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レトロファイアリング・イン・オクトーバー、アゲイン(邦題:逆噴射小説大賞2019、ここに終結)

序文

ドーモ、グエンです。❝ミスター❞は必要ありません。ただの❝グエン❞で結構。挨拶は省いて手短に参りましょう。遂に逆噴射小説大賞2019、その最終選考結果が発表となりました。

結果発表のことでが年末年始も頭の片隅から離れず、何をするにも上の空、発表の瞬間を今か今かと待ち続けていた日々であったが……Twitterのタイムラインで「今夜発表されます」の通知を見た俺は動揺した。そして怯えた。理由さえ分からない後悔もあった。遂に審判の日が訪れたのだと思った。PCを起動さえもどかしく感じた俺はスマッホで結果発表のページをスクロールさせ、スクロールさせ、更にスクロールさせた。一縷の望みと、九割九分の諦念があった。早く楽にしてくれ、俺にトドメを刺してくれ……、そう思いながら。そして見覚えのある画像と題名が視界に飛び込んで来た。俺の心臓は高鳴った。あったのだ。俺の作品、一か月にも及んだ応募期間の中、ただ一発のみ放たれた俺の弾丸が……聡一郎先生を射程に収めていたのだ。

本題

という前置きはどうでもいいんですよね。他人のセンチメントなんてペットの自慢と夜に見た夢の話と同列に置かれるべきブルシットです。我々が思いを馳せるべきは未来なのですから。競争に打ち勝って逆噴射先生からの書評を頂けたからには、それを糧に前を見据えて歩き続けなければなりません。応募期間終了の数日後、私は反省記事に於いて、このように述べています。

この作品を書き終えた感想というものが書けそうにない。時間的制約、そして自分の持てる全てを800文字に叩き込んだつもりだ。後から「あそこはまずかった」とか「手直しすべきだった」と気付くことはあるだろうが……それも未来のおれがパルプ野郎としての成長をしていればの仮定の話である。

そう、この時点では「作品そのもの」の反省点というものが思い浮かばずに「作品に対するペース配分」についての反省に終始していたのですね。それほどまでに書いては消して、書いては消して……を繰り返していたのです。その作品に対する逆噴射聡一郎先生によるコメントを転載します。

逆噴射聡一郎:死んだはずの英雄が何かの理由で蘇り、現れた案内人とともに変貌した世界をさまよい始める。魔物との戦い等に関しても言葉は少ないがさりげなく丁寧であり、抑制が効いている。生き返った理由自体が謎で興味を惹き、何が起きたのかどんどん気になっていく。時間経過から放り出される主人公の困惑は、急にこの話を読む読み手の感覚とシンクロしており、自然に受け止めることができ、世界のひろがりと質感、それらが孕んでいる秘密に興味が向いた。ダークファンタジーの手応えはじゅうぶんだ。残念なのは太字表現の濫用などだ。今回の賞の応募作品群全体でしばしば見られたのでここで言っておくが、太字表現や書体遊びは必ずしも禁じ手ではないものの、濫用は目が滑るだけだ。実際使いこなせてるやつはほぼいなかった。やりすぎはだめだ。少なくとも、書いてる自身の中で明確に使用ルールを定めたうえでやったり、過剰にならないように頻度を控えたり、とにかくもっと自覚的になり気をつける必要のあるテクニックだ。この作品においても太字はまったく不要だったが、作品そのものはそれを補って余りあるくらいダークファンタジーとしての魅力を感じたので選出した。おれは続きを読みたいと思う。

反省点

先生が「残念なのは太字表現の濫用などだ」「この作品においても太字はまったく不要だった」とおっしゃった通りです。確かに読み直してみると「オイオイオイ使い過ぎだわ太字」と恥ずかしくなりました。「せっかく機能としてあるのだから使えるものは使わないと!」という気持ちが私の目を曇らせていたとしか思えません。使い過ぎると本当に強調したい部分が埋もれてしましますからね。世間で流行していたハリー・ポッターを当時、中学生だった私が「くだらない子ども騙し」だと思っていた理由の一つ、「小説に太字表現なんて邪道なんじゃないのか?」を久しぶりに思い出しました(太字を使ってまで強調したかったと思しき主人公らの主張に共感が湧かなかったのも遠因なのでしょうけれど)。

評価点

「魔物との戦い等に関しても言葉は少ないがさりげなく丁寧であり、抑制が効いている」に関しては自分としては全く意識の外にあったので通常攻撃が必殺技に昇華したような驚きと喜びと共に今後の指針を得たように思います。「時間経過から放り出される主人公の困惑は、急にこの話を読む読み手の感覚とシンクロしており、自然に受け止めることができ、世界のひろがりと質感、それらが孕んでいる秘密に興味が向いた」に関しましては「気付いたら埋葬されていた人間」の気持ちになって推敲を繰り返した甲斐があった、と言いたいです。想像力が大事ということですね。自慢では無いですが私は世界史の授業で❝宦官❞の説明を聞いただけで「アレを切られる為の行列に並んでいた人々はどんな気持ちだったのだろう」と想像を逞しくした挙句に意識が遠のいて嘔吐しそうになった男です。伸ばそう、想像力。

未来へ……

とか言ってる場合じゃないんですよ。最終選考に残ったメンバーを前回と今回で比較してみると、顔ぶれの変わりように驚いた人々もいるのではないでしょうか?少なくとも俺は驚きました(それを踏まえても前年度王者は流石の風格、としか言えません)。それほどまでに界隈の流動性……新陳代謝とでも言えばいいのか……或いは競争の激しさ……そういった現状があるのです。勝負とは相対的なもの。いかに自分が成長しようが周囲がそれを上回る速度で成長していれば、即ち後退です。「長所を伸ばす」などと言い繕って今までのように漫然と好きな物を好きなように書くことに終始していれば、俺は確実に後進に埋もれて顧みられることはなくなるでしょう。地道な鍛錬は継続しながら、それと並行して何か次の一手を打たねばならぬ時が来ているのかもしれません。……それが妙手となるか悪手となるかは別として。

(オワリ)

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