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5歳VS車いす父の疾走

2024年5月18日 バラ祭り 福山市中央公園

娘のダンス発表会へレッツゴー!!
夏日の中スタートまで息子(5歳)は、遊具でハッスル(笑)

私は車いすでの移動につき、ガタガタ道やちょっとした段差はクリアできた
息子がちょっとした丘のうえに上がると・・・断念・・・・

なんでもチャレンジややってみることが大事なんですが、物理的な不可能なんかもいくつかあるのが現状です。

そのどうしてもできないことに対しての「配慮」「お手伝い」の言葉を使うのが正しいと思う。
障がい者は確かに色んな人に生活を支えられています。

家族もそう、行政、親、友人、パートナー、子どもの力を借りることも。

確かに間違ってない!!

けど「当たり前」なんてことは決してない!!

助けてくれたら「ありがとう」ということは忘れません。

これは、健常者だろうと障がい者だろうとこの一言はなんにも変わらないことでしょう。

自分の場合は、車いすです。
みんなのように抱っこや担ぐことができなかったり、難しいことが多い。
でも、車いすが使えれば膝に乗せて移動したり、追いかけたりできる。

今日の公園内は遊具で遊びたい息子を車いすで追いかけ、気が済むまで対応したり、へばったら膝に乗せて連れ歩いたりできました。

・障がい者の親だと子供たちがかわいそう
・子供たちがいじめられる

こんなことを未だによく言われますが、自分は絶対そんなことないと言い続ける。逆にこう思う。

・そんな考えしたら同じ考えを子どもがする
・親がやったことは正しいと子どもは思い込む
・それを本当に子どもが誰かにやる

↑↑↑↑これは絶対に避けたい!!

どうやったらみんな楽しくできるか、大人も子どもも一緒に考え、実践していけば、子どももそれを学んで「いい方向」へ行くと思います。

障がい者はかわいそうではないです。
好きで障がいを持ったわけでも、なりたかったわけでもありません。

それを冷たい視線で見たり、批判したりするのは悲しいです。

みんなが楽しく過ごせるようにしたい

ただそれだけなんです。障がいの有無なんて関係ないし、「だから?」といいたいです。

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