Gaspar Cassadó

Gaspar Cassadó <Biography>
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1897年9月30日 スペイン・バルセロナに、カサド・モレウ家4兄弟の第3子として生まれる。父ホアキン・カサドは、バルセロナ音楽院の校長で作曲家であり、ラ・メルセド教会のオルガニスでもあった。
1902年( 4- 5歳)バルセロナ音楽院に入学。音楽院内の少年聖歌隊に選ばれる。
1904年( 6- 7歳)7歳の時に両親からチェロをプレゼントされ、ディオニシ・マルシに師事する。
1906年( 8- 9歳)初めて、公の場でピアノを演奏する。
1908年(10-11歳)バルセロナ市から奨学金を得てパリで勉強を始め、そこでパブロ・カザルスに師事する。また、ドビュッシー、ファリャ、ラベル、カセッラなどの作曲家と親交を結ぶ。
1914年(16-17歳)第一次世界大戦が始まり、バルセロナに戻る。父の伴奏により、デビュー演奏会をう。
1918年(20-21歳)ジュリエッタ・メンデルスゾーン・ゴルディジアーニ夫人の後援により、本格的な演奏活動を始める。
1920年(22-23歳)南米アルゼンチンに演奏旅行を行い、大成功を収める。1923年(25-26歳)ローマに移り住む。
1926年(28-29歳)父ホアキン・カサド死去。
1934年(36-37歳)フィレンツェに居を移す。
1936 年(38-39歳)スペイン市民戦争勃発。カザルス、スペインを離れる。
12月、ニューヨーク・フィルハーモニー・オーケストラとの共演によりニューヨークにデューする。
1944年(46-47歳)第二次世界大戦中、中断していた音楽活動を再開。
1945年(47-48歳)政治に無関心なカサドの態度にカザルスが激怒し、カサドに対して冷たい態度を取るようになる。
1949年(51-52歳)ニューヨークで演奏しようとした時、カザルスの友人を中心とした音楽仲間からボイコットにあう。
1955年(57-58歳)3ヶ月間のアフリカ演奏旅行を行う。
1956年(58-59歳)カザルスのパリ・デビュー57周年記念コンサートで、11人のチェロ奏者の一員として加わる。
1958年(60-61歳)5月、初来日。日本各地で演奏会を行う。10月、ケルン国立音楽大学のマスタークラスの指導を始める。
1959年(61-62歳)5月9日、シエナで日本人ピアニスト原 智恵子と結婚。1960年(62-63歳)フルニエ、ロストロポーヴィッチらとともに第1回国際カザルス・コンクールの審査員と一人に加わる。
1962年(64-65歳)4月、メニューインの仲介でカザルスとの関係が修復される。10月16日、夫妻で来日し二度目の演奏旅行を行う。
1966年(69歳)12月24日 心臓発作のため、スペインのマドリードで死去。

【Gaspar Cassadó / Table of contents】
Introduction:https://note.com/cassado/n/nd1a3d52a637d
Biography:https://note.com/cassado/n/n804553c4a20c

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