどのメニューにも一本揚げがついてくる。なんで太刀魚の一本揚げがおしんこのようについてくるのか謎だったが、どれもとても美味しそうだった。
一番少なそうに見えて、唯一なくらい一本揚げもついてこない、太刀魚の二色丼を頼んだ。
しばらく本を読みながら待った。何度か船の汽笛が聞こえて、私も乗った白い船が港を離れて行った。


二色!?

二色丼はすばらしくて、あまりに美味しくて気絶しそうになった。ぷりぷりとこりこり、の間のじわっとした旨みのある太刀魚が、漬けにされたりそのまま切られ乗っている。これが二色。この切り方も太刀魚の潜在能力を最大限引き出していて食べても食べても美味しい。生姜とわさび、そして甘めの卵焼き、鰹節と長ネギの下にもしっかりと太刀魚が乗っていた。完璧である。ごはんは酢飯ではない白飯。おしんこと、アサリのしぐれ煮?と、身がぷりぷりしたアサリのお味噌汁。

これで割引券を使って約1000円。恐るべし沼津。

もう食べられない!というほどになりながらガツガツと完食した。一本揚げはきっと食べられなかったと思う。おすすめである。

まだ時間があったので、乗船時にアンケートにご協力をと言われていたのを思い出して感想を書いた。するとミニソフトクリームをもらえるというのでひものセンターに行って引き換えてもらう。一つ感想を書けばご同行の人数分お渡しできるそうだ。太っ腹沼津。


たっぷりと濃厚で美味でした。恐るべし沼津。

外のテラスで港を眺めながらソフトクリームを食べた。暑すぎず、寒すぎず、心地よい海の風が吹いてくる。波はおだやかだ。
沼津の駅に到着したとき、改札へ向かう階段で前の人たちが「ねぇ。空気が美味しい気がする」「気のせいじゃないよね」と話していたのを思い出した。

うん、気のせいじゃないと思う。

そうして、一人で沼津まで来て1日満喫して、ソフトクリームまで食べている自分。もしかしたら、こういう世界線の自分もまた存在していたかもしれないとふと思った。結婚せず、子供も産まなかった世界線の自分。でも、きっとそうしたら寂しがり屋の私は恋人とべったりしていたかもしれないし、両親と出掛けてばかりいて、一人で沼津まではこなかったかもしれない。

一人で生きている人生を想像して、うまく想像できなくてやめた。

きっと一人じゃないから、一人がいい。

ちゃんと、帰りのバスに乗って電車に乗った。帰りの乗り換えは藤沢ですることにして、ゆらゆら揺られていたらいつの間にか下北沢についてしまって驚いて降りた。
ぜんぜん、計画的じゃないとふふっと笑った。
お母さんでも、計画的じゃないところ、たくさんあるよ。

そんな私も愛しているし、きっとまた旅に出よう。一人で。

よろしければサポートお願いいたします!いただいたサポートはフィルムと子どもたちとの旅に使わせていただきます。