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-桑島智輝「前我我後」感想文-

先日、渋谷パルコ地下1F GALLERY Xにて開催されている、写真家・桑島智輝さんの写真展「前我我後」に行ってきました。愛に触れ、無敵の我を感じる展示でした。早速、感想を書かせていただきます!

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決して広くはないGALLERY Xの会場内に、規則正しく写真が並べられている。2019年9月に発売された写真集「我我」の写真と、その前後に撮られた写真を混ぜ合わせて展示されている。

「我我」では、安達祐実さんの妊娠から出産までを写した写真が掲載されていた。出産を通して感じる女体の変化や、それを見守るしかない男性の無力感から夫婦の関係性といったものが見られ、また愛や命という漠然とした言葉が、時間をかけて形となり理解していく感覚があった。出産は人生の一大イベントとも言えるけれど、出産の前には出会いがあり、出産後には子を育てる共同作業があり、出産自体は始まりでも終わりでもない。子どもの成長に合わせて、妻も夫も僅かに変化があったり相変わらずな部分もあったり、そのありさまがまさに生活だ。


そんな生活感の溢れる写真のなか、特に惹かれた写真がある。アルミホイルのようなものに包まれた安達さんが目を瞑り、周りにバラが置かれている写真。奥には、同じく桑島さんが撮った安達さんの写真集「私生活」の表紙に使われた写真が置かれてある。日常的ではない作り込まれた世界が印象的で、直感的に、美しさと物悲しさを感じた。

写真に囲まれ、幸せな人生に幕を閉じたかのように静かに眠る安達さん。奥にある「私生活」の表紙となった写真に写る安達さんと、写真越しに目が合う。「私生活」が二人の始まりであることを思わせると同時に、日々撮り続けるという夫婦の形にもいつか終わりがあることを感じた。それは切ないようでいて、写真を撮ることの意味を感じる1枚でもあった。


今日という日は人生の中の点に過ぎないのだけれど、私たちはその点を繋ぎながら生きている。写真はまさにその点を切り取るものだけれど、こうしてギャラリーに並んだ写真を見ていると、全てが地続きであることを感じる。生命の証明、目には見えない関係性の事実を示しているような安堵感。撮ることが愛であり、撮られることが愛。夫婦の愛情表現としては変態チックにも思うけれど、二人にとってそれが確かなものであることを改めて感じる展示だった。


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夫婦ないし家族というのは閉塞的。そこで培った常識が倫理を形成し、社会に出てそのギャップにやられることも少なくない。世の中には色んな人がいる。物凄くお人好しな人、理解できないほどに厄介な人、毎日元気な人、逆に毎日落ち込んでいる人。みんなさまざまな事情のもと今日を生きているからこそ、全員が仲良くすることはきっと難しい。


ここ最近、常に正しさを求められ、間違いを許さんとする状況に酷く息苦しさを感じている。できることならば、間違いを犯すことなく堂々と生きていきたいけれど、私自身、たった23年の人生で、既に消し去りたい過去や取り消したい言葉が山ほどある。品行方正を求められたならば、私はストレスで胃がキリキリして何処かへ逃亡してしまうかもしれない。


「前我我後」。批判を寄せつけない。写真を見て何を感じようと自由だけれど、「自己顕示欲の塊」と桑島さんが言うように、この声が入る隙間がないほどに二人が満足している。このエゴイスティックな夫婦の形に、私は非常に憧れる。耳の痛い話を聞き入れない、と言う意味ではなく、二人の日常が、写真を撮るという行為によって成り立っている事実が堪らなく無敵であると感じるのだ。

誰もが後ろめたさや人には言えない過去を持っているはず。だからこそ、人に話し、関わり合い、感じ合うのだろう。正誤の中にない、それぞれの在り方。それをまさに体現するようなたくさんの写真を見て、私自身が許されるような気持ちになった。


生きている以上、誰しもが間違えを犯すことがある。ときに道を踏み外したり、調子に乗って失敗したりもする。間違いを間違いだと気づいたとき、死にたくなるほどの悲しみに襲われることもあるけれど、その後どう生きていくかが重要であり、清く正しく生きる必要はないのだ。


家に帰って「私生活」を改めて見ると、写真から感じる空気が違うことに気づく。安達さん自身の表情の変化もあるかもしれない。「私生活」で見る安達さんは今にも壊れそうな脆さや危うさがあるけれど、「我我」及び「前我我後」で見る安達さんはとても幸せそうで、桑島さんに包まれる安らぎがあるように感じた。無敵だ。


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人は良くも悪くも変わる。人だけでなく環境も、世界情勢も。今を愛するため、過去を許容するためにも「撮る」ことはとても意味のある行為であり、中でも夫婦・家族の写真というのは、強く自尊心を高めてくれる愛を含むものなのかもと感じました。

後ろめたさや人には言えない過去も、それがどうしたと言わんばかりの果てしない"愛"。「我我」の冒頭にあった「愛ってなんだ」という安達さんの言葉。触れることのできない"愛"という言葉の、言葉では言い表せられない温もりや質感が写真に表れているように思いました。


来週、7月12日(日)までの展示なので是非!


「我我」の感想文も置いておきます。こちらも良ければ!


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