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散々もめた上司との”最後の1週間”が終わった。

青年海外協力隊としてベリーズの少年院に派遣されて9か月が経った。この9か月,さんざん頭を悩まされたカウンターパートと呼ばれる上司が退職した。

カウンターパートという存在

青年海外協力隊には「カウンターパート」と呼ばれる相方みたいな存在があてがわれることがある。(配属先によってさまざまだけれど)カウンターパートは,隊員が帰国したあとも,隊員の代わりに活動を継続していく存在である場合が多い。

協力隊ボランティアをずっと必要としている状態ではなく,最終的にはボランティアから技術を習得して,彼らだけの力でなんとかしてもらえるようになることも協力隊の目的だから,カウンターパートという存在は結構大事だなあと思っている。

私の配属先の場合,カウンターパートは少年院のプログラムコーディネーターだった。年齢は50代後半くらいで,一見感じのいい、ぽっちゃりとしていて笑顔がかわいいおばちゃんだ。

プログラムコーディネーターは少年院の矯正プログラムの時間割を作り,インストラクターたちに授業をさせるのが仕事だ。

 私はインストラクターの立場で配属されたので,私のカウンターパートは「相棒」というよりは「上司」という感じだった。彼女が子どもに直接授業をするわけではないけれど,矯正教育のプログラムを作る立場にあるので,私の日本の少年院での経験などを紹介しながら,プログラムの充実化に貢献出来たらいいなあと思っていた。

伝わらない「日本のすごさ」

この9か月度々,二人で話す時間を取ってもらって日本の矯正プログラムについて話をしに行った。法務省のHPから英語版のパンフレットをダウンロードして,少年院について説明をしたり。授業をしやすくするための,ミーティングの効率化の話や,少年たちの情報の管理方法なども,具体的な例を挙げて,提案もした。しかしどれも,彼女を動かすことはなかった

そのうち彼女にとって私の「提案」は「不満」に聞こえるようになり,関係はどんどん崩れていった。はじめは感じのいいおばちゃんだったカウンターパートはあっという間に,嫌味を言ってくる意地悪なおばちゃんになった。もっとうまくやれればよかったのだけれど,あれが私の限界だったみたいだ。

とにかく彼女には「日本の少年院の凄さ」が全く伝わっていなかった。まず英語が流ちょうに話せない私を下に見るところから始まったから,そんな片言の英語を話す人間がいた少年院の話なんかに興味を持てなかったんだと思う。「英語が流暢に話せたら」と何度思ったことか。そんなこと言っても仕方ないのだけど。

JICAのスタッフと配属先とのミーティングで,JICAのボランティアコーディネーターが「彼女の日本での経験を取り入れてみたらいいと思います」「参考になることがあるはずです」と言ってくれたけれど、それを聞いた彼女は興奮しながらこういった。

日本の子どもは,そんなに悪い子じゃないからプログラムがうまくいくのよ」「ベリーズの子どもは,もっとリスキーで教育が大変なのよ」と。日本のシステムを知ることを拒絶しているようにも見えた。

日本の少年院に来る子どもたちだって,簡単じゃない。でもプログラムがしっかりしているから,日本の少年院の子どもたちには変わるチャンスがたくさんあるベリーズの子どもたちだって,そのチャンスを与えられるべきだと思う。

私の感覚で言えば,日本の子どももベリーズの子どもも大して変わらない。大きく違うのは,彼らを取り巻く教育環境だ。

問題は子どもにあるのではなく。教育プログラムにある。そう思っていた。

だから何度もプログラムコーディネーターである彼女に話をしにいったのだ。そんな簡単に変化を起こせるとは思ってなかったけれど,あっという間に半年以上が経ってしまい,大きな変化も見られず,焦る気持ちと,無力感に襲われた。こんな状況でどうやって日本の矯正教育を伝えろというのだとモヤモヤした感情がわきあがってきた。彼女に絶望し,もう教育プログラム改革という大きな問題はそっとしておき,自分の担当している授業を充実させることを決めた。自分の心を壊さないためにも。

そんなときに彼女の退職が突然決まった。

一週間後,彼女は私の前から姿を消すことになったのだ。

書ききれないほど,いろんな試行錯誤を重ねた彼女との関係に突然終止符が打たれることになる。ホッとする気持ちも正直あった。もう一生会うことはないだろうし,悲しいことに会いたいとすら思えない。けれど,一方でなんだかこれで良かったのかなと後悔のようなものをあったり。複雑なスッキリしない気持ち。

最後の一週間,多少やさしくなるのかなと思ったけど,相変わらずで口調強く悲しいことを言ってくる彼女。最後まで同じ態度を貫き通していた。彼女らしいけれど。

何はともあれ,協力隊生活最大の困難が,終わりを告げた。乗り越えた感はないのだけど,嵐の中を耐え抜いた感はある。この後綺麗な虹は出るのだろうか。この上司の退職を機に、もっと偉い人たちが動き出していて、職場全体が変わろうとしている気配は感じる。しばらく様子をみようと思う。

決していい思い出ではない。ただ、これもひとつの協力隊の活動で得た体験である。

今日は彼女が職場に来ない最初の日。
なんだか清々しいような、
また振り出しに戻ったような感じだ。

活動もだいたい後一年。
良くも悪くもフレッシュな気分でまたボチボチやっていくことにしよう。

では皆さん
良いお年を!

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