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考えるとはとても贅沢な時間なのではないかという話

やっと身の回りが落ち着いてきた。

いい傾向として、noteの下書きが増えたり、自分の行動を前向きに運ぶことができるようになっている。

新年になり3週間が経過した。

その3週間は僕の場合、自分を立て直すことに注がれた。

これに対して大変な時間がかかったなと感じていた。

だが先日ある方と話した時に

「その時間で立て直せれば十分早いと思う」

と言われた。

自分の感じている尺度と人の感じる尺度の違いをわかりやすく感じた。

無理せずでという言葉を僕はよく使うが全くその通りである。

自分の苦手を言葉にし、戒める意味も込めてこの言葉を使っていたがとても意義のあるものだなと最近感じる。

少し自分を立て直せるようになって、読書の量も増えてきた。

幸いなことに本とのステキな出会いも多い。

今日は↓の本を読んでいた。

以前からヨシタケシンスケの表紙ということもあり気になっていた。

まだ読んでいる途中だが気づいた事をいくつか書いてみようと思う。




僕は考えることが好きだ。

この3週間もとにかく自分について考えていた。

というかこれまで生きてきた時間すべてそうなのだろう。

でも僕はそんな自分がとても嫌いだった。

考えてばかりで行動しない。

そもそもこの言葉にも行きついておらず、行動できない自分をただただ否定していた。

でも今回の一人暮らしの件を経て、これも悪くないなと思えるようになった。



新年に入り、気持ちが滅入っていた。

趣味や仕事の道具もなかったので自分の中でできる、考えるという行為にふけっていた。

その時は辛いと感じていたかもしれない。


でもそれは未来の自分への投資なのではないかと考えるようになった。

何を投資するのか。

それは「愛情」ではないのだろうかと思う。

今、僕はあの時の自分に感謝している。

たくさん考えて、いろんな気持ちを味わい、時には涙し、悔しい気持ちに歯を食いしばり、それでも何か変えようと考え続けたことに。

もちろんその時にはこのようなことには気付けなかった。

でもそうやって、僕は30年の人生を僕なりに過ごしてきたのだと思う。


僕の好きな言葉に「悩むむのではなく考えろ。」という言葉がある。

よく聞く言葉だし、SNSでも盛んに目にする。

悩むと考えるについては、尊敬するさいさんのツイートがわかりやすい。

悩むのは現状をグルグルと回り続けること。

考えるのは目標に向かって紆余曲折ありながらも思考を繰り返すこと。

悩むのは僕は嫌いだ。

それは苦しいし辛いから。

今年に入って自分は悩んでいると思っていた。

過去の自分に引き戻されている感覚。

それがとても悔しかったし、自分を否定していた。

だからずっとどうしたいという事を自分に問い続けた。

もちろん心の中からその回答はすぐに得られない。

でも僕は考え続けた。

そして3週間が経ち、僕はやっと波を乗り越えた。

そして、これまでの考える時間というのはとても贅沢な時間だったんだと感じるようになった。


行動することは重要だ。

行動せずに変化はない。

でもいつ動くかは他人の尺度ではなく、自分に任せてあげても良いのではないだろうか。

生産性を考えればいわゆる「すぐやる人」というのが正解に感じる。

でも万人の正解なんてものはこの世にはない。

結果、その人が未来の自分に向けて愛情を持って行動することが、もっとも大事なのではないだろうか。

生産性は尺度だ。

尺度は人の数あるのだ。

だからその人のタイミングで動けば良いと思う。

焦る必要はない。

それよりは十分に思考を重ねる。

この贅沢な時間をすみずみまで味わい、納得するまで思考を深めること。

そのことの方が重要なのではないだろうか。


読書をして考えの糧にするのも良い。

少し近所を歩いて、いつもの景色を違う視点で見るのも良い。

部屋で自分を休めることも良い。



大切なのは未来の自分に向けて愛情を注ぐこと。

そして愛情を注いでくれた過去の自分に感謝すること。

そんな事を繰り返しているうちに、自分のみたい景色にたどり着いている。


今までもこれからも。

そして今も。

まずは今ここにいる自分を大切にする。

そして考えるという贅沢をいかんなく味わう

そんなことを大切にしたいと思った。

読んでいただきありがとうございます。もし気に入っていただけたらサポートをおねがいします。今後の感性を磨くための読書費や学びへの費用とさせていただきます。