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僕はギターを置いて「ありがとう」とつぶやいた

今日、新居に運び込んだ荷物を一部引きあげに行った。

相変わらず僕は荷物が多い。

楽器やPCなど優先順位の高いものから車に積み込む。

軽自動車の荷室はすぐに一杯になり、助手席にも荷物を入れた。

最後に郵便受けを確認する。

友人からの結婚式の招待状やいくつかの書類が届いていた。

それらをまとめて回収し車を出した。

すこし休もうと思い、近くのコンビニでコーヒーを買い、飲みながらタバコを吸ってまどろんでいた。

最近はGoogle MAPという便利なものがあるので入居前からこのコンビニの場所は知っていた。

ふらっとコンビニに行きタバコを吸う。

この光景を僕は何度も想像した。


車で戻る最中、King gnuの「白日」がラジオから流れる。

ラジオに合わせて適当な歌詞で口ずさむ。


朝目覚めたらどっかの誰かになってやしないかな。
なってやしないよな。
聞き流してくれ。


何度も聞いている曲なのに、その部分の歌詞が妙に印象に残った。

学生時代は同じ事をよく思っていた。


「あの人みたいに。」


31年生きてみたが、僕はいつまでも僕のようだ。


帰宅すると、今度は荷下ろしが待っている。

日が暮れる前に急いで荷物を降した。



その後父親が帰宅した際に、久しぶりに話をした

僕が実家に戻るに至った経緯を初めて説明し、そこには母親も同席していた。

相変わらず父親はよくある父親らしい、通り一辺倒の綺麗な言葉で自分を守ることだけを考えていた。

相変わらず母親は自分の意見を一方的に押し付けて僕の未来を決めようとしていた。


年末に家を出る話をし、新居の住所を教えない旨を伝えたときに父親から「親にならなければ良かった」という言葉を言われた。


それをどう捉えるかは人によって違うと思う。

でも僕は「お前を生まなきゃ良かった」と同義だと思った。

それは僕の知る中で最も親子間で交わしてはいけない言葉だと思っている。


でもこれは僕の一方的な価値観だから父親にそのことは伝えなかった。


両親との話が終わり、今度は心が疲れた。

自室に戻り、伝えることが無意味な瞬間があるという事実を反芻していた。


彼らはそもそも相手の話を聞く意思がない。

自分の話を相手に飲み込ませたいだけなのだと思う。


荷物の移動で身体が疲れ、両親と話をして心が疲れた。


ベッドに潜り込んだ僕はすぐに眠ってしまった。

いくつか夢を見たが心地の良いものではなく、目が覚めると僕は汗をかいていた。


そこにメンターから連絡が来た。

他愛もない話をしながら、今日はじめて笑ったことに気づいた。

電話を切り、部屋を見渡し今日持ち帰った荷物を眺めていた。


この2週間ほどはiPadで仕事も、メールなどの連絡もまかなっていた。

不便を感じる場面はあるが、問題はなかった。


今日、僕の持ち帰った沢山の荷物は、便利なものばかりだが、なくても困らないものであるということがわかった。

そして僕はそれらに多くのお金と時間を使っていた。

本当に僕は当たり前に気づくのが遅い。


ただ唯一ギターだけは代替がきくものがなく困っていた。


ギターのハードケースを開く。


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そこにはいつものギターが入っていた。

チューニングを合わせ、一緒に持ち帰ったアンプに繋ぎ限りなく小さな音で弾いてみた。


もちろん指は以前のようには動かず、頭も追いつかなかい。

でも自分で楽器を弾いて、頭の中に鳴る音を拙いながらも表現する感覚がとても新鮮で心地よかった。





今回の引越しの件で、僕は本当にたくさんのことを経験した。


自分の至らなさも、

世の中の不条理も、

家族とのことも、

周囲からの助けに感謝することも、

今後の生き方についても、

自分の大切にしたい価値観も、


すべてが経験として僕の中に入ってきた。


前回のnoteにも書いたがこの年末年始に僕は多くの「怒り」を体験した。

でもその感情は何も生まないことを知った。

それは自分を焼き、周りも不快にさせるだけのものだった。


今も僕は居心地の悪さを感じている。

それは場所も心も。

でもギターを弾いている間はその居心地の悪さを忘れることができた。


また歩き出そう。

居心地の良い場所を手に入れるために。


そう思った僕はギターを置いて「ありがとう」とつぶやいた。

読んでいただきありがとうございます。もし気に入っていただけたらサポートをおねがいします。今後の感性を磨くための読書費や学びへの費用とさせていただきます。