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🔓「子を置いて行け」と面罵した姑へ下した嫁の鉄槌~大田区・姑殺害事件~

平成4年6月9日

東京都大田区西糀谷4丁目。

その日、買い物から戻った嫁が、いつものように風呂の水を入れ替えようと風呂場をのぞくと、水が張られた浴槽内で座り込む姑の姿が目に飛び込んできた。
服を着たまま、口元には半分取れかけた粘着テープがついたままで、大柄な姑がなぜか小さく見えた。

慌てた嫁は、体調不良で早退して2階で寝ている夫を叩き起こし、事の次第を伝えたが、姑はすでに息絶えていた。

一階の茶の間や、姑の鏡台などの引き出しが無造作に開けられたままになっていたことなどから、警察では物盗りの犯行も視野に入れた殺人事件として捜査本部を設置した。
ただ、外部から侵入した形跡が見当たらなかったことから、捜査は思うような進展を見せていなかった。

事件から2か月余りが経過した9月3日、警視庁蒲田署捜査本部は、第一発見者の嫁を姑に対する殺人容疑で逮捕した。


その家


その家には、一家の主である会社社長・加藤康夫さん(仮名/当時66歳)、妻でこの事件の被害者である和代さん(同/当時61歳)、そして夫妻の長男である宏さん(同/当時35歳)、宏さんの妻で加害者の恵美子(当時38歳)と3歳と5歳の子どもたち、計6人が暮らしていた。
機械製造の工場を経営していた康夫さんは会社社長として、また妻の和代さんは町内会のまとめ役的な存在として知られていたが、息子夫婦は当初同居していなかった。

宏さんは都内の私立大学を卒業後、東京に営業所のある酒造メーカーに就職していた。当初の勤務地は東京で、銀座で開かれた即売会にアルバイトできていた恵美子と知り合うこととなる。
東京下町の畳店の娘だった恵美子は、「祭り好きな男みたいにさっぱりして明るい子」と近所でも評判だったが、宏さんとの結婚は当初から波乱含みだったという。
というのも、恵美子には離婚歴があった。
加藤家に相応しくない、そういって反対したのは姑の和代さんだった。
しかし、当の宏さんはそんな母親の時代錯誤な反対を意に介さず、昭和60年9月、都内で結婚式を挙げた。

その後は広島への転勤が決まったこともあり、新婚の2人は広島で新生活を始める。
広島勤務の間、夫婦仲は問題もなく、男の子と女の子にも恵まれた。
しかしその幸せな広島から遠く離れた東京では、和代さんが息子夫婦の「不義理」に業を煮やしていた。

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