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わたしを通り過ぎた本/イタノチカさんの場合

阪急宝塚線、清荒神駅を降り、参道の脇にある急な坂をめげずに登って行ったところに「シチニア食堂(以下、シチニア)」はあります。2012年4月にオープン。その後、シチニア食堂を起点に清荒神駅前の宝塚市立中央図書館隣に「KIKILUAK(キキルアック)」を2018年8月にオープン。そして、2020年8月には宝塚市立芸術文化センター内に「MELMILHI(メルミルヒ)」をオープンさせました。今回は、清荒神のご自宅でお話をうかがいました。

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フリーターが、店長に…

学生を終えたあとは、漫画喫茶でバイトするなどフリーターだったんです。たまたまアルバイト情報誌で見た雑貨屋さんにオープニングスタッフで入った。バイトでそこに入ったんだけれど、「社員にならないか」と言われていきなり店長をやらされた。店長として、売り上げの管理、スタッフの面接や育成などやっていて、それでもたのしかった。25歳くらいだったかな。フリーターだったけれど、このあたりからバリバリ働きはじめていた。週5日でショッピングモールの中で一日中働いていた。外で雨がふっているのかもわからないし、正月は元旦から福袋売らされて…。

働いていた雑貨屋は大きい企業のひとつの部門だったから、新卒で入った人とバイトから社員になった人では同じ社員といってもキャリア組とノンキャリア組で分かれていた。キャリア組は全国を転勤して、店長を経験してから本部に戻って、スーパーバイザーからバイヤーになっていくねんけど、わたしはノンキャリアだったから当時は先が見えなかった。もしかしたら、なにか道があったかもしれないけれど、遠い道のりに感じただろうし…。

そんなこともあって、お店に立っていると「いつまでここにいれるかな」、「いらっしゃいませ、こんにちはっておばちゃんになってもやれるかな」と考えていた。もちろん、お母さんをやっているのに店長もやっている人もいたし、40代-50代で頑張っている店長もいたけど、「わたしはここに長くいれない」と思った。実際にお店で働いたのはせいぜい、3-4年だったかな。

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おうちのことを考えるのが大好き

そのお店で働いていたときにインテリアやおうちのことに興味をもちはじめたので、インテリアコーディネーターの資格を取ろうと思って、仕事は思い切って辞めて、学校に週に2-3回行き始めた。せっかく仕事も辞めたし資格も取るから、勉強になるような仕事をしようと思って探した。当時は(パートナーの)シゲと一緒に芦屋に住んでいたからその近くのショッピングセンターに入っているカーテン屋で働いた。そこは、既製品も売っているけれど、基本はオーダーカーテンのお店だったから、お客さんの家へ行って窓を測っていた。いろんな家へ行って、めっちゃたのしかった。家好きはそこからはじまっているのかな。

現場仕事だったので、社員は男の人ばかりだったけれどみんな優しかった。1年で資格を取ろうと思っていたから、そこは1年いると決めてがんばった。そこでも「社員にならへんか」と言われて…。でも資格を取るので、「もっと自分を試したい!!」と思って資格が取れたと同時に辞めた。

そして、不動産会社に入るんです。不動産会社の募集には、インテリアコーディネーターの有資格者歓迎という募集がときどきあって、建売住宅の内装やキッチンの色や壁紙を選ぶという仕事があったから、憧れて入ったら、土地を転がしているような不動産会社だったからぜんぜんそんな仕事ないねん。結局、社員で入社したけれど不動産屋の電話番みたいだった。

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仕事は充実していたけれど、日々の生活は…

仕事をしながらも他にもっと資格を活かせるところないかなと探していた。それでパナソニックに入ることになった。松下電工株式会社(現、パナソニック)のグループ会社みたいなところで、インテリアコーディネーターばかりを集めた会社だった。そこから各営業所に派遣されていた。松下電工の業務委託みたいな感じかな。一緒に働いていた営業所の人たちは、おんなじ会社の社員と思いきやみんな違う会社に所属していた。

松下電工の営業所で働くこともあったし、ショールームに異動になったこともある。松下電工は、照明部門と建材部門が「別会社?」というほど違っていた。わたしは建材部門で、キッチンを担当するプランナーをしていました。関西圏のいろんなおうちに行った。わたしは、家がほんとうに大好きで、道を歩いていてもちょっとカーテンが空いている窓とかのぞきたくなってしょうがない。人の家を見たくてしょうがない。建築本を眺めるのも好きだった。

インテリアコーディネーターの勉強をしているときは、装飾をしたかった。雑貨屋出身ということもあり、ファブリックを選んだり、壁紙を選んだり、お化粧の部分をしたいと思っていた。でも仕事をしているうちに図面が好きになって、図面を見ていると「うわぁー」といろんなことが見えてくる。

松下電工にいたのは、7年くらい。その間に結婚もして宝塚に引っ越ししてきた。結婚するときに「どっちかの実家の近くにいた方がいい」ということになって。シゲは吹田で、わたしももともと実家は吹田だったけれど宝塚に引っ越ししていたから宝塚に行こうかって。

仕事はやりがいがあって、たのしかった。でも芦屋から宝塚に引越してきたら通勤がめっちゃしんどなった。朝の6時くらいの電車に乗って、家に帰ってくるのが11時くらいだった。長いこと働いても大丈夫なんだけれど急に「あかん!」となる。「この街のことをなぁんもわからない」、「こんな仕事ばっかりの人生なのかな」と疑問に思って…。「人間らしく暮らししたい」と思って平屋に引っ越ししたのに、自分の生活がめちゃくちゃやなと思っていた。そんなことを考えていた頃に東日本大震災があった。

一回しかない人生、後悔せーへんようにやりたいことやろうと思って、震災後すぐに「4月末で辞めさせてください」といきなり言ってびっくりされて…。結局辞めたのは2011年7月末だった。二人で店をはじめるということもまだ考えていなくて、ただ「自分らしく自分の思ったように生きたいからやめます」と言った。

仕事を辞めたら、ヒマだったからシゲのお弁当つくって、猫と遊んで、手作り市に出店したりしながら過ごしていた。ちょうど平屋の家に引っ越すときに隣の平屋も内覧したんだけれど、そこがずっーと空いていたから「隣を工房みたいなんにして、いまチマチマと作っているものをもうすこし体制整えて…」と思いついた。で、つき詰めて考えていくと「やっぱりシゲの料理がないとあかんな」と思って「お店やりませんか?」とシゲに聞いた。

シゲもいろいろ仕事をかわったけれど、ずっとキッチンにいる仕事だった。結婚するときに社会保障のついた会社に入りたいと結婚を決めた1年くらい前に病院給食の会社に入った。でもそこはしんどそうに見えた。予算が限られて安いものをつかわないといけない、食材もよくないものが多くて…、そういうことが精神的におかしくなるくらい嫌だったみたいだった。

「お店やりませんか?」「やらないです」と言われて(笑)。ずっと説得し続けて「ぜったいやろう。これからの時代は自分の足で立って歩かないと。どっかに所属しているとかなんの補償もないし」と説得して、晴れてやっと「うん」とOKもらった(笑)。それまで、わたしはメーカーの将棋の駒のひとつとして勤めていたこともあって、最初から最後まで全部自分の手でつくりたいという欲があったんだと思う。二人ではじめるし、リスクもすくない。「もしあかんかったら、昼は調理士のバイトをして、夜だけ店をあけるとかもいいか」という感じで住んでいた隣の平屋で2012年4月からシチニアをはじめた。

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料理が好きなんじゃなくって、そのまわりのものが好きなんや

有元葉子さんの『時間をかけない本格ごはん、ひとりぶん』(メディアファクトリー)はシゲとつきあいはじめた頃に買った。その頃、めちゃくちゃ遅くまでやっている本屋、たぶん信長書店だと思う、があって、シゲの仕事終わった後、夜中にデートするのがはやっていてそのときに見つけた。料理に興味がなかったけれど、これで感動したのを覚えている。なんで好きやったんかなと後々見たら、器のコーディネートとかがスタイリストの高橋みどりさんだった。お料理に魅せられたのではなく、このスタイリングに感動したんだなと後から気づいた。

料理はぜんぜんできない子ではなくて、むしろできる方だと思っていた。でもうま味調味料を違和感なく使っていた。シゲと一緒に暮らすようになって、「わたしは料理が好きなんじゃなくって、そのまわりのものが好きなんや」と気づきはじめた頃に『まいにち つかう もの』伊藤まさこ(主婦と生活社)を手にした。いろいろ真似して買って、「ブラウンのシトラスジューサー」はヨドバシカメラで買って、いまもシチニアの工房で使っている。CHEMEXのコーヒーメーカーは、高かったからその頃に買えなくて、だいぶたってから買った。iittalaのムーミンマグカップは未だに欲しいけれど、買う機会を逃したな。有次の包丁はまだ欲しい。わたしは家具よりもこまごまとした雑貨が好きなんです。

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お店をしているから興味を持てたこと

シチニアを続けていく上で影響を受けているのが『魔法をかける編集』藤本智士(インプレス)。藤本さんが編集長をしていた『RE:S』は同世代だから知っていたけれど、その他のお仕事は知らなかったから、読んでみた。Twitterで藤本さんをフォローしていて、本のことを知った。でも、編集者でもないし、おもしろいのかなと思ったけれど、1ページ開いて読みだしたら、釘づけになって2-3時間で読んだ。

その日、ちょうど水曜日でシチニアが休みやったと思うねんけど、シゲに「ちょっとごめん、コーヒー屋いってくる」と言って、本を読むためにスタバかどっか行って読み終わるまで帰らんかった。気になるところを折ったけれど、いまとなってはなにに感動して折ったかわからへん(笑)。 お風呂で読んだりもしていた。それがきっかけで他の本もコーヒー屋で読んだりしていたけれど、その後なにを読んだか覚えていない。それくらい、この本が衝撃的だった。

この本に藤本さんが象印と一緒に部活や遠足のときに持っていくというイメージだった水筒を、OLがマイボトルとして持っていくようになるように仕掛けたという話が紹介されているんです。「言い方ひとつでものの見方って変わんねんな」と思った。大げさかもしれないけれど、わたしがこれから「生きていくヒントが見つかった!」と思った。この本から「物事を編集していくということ。編集は大切なことなんだ」と教えてもらった。お店をするにも自分で考えてデザインをしていくことが編集だということ。きっと、シチニアをやっているから、この本が響いたんだと思う。サラリーマンをしていたらグッとこなかったんだと思う。

小説はあんまり読まない。一週間くらい休みがあると「こんな本を読みたいな」と以前は小説を読んでいた。小説は感情移入してしまって、グッと入りこんじゃうから戻れないという感じがある。そうすると、仕事のスイッチが入らない。本を読みなれていないからかな。

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お客さんが育ててくれた

あとはそうだな、シチニアオープンした頃からわたしたちのバイブルがこの本。『家庭でできる自然療法』東城百合子(あなたと健康社)。この本は、老舗だなと思う。自然療法の先駆けの本で、医学書みたいな本。

森の中で土っぽい暮らしをしている人のバイブルやっていうのは知っていたけど、Amazonでもないし、本屋でも売っていない。でも、めっちゃ近いところで売っていた。池田の「ばんまい野菜の広場」で。その頃、出口さんがまだ「ばんまい野菜の広場」で働いていて「前から売っているよ。持ってないの?」と聞かれて「持ってなかったんですー」と買った。

わたしもシゲもあんまり薬を飲まなくて、体調悪いとき、頭が痛いときや風邪でのどが痛いとき、ほとんどこの本で調べて治してきた。飼っている猫ちゃんの調子が悪いときもこれで生姜シップしたり…。既に思い出がいっぱいつまっている。昔の人はこれでなおしてきたよという工夫がつまった自然療法はけっこうあなどれないと思った。

もともと、うま味調味料を使って料理をしていたけれど、シチニアをはじめるといろんな人に出会いはじめたし、東日本大震災後のお店だから、お客さんにも育ててもらった感じがある。

お客さんには関東から避難してきた人もいた。「どこ産のものを使っていますか?」、「どういう食材ですか?」などと聞かれるから身体にいいものを取り入れるようになってきたし、お店で使う調味料は、醤油ひとつ取ってもどんどんいいものが欲しくなる。はじめの頃はクスクスを出していたけれど、キヌアの方がいいもんやと変っていったり…。お砂糖も、身体をあっためる方のお砂糖にしようとか、夏は熱を逃がす方にしようとか意識するようになった。

食べることだけじゃなくて、冷え取りで靴下を重ねて履いたりもしていた。働いていた時はストッキングを履くこともあったし、ぜんぜん知らない世界だったからシチニアをはじめていろんなことを教えてもらった。

シゲと二人で「なるべくニュートラルでいよう」ということを話をしながら、土っぽい暮らしとジャンクな暮らしの間のバランスをとっている気がする。わたしたちは、いろんなお客さんに楽しんでもらえる空間になることを目指していて、どんどん変わっていきたいと思っている。おんなじことをずっとするという老舗もいいけれど、ただの頑固おやじのお店になってしまったらおもしろくない。時代にあわせて自分たちをチューニングしていく感じかな。シゲは、キッチンの国にいるからお料理することに飽きることはないと思う。

さいきん、宝塚にずっといてもいいかなと思いはじめたんです。ずっと宝塚が好きになれなかった。清荒神もしかり。芦屋に住んでいて宝塚に来たから、なんもないと思っていた。ちょっとしたパン屋もないし、おもしろくない。でもハッと気がついたらともだちもいっぱいできたし、「悪くないね」と思いはじめている(笑)。

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いま、読んでみたい本

奈良の「くるみの木」の石村由紀子さんの『自分という木の育て方』とか、ミナ・ペルホネンの皆川明さんの本とか。「あ、わかる」と勝手に共感したり、「こういう人ってこういうところで悩むんや」とか思ったり、尊敬したりしながら読んでいる。自分でなにかをはじめて軌道にのっている人の自伝的な本を読むのが好きだなと思います。お店をしている目線で、そういう本を読みたいのかな。

その他、紹介いただいた本

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「お客料理200選」女子栄養大学出版部
姫路に住んでいたお料理がとても上手だったおばあちゃんの水屋にずっと並んでいた。1970年代前半は、電子レンジもオーブンも使っていない料理が多くて時間も手間もかかったんだろうなと。その丁寧な暮らしに憧れた。シチニアをする前からシゲと眺めていて、ニヤニヤしている。

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『旅する八百屋』青果ミコト屋(アノニマスタジオ)
casimasiで買った本。ミコト屋とは前から知り合いだけれど、じぶんたちがやっていることへのその人がもっている熱い思いを知りたくなって購入しました。


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MELMILHI(メルミルヒ)
〒665-0844 兵庫県宝塚市武庫川町7-64
電  話:なし
営業時間:10:00〜18:00
定休日 :水
最寄り駅:阪急今津線宝塚南口駅から徒歩7分
JR・阪急 宝塚駅から徒歩13分

KIKILUAK(キキルアック)
〒665-0836 兵庫県宝塚市清荒神1丁目2-18
電  話:0797-81-1058
営業時間: 9:00〜17:00
定休日 :水
最寄駅 :阪急宝塚線清荒神駅

*シチニア食堂は、現在営業をおやすみしています。新しい時代にあった新しいスタイルに転身する予定です。詳細は改めて。


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2020.09.04
インタビュー・構成:福島杏子(casimasi)
写真:米田真也

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