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コミュ障で社会に適応していない私が今までの人生を振り返る壮大な自分史(19)

前回、数学愛好会がピタゴラスイッチの動画を作ったところ、PR動画賞を獲得した快挙について書きました。
今回は体育祭で文化部史上初の試みに挑戦した話について書きます。

自称進学校の体育祭

うちの高校の体育祭は、文化祭と違って準備期間がほとんど取られておらず、全体で応援練習するのは前日の午後しかありません。
熱が入っているのは体育祭の応援団とごく一部の体育会系の生徒のみで、彼ら彼女らは昼休みや放課後を使って応援練習等をしていますが、大部分の生徒はそこまで熱を入れていません。
平日に行われるため、観覧に来る保護者はほとんどおらず、来るのはPTA役員くらいだったと思います。
他の高校の体育祭を知らないので何とも言えませんが、力を入れてない部類に入るでしょう。

部活動対抗大縄跳び

体育祭の数少ない目玉競技の一つに、部活動対抗の大縄跳びがあります。陸上部や野球部、ハンドボール部などが競い合うため、そこそこの盛り上がりを見せます。
3年生の私はこの大繩に数学愛好会も参加できるのではないかと思いつきました。
しかし、大繩に参加するには最低15人集めないといけません。しかし、数学愛好会のメンバーは5人しかいません。このままでは参加できないため、人数を満たすための策を考えました。

その策とは文化部を集めた連合チームです。体育祭委員に合同チームで出ることは可能であるかを確認したところ、特に問題ないとの回答だったので、折り紙愛好会、天文部、書道部等の合同チームで申請しました。

苦難の道

大変なのはここからです。体育祭当日までに15人を集めなくてはなりません。折り紙愛好会には2年生が6~7名くらい所属していたので、委員会で一緒に仕事している生徒会会計の子に声をかけて集めてもらいました。それだけでは足りないので、数学の課題研究の授業で同じグループだった人や2年次に監査委員の副委員長をしていた柔道部の部長にも声をかけ、何とか15人以上の参加を取り付けることができました。

部や同好会と違って、愛好会にはそもそも部員名簿が存在しないため、実質誰を参加させても問題ありません。もっとも野球部やサッカー部についても、本当に全員が部員であるか厳密に確認してはいないようでした。

数少ない知り合いに声をかけ続け、何とか15人以上を集めることに成功しました。しかし、それは口約束に過ぎません。そのため、体育祭当日は本当に15人以上集まるか不安で仕方がありませんでした。

当日

体育祭当日。大繩は体育祭の最後に組み込まれています。
人数が集まるか不安を抱えたまま体育祭に参加していました。もし人数不足で参加要件を満たしてなかったら大恥なので、足を怪我したふりをして逃げることも頭によぎりました。

大繩の招集が始まり、各団体指定された場所に向かいます。
集まった人数を数えてみると自分を入れて約20人。人数が足りるか心配だったため多めに声をかけていたのですが、ありがたいことに声をかけたうちほぼ全員が参加してくれました。

いよいよ本番

人数要件が満たせて一安心。しかし、まだ不安は残ります。それは、大繩が飛べるのかという心配です。
我々のチームは寄せ集めの集団であるため、みんなで集まって練習する機会など当然なく、ぶっつけ本番です。お互いの面識もない中、果たして息を合わせて飛ぶことはできるのでしょうか?

大繩を回すのは、私と元副委員長です。背が高いもの同士ということで、回し手に決まりました。
ルールは5分間で出した最高回数で競います。途中で失敗しても時間内なら何度でもやり直せます。
いよいよ1回目の挑戦。縄を持った右手を大きく動かしますが、思うように縄が回りません。副委員長との呼吸が合っていないのです。
その後も数回挑戦しますが、縄が飛び役の頭を超えることはできません。
当然縄くらい回せるものだと思っていましたが、不器用な私には簡単ではなかったのです。

ちょっとした奇跡

ここで、同じクラスの書道部が回し手を買って出ます。反対側にはクラスメイトが入り、これまで縄を回していた副委員長は中に入って飛び役に回ります。
私は人数が足りていたため飛び役に回ることはなく、脇から様子を見ていました。

書道部の子は、背が160センチくらいしかなく小柄だったので回せるかと不安になりましたが心配は杞憂に終わり、縄はしっかり回りました。
最初から数回飛ぶことができ、徐々に息が合ってきたのか最終的には十数回という記録を残すことができました。

3位以内に入ることはできませんでしたが、ぶっつけ本番の文化部にしては十分すぎる結果です。正直5回くらい飛べたら御の字だと思っていたので、まさか2桁も飛べるとは思いませんでした。

文化部初の挑戦

ちなみに、私が所属していた3年間、文化部の出場は記憶にありません。おそらく史上初でしょう。文化部で大繩に出ようなんて考える人はまずいないと思います。

今回の大繩大会で、結果的に私は縄を回しても飛んでもいません。
文化祭のPR動画と同様、私が主役ではありません。
しかし、文化祭のPR動画同様、やると決めて動き出したのはまぎれもなく私です。私を起点に活動が始まっているのです。

中心ではなく起点となる

自分が中心に動くのではなく、自分が起点となる。高校時代に実体験を通じて学べたのは大きなことでした。
自分はあくまで起点となるだけで中心にはなりません。ほかの人が中心になって進めていけば、当然自分の思った方向性とはかけ離れていきます。ここで自分の思い通りに物事をコントロールしたがる人は、口を出して軌道修正しようとします。しかし、自分が中心になって動こうとする限り、自分の能力を大きく超えた成果は出せるはずがないのです。

私は縄を回しませんでしたし、飛ぶこともしませんでした。しかし、文化部連合のリーダーとして十数回の記録を残したのです。社会で大きな仕事を成し遂げる人も、きっとこのような考えで活動していると思います。

もちろん自分の能力をフルに生かして活動することを否定しているわけではありません。自分が他人より秀でている分野があれば、それを生かせる場所で活躍すればいいのです。
私の場合、エコノミクス甲子園がそれにあたります。自分の能力をフルに生かし、クイズの中でも経済分野の対策に絞って一点突破しました。

得意なフィールドだけでなく苦手なフィールドでも戦えるようになろう

社会に出たら得意なフィールドだけではありません。むしろ苦手なフィールドの方が多いはずです。苦手なフィールドで戦うためには、どうしても他人の力を借りる必要に迫られます。

自分の能力を生かすことと、他人の能力を活用することのバランスが大事なのです。日本の教育は前者に重きが置かれているように思います。
自分の得意なフィールドであればそれで問題ないのかもしれませんが、残念ながらすべてにおいて万能な人はこの世に存在しません。不得手なフィールドでも戦えるスキルを身につけるための教育も必要だと思います。

まとめ

自分の場合は、運の良いことに高校生活の中で自分の能力を生かすことと他人の能力を活用すること、両方の経験をすることができました。しかし、進学校に入ったからといってすべての人が同様の経験を得られるわけではありません。
自ら考えて動いた人のみが質の高い経験を得られるのです。
これは高校に限らず、大学でも社会に出ても同じことです。
皆さんも自分で考えて行動する習慣を身につけましょう。

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