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思わずディスるポップ心理学とは

連続して,アカデミックな心理学VSノンアカデミック心理学(いわゆるポップ心理学)について,ちょいとディスり気味な風味で書くことが続いた。

どーでもいいけど,ノンアカデミックって,ノンパラメトリック検定みたいだな。ノンパラいいよね~。使えるよね~。って,そんなこと,思っているのは,実験系心理学者か,数学が好きな人だけだろうな。

「線形モデル! ふぅ~! ゾクゾクするぅ~!」なんて,普通は思わない。本屋に行っても,ガチな数学の統計学ゾーンなんて,誰もいないから,何時間でも居座れるってなもんだ。

なんて,エラソーにさも数学ができるかのように,書いてるが,わたしは数学ができない。

壊滅的にできない。

高校の数Ⅱのテストで,初めて「赤点」100点中30点という低得点をたたき出し,追試なるモノを受けるために,赤点者だけが一つの教室に集められた。その時,初めて「勉強ができないと恥をかくこと」を知った。

あ,初めてではないか。中学1年の夏休みに,やはり,学期末テストで成績が悪かった人だけ呼ばれる学習会に呼びだされ,集ったメンツを見て,「詰んだ」と悟った。その時こそが始めての恥だった。

それなりに自学自習しないと,わたしの頭は機能しないことを観念した。以来,勉強をすることを自分に強いた。

やればなるほど,面白いではないか!と,思ったけれど,数学はやっぱりつまらなかった。塾の先生に呼びだされ,居残り学習をさせられても,公文で習っていた高等数学以外は,全くやる気が起きなかった。

放物線を描く二次関数は大好きだったけど,図形の証明なんて,そんなもん,生活にいるかよ?

いや,いるんだな,その数学的思考の組立が・・・・・・。

ずっと避けてきた数学だったのに,文系なのに,大学で数学をやらなきゃいけないなんて,知らなかった。

心理学は文系じゃないのかよ?と,思ったけど,文系,理系なんて学問を線引きしているのは,日本ぐらいだ。本来,文系,理系は関係ないもので,悪しき日本の官製制度の名残なのだ。

というわけで,全く数学的思考ができないわたしが,いきなり,大学に入って,数学に長けたエキスパートになるなんて,都合のいい話はないわけで,大学時代の心理統計の授業なんて,ほぼ白目をむいていた。

そこで倒れていたら,卒論が書けないので,それでも,心理学は数学的処理が必須だから,脳に汗をかきながら必死にやる。

そうしたら,好きになった。

なんてことはなく,今でも,好きではない。仕方なくやる。だって,仕事だもん。

「数字で証明できないものは心理学とはいえません」

これは,わたしがこうなりたいと思った憧れの心理学教授が大学1年の最初の授業で放った言葉。

そうなのだ。心理学とは,まことに数字で証明するための統計的手法で勝負する学問なのだ。そもそも,心理学は科学の分野なので,データ数を多く集めれば集めるほど,その有効性も高くなる量の学問なのだ。

だもので,アカデミックな心理学は,一般的に想像する,心理学とは非常に乖離(かいり)している,つまらんものなのだ。

だが,つまらないことを面白く感じるのが変態というものだ。

つまらないことを面白がる先駆者

小学校5年の夏休み,社会科の資料集を読んでいて,あまりにわたし好みで,思わず嘗めていた飴をボトッと,その人の顔写真に落としたことがある。

それが高杉晋作。わたしの初恋の君は,高杉晋作だ。

後に,高杉晋作の辞世の句,「おもしろき こともなき世をおもしろく すみなすものは こころなりけり」を知り,ますます,好きになった。

やっぱり,晋作は違うわ!

ということで,アカデミックVSポップを心理学的に論じたくなった。論じるなんて,大げさ。書きたくなった。
発端はこちら。

続けてもういっちょ。

もう何年も前からもやっていたことなので,いい加減,毒を吐いておく。

別にディスっているわけじゃなくて,住む場所が違うイキモノ同士がいるってだけの話なんだけども。

戦いたいわけじゃない。でも,スタンスが違うから,モヤッとくるし,イラっと来る。

例え,心理学が意識の科学とて,モヤッと来たり,イラっと来ることはくる。情動は人間にだけ与えられし,宝物だからだ。

てことで,そのモヤモヤを吐き出すことにする。



論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。