アルバイトしかした事がなかった、29歳バツイチ子持ちがトップ2冠達成し管理職へ昇進するまでの裏話③

みなさまこんばんは、sakiです。

というわけで、前回は妊娠〜出産編を書いたわけですが、今回は産後2か月で子供を預けながら仕事復帰をした話から、アパレルに転職するまでの話を書きたいと思います!

とにかく呼び出しされる毎日

保育園は初めの2週間は慣らし保育なので短時間預かりでしたが、まぁもうそれが終わったら怒涛の日々でした。その頃はまだコールセンターで勤めていたので(しかも通勤時間90分)朝預けて6時間働いて、お迎えへ行く生活です。

これがとにかく辛かった。

毎日家にいて、子どもと一緒に過ごしながら家事をするだけの生活に慣れ始めていた私は、夕飯は17時くらいに作り、夜は20時前くらいから一緒に寝るのが当たり前だったのです。

仕事に復帰したらお迎え18時になりそこからご飯、お風呂、寝かしつけ、洗濯、とだんだん日々が辛くなっていきました。元旦那ともケンカが増え、土日はたまった家事に追われ本当に辛かったです。

産後うつじゃないですが、日々自分の生きている価値がわからなくなる日々が続いたのと、結局誰にも頼れず一人で頑張るしかないという状況が、自分をどんどん追い込んで行ったのです。

子どもの初めては全て保育園

寝返りも、つかまり立ちも、歩いたのも、全て保育園でした。

が、その時はあぁもうこんなこともできるようになったのかぁ…っていう感想だったのですが、今となれば一緒についていてあげたかったなと思うこともあります。

子供は「みんなママがお仕事してるのかっこいいっていうし、おしゃれだし、可愛いから大丈夫だし、ウルトラマンもポケモンも買ってくれるからいいよ!」と言ってくれます。本当に優しいです。←親バカ

「やっぱり私まだ23歳だし好きな事を仕事にしたい」

2014年2月、私はよく某アパレルショップで買い物をしていましたが、そこの販売員さんが接客がとても丁寧で聞き出しが上手、私がやりたかった接客はこれで、私もこの人みたいになりたいなとぼんやり思ったのがこの時期でした。

「やっぱり私まだ23歳だし好きな事を仕事にしたい」

そう決意し、即面接を受け4月から晴れてアパレル店員になりました。

アパレル販売員の理想と現実のギャップ

私は西武池袋本店で仕事デビューしていたので(お堅い職場だったんですよね、本当に)、とにかくお客様に失礼がないようにと、百貨店なのでレベルの高さを求められていたため、丁寧すぎるくらい丁寧な接客を日々行っていました。

先輩たちからは「それじゃうちのブランドイメージに合わない」とダメ出しされまくり、言われた事をノートに書いて帰宅して寝る前に復習する、ファッション販売を毎月買って読むという事をした結果、入社2カ月後の初セールで私が何回か接客した方がお店で待っていてくれる、という状況ができたのです。

これを見て、私が実はこの子接客ができるんだなという事を周りが知り、作業はさせず、とにかく接客をさせるというスタイルが始まりました。

本当に厳しい館でしたが、遅番が来る前に必ずレジを開ける、何かしら売る、という事ができていて、みんなが信頼してくれるようになった生活が2年ほど続きました。後輩も育成し、接客レベルもあがり、ルミネのイベントやラフォーレにヘルプに出せるくらいの子も育て上げ、自分がこれだけ売っているのに時給も大して上がらない、上が詰まっているからという理由で正社員試験も受けさせてもらえない、私はその状況が理解できずだんだんやる気もなくなっていくのです。

その頃、毎月178時間〜188時間勤務をしながらワンオペ育児が辛く、毎日20時お迎えになることもありました。夕飯は保育園で食べさせてもらい、自分の身も心も限界を迎え離婚に進む話し合いが進んでいました。子供は3歳前、まだ今なら何とかなる、その気持ちで親権を取り、私は仕事を辞める決意をし、実家へ帰るのです。

離婚が成立し、現職の会社に、履歴書を送り、面接をしていただき内定をもらい新たな生活が始まります。

私は30歳までにここで何かしらの形でトップを獲る

2016年8月、入社時の私の目標はこれでした。

1カ月間は基礎を学びながら比較的売上規模も小さいお店で過ごしましたが、9月に異動しそこから厳しく辛い日々が始まります。売上規模が初めの店舗の2倍、納品量も2倍、しかし人員体制は同じ…毎日泣きながら過ごしていました。納品もさばけず、店長には叱られ、確認を怠る日々が半年ほど続きました。

ここでも異動月から早速個人予算達成し、店舗予算も達成し、徐々に私のいる店舗が売れる店として変化していくのです。

あっという間に3番手に昇格し、誰よりも売れと言われながら、とにかく言われた指摘は全てメモして同じミスを繰り返さない、売上を取るために付帯業務の時間を減らす、館との関係構築のためにハウスカードはしっかり獲得し、半期表彰、年間表彰どちらも当たり前、それが出来始めてからは予算達成も続きました。

2018年1月、嬉しいニュースは突然舞い込みます。ブランドで唯一会社の全国表彰ショップに選ばれたのです、その後も、館の優秀ショップ賞、優秀販売員賞、フロアのカード表彰…表彰を総なめにした結果2月よりサブに昇格しました。

売ることしかできないサブって何なの?

私が今までで一番ぐっさりきた言葉でした。

マネジメントができず、自分で全て仕事を抱えてしまい苦しい日々が続きました。そんな時に、売ることしかできないって何?と言われてしまったのです。

私自身売れれば別にそれで良い、結果が出せればそれで良い、お客様はついてきてくださっている。サブになった頃すでに50名近く絶対に来店してくださる顧客がいたのと、フリー客は絶対に掴める謎の自信があったので、私は安心しきっていました。

人を動かさないと店長になれない、そう感じながら日々店頭に立っていました。

そんな中支えてくれる後輩たち、厳しくてもついていこうと思えた店長、いつも私を信頼してくださる顧客様のおかげで2018年、サブ1年目で初めて個人売上全国1位を達成できました。

長くなってしまったので、今回はここまで!

次回はサブ2年目、店長辞令が出た時、異業種転職について書きます☆



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