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【クウェート#37】気分はもう亡命
11月16日(木)
登校中に突如土砂降りになった。
あと3分早く、あるいは5分遅く登校していれば回避できた程度の短さの雨だ。頭に来る。
びしょ濡れのまま授業を受けた。
「日本語を知っているか?」と教授が問いかけた。
クラスの5分の1くらいが日本語を知っているので、多彩な答えが返ってくる。
異色の回答をしたのはスウェーデンのファウワーズだ。
彼の「クソ・バカヤロウ」との回答に、教室がにわかに活気づく。
先日いろいろな国の悪口を教わった時、私が教えてあげた言葉だ。
教授から意味を問われたため、私は「気の利いた挨拶の仕方です」と答えざるを得なかった。
3週間ほど前に結婚式に連れていってくれた謎の「シャイフ(師)」のお誘いで、今日は砂漠に行くことになった。
クラスの同級生たちだけでなく、アナスやムハンマドのような学部生も参加している。
出発前からかなり寒い。冷気がヒートテック(借り物)を貫通してくる。
バスは18時40分ごろにシュウェイフを発った。
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クウェート市を出て40号道路に沿って南下する。
30分ほどバスに乗っているうちに、荒野にたどり着いた。
道路と街灯、それから時折見える石油採取関連施設以外は何も見えない。
『イージー★ライダー』に出てくるような、荒れ野の一本道を想像していただければよろしい。
道路端に路駐して、焚き火している輩もいる。
クウェート市の都市生活とは隔絶された世界だ。
具体的な行き先を知らない旅なのは、もはやお約束である。
「砂漠」なる場所を目指し、バスは夜道を進む。
私たち日本人にとって砂漠は観念的な存在にすぎない。そこへ移動すると言われても、なんというか浮ついた感じがある。
それにしても、長い道のりだ。
時速100キロ近くで2時間以上飛ばしているはずだが、一向に目的地が見えない。
パーキングもガソリンスタンドもない。車が故障でもしたら、一巻の終わりである。
クウェートでとトヨタ車が圧倒的な信頼を得ている理由がわかる。
安全な車以外、乗りたいとは思えないのだ。
バスを止めさせて、荒れ野で用を足す学生も出てきた。
その様を見た台湾のサイは、「おしっこしてる。」という格調高い日本語文を口にした。
「あ、おしっこ」としか呟けなかった私とは対照的である。彼の方が優れた日本語の使い手であるのは明白だ。
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リーダーとルームメイトは「こんな遠いなら来なかったのになぁ」と漏らした。(漏らしたのはあくまで言葉である。)
「シャイフは今からサウジに亡命するつもりなのか?」
誰かのその一言は、冗談とは言い切れないものだ。
グーグルマップ上の現在地点は、殆どサウジアラビアである。
私は密かにサウジ逃亡を夢見つつあった。
国外逃亡としゃれこむのも悪くない。
無邪気な私の夢想とは異なり、バスは私たちをワフラーにて下した。
ワフラーはクウェート南部のアハマディ県の南端部にある。
ほとんどサウジアラビアみたいな場所だ。
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着いたのは、砂漠の中にある農園だ。
もっとも、すでに夜の9時を過ぎている。
ここが農園だと認識する手がかりは、特有の匂いと、時折聞こえるニワトリの鳴き声しかない。
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極めて微細な砂漠の砂と、ここ数日続く雨による湿り気、それから家畜の匂いが混じり、なんとも独特な匂いがする。
今からここでディワニヤ(「ディワーニーヤ」と聞こえる)をするらしい。
ディワニヤとは、定期的に行われる男性の宴席のことだ。
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香辛料がよく効いていて、酸味も強い。強力なカフェインと併せて、少し飲んだだけで眠気を吹き飛ばしてしまう。液体は黄色に近い独特な色合いだ
円形に配置された椅子に座り、時には政治や経済にまつわる討論をし、また時には思い出話に花を咲かせる。
アルコールが出ないところ以外は、日本の飲み会と大差がないかもしれない。
クウェートの伝統的な文化でもある。
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ホストのクウェート人とシャイフはつきっきりで話している。
私たちは学生同士で話した。
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コーヒーや茶を飲みながら1時間ほど談笑すると、夕食の時間だ。
メニューは羊のマチュブースである。
肉や野菜とともに炊き込んだお米にサフランをふんだんに使って完成する。
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床に大皿を置いて、右手で器用に食べる。
熱くて私にはつらい。
ミュンヘンから来た学生がいた。
私が拙いドイツ語で会話すると、非常に喜んでくれた。
いわく、「クウェートで初めてアラビア語を聞いた」とのことだ。
クウェートでドイツ語を使う機会はほとんど存在しない。
例えば買い物に行ったとき、使うのは英語かアラビア語である。
高校の選択授業でも、フランス語がスペイン語の授業を選択する学生が殆どであるという。
芝の上に絨毯をしいて、その上に30人以上の学生が座った。
その中心はアルジェリアのシャイフである。シャイフは開端章についての釈義を始めた。
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開端章はクルアーンの一番はじめに配置されていて、礼拝で最もよく読誦される章でもある。
私をはじめ、アラビア語学習者であればムスリムでなくとも暗唱できる者は多いはずだ。
その開端章の一単語ずつに解説を加えるのである。
しかもその多くは、かなり文法的な内容である。
クルアーンの釈義を行う上で、文法や単語に対する造詣の深さは欠くべからざる要素だ。
アラビア語文法学とクルアーン解釈の密接な関係性について身をもって理解できた。
バスラ学派やらクーファ学派といった諸学派も文法を重視していたはずだが、それらについての講義内容を失念してしまった。
私の先生がいらっしゃるであろう日本の方角を向き、ぺこりと謝罪した。
亡命云々の話を思い出した。
クウェートを飛び出して、講義メモを見返すのも悪くない。
そんな気分だ。
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