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夢うつつ湯治日記6


10月某日 初めての湯治 

【三日目(2)】 寝ころび湯と、花々

花の湯は、6~7人がゆったり入れそうな湯船の他に、ガラスの扉に仕切られて、
半分露天風呂のような形で「寝ころび湯」のスペースがある。

既に先客二人、寝ころび湯で寛いでいるのが見える。

まずは身体を洗い、湯船に浸かる。
宿と同じく、軽く硫黄臭がする透明の湯。
湯の温度も同じ位か。
じんわりと温まってくる。

温まったところで、寝ころび湯の方へ行く。

屋外の風がややのぼせた身体に気持ちがいい。

寝ころび湯は、足のくるぶし位までの深さの浅く広く平らな長方形の「湯船」に、
頭を置くための石が置かれている。
枕の石は5つあるので、5人が横になれるようだ。

角に、野草のような花が咲く小さなプランターが置かれている。

「花の湯」の名はこういうところからきているのかもしれない。

先客は、かなりふくよかなおばあちゃんと、小柄なおばあちゃんの二人。
二人とも仰向けに寝ていて、身体の上半身(前面)を体を洗うタオルで覆っている。

「こんにちは」

と挨拶して、私も同様に横になる。

一人のおばあちゃんが「こんにちは」と小さな声で返してくれた。

浅い水深で、横になっても体の背中側半分しか湯に浸らない。
しかし湯の温度がやや高めのせいか、寒くない。また湯の外に出ている身体の前半分も
タオルで覆われていて、寒さを感じない。

真冬は寒いかもしれないが、今の時期は気持ちが良い。

寝息が聞こえてきた。もう一人のおばあちゃんはうとうと眠っているようだ。

昨夜の夕食時の、「寝ころび湯で素っ裸でぐっすり眠っていた」若い男性の話を思い出し、
笑いを堪えながら、目をつむる。

身体の縦半分の「半身浴」である。

木々が風にざわめく音に包まれる。
するどく鳴く野鳥の声も聞こえてくる。
どこからか、金木犀の香りが漂ってくる。

寝ころび湯の場所は、周りを目隠しのように背の高い竹垣で囲われており、雨よけの屋根が覆っている。

目を開けて見る。
竹の壁の上方は空いていて、空と周囲の樹木が見える。
風もそこから時折、入ってくる。

確かにとても気持ちが良い。
昨夜の夕食時の話題に上っただけのことはあるなぁ。

身体半分はぽかぽか、もう半分は時折入ってくる風を感じて爽やか。
湯の外に出ている身体の前面を隠すタオルは、風が直接体に当たるのを防ぐ役割もあるようだ。
だから案外寒くない。

空を見ていると、雲が切れてきて、時折青い空が見えてくるようになった。
天気は回復傾向のようだ。

今度はどこかで火を燃やしているのだろうか、煙の香りとともに、少し甘い香りがする。
落ち葉焚きかな・・・。

目をつぶって、湯の暖かさに包まれ、いろいろな香りや音を聞きながら、
いろんな考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。

そのうち、次第に細かいことはどうでも良くなって、頭に浮かぶこともぼんやりしてきた。


扉を閉める音に気が付いて、目が覚めた。

どの位、うたたねしていたのだろうか。
寝ころび湯には私一人になっていた。

遠くから、お囃子の太鼓らしい音が途切れ途切れに聞こえてくる。
お祭りでもあるのだろうか。

しばらくぼーっとしていたが、さすがにちょっと涼しくなってきたので、屋内の湯船に浸かろうと、
中に入った。

湯船には小柄な方のおばあちゃんが浸かっていた。

「太鼓の音が聞こえてきたのですが、お祭りがあるんですか?」

と聞いてみると、

「今月の終わりに秋祭りがあるからね、練習しているんだよ」

と言う。

そういえば、昨日、公民館に「太鼓の練習日」と書かれたポスターが貼られていたっけな。
と思い出した。

「この辺りのお散歩マップを貰ったので、それを見ながら散歩しようかと思っていて…。
地図にある神社のお祭りなんですか?」

「そう、愛宕さんのお祭り。ちょっと面白いお祭りでね、
その年に取れた新米を沢山食べさせるご神事があるの。前にテレビでも映ったことあってね」

「へえ! 有名なお祭りなんですね!」

「有名かどうか知らないんだけど、ずいぶん昔からあるご神事らしくてね。タレントの…
なんだっけ、若い女の子と身体の大きい男の人…ドラマに出ているのを見たことあるんだけど…
その人達が来てたわ」

そうちょっと誇らしそうに言いながら、おばあちゃんは「じゃあ、お先に」といって上がっていった。

わたしは再び、寝ころび湯でぼんやり空を見たり、屋内の湯に入ったりして、十分に花の湯を堪能した後、
風呂から上がった。


そういえば、受付のところにお惣菜とかあったな。

思い出して、受付のプレハブに入った。

テレビを見ていた受付のおばあちゃんが、私の顔を見て、「お湯はどうだった?」と聞いてきた。

「気持ち良かったです。寝ころぶ湯船、最高ですね」

と言うと、「そうでしょ?亡くなったおじいちゃんが、あれを作りたいと言ってね…」と嬉しそうに言う。

「お風呂にあったお花はなんですか?」

寝ころび湯の片隅にあったプランターの花を思い出して尋ねると、

「ああ、これでしょ?」

と傍らの水差しの花を指した。

「ああ、それです」

特徴的なドット柄の花を見ながら言うと、

「ホトトギスっていうのよ。鳥の名前と同じなんだけど。
ホトトギスの鳥の模様に似ているから名付けられたって聞いたわ」

さすが、花の湯。おばあちゃんは花に詳しい。

並んだ総菜のパックを見ていると、

「こんな田舎なんで、大したものは作ってないんだけど…、
でもそれは、この辺りで採れる青菜ときのこと豆腐の和えたもので、美味しいよ」

と言う。

夕食は宿で予約してしまったが、美味しそうなので、明日の朝食用にしようと、
その和え物を一パック、そして、煮卵が2つ入ったパックもあったのでそれも一緒に買った。

お惣菜の他に、手作りの小さな布袋が数個、値札とともに置かれている。
どの袋にも、小さな花の刺繍がワンポイントで施されている。
小物を入れるのにちょうど良い。

「これ、おばあちゃんが作られたんですか?」

と聞くと

「そうなの。花が好きだから、ちょこっと刺繍入れてね」

と恥ずかしそうに答える。

臙脂色の生地の袋の、白い清楚な花の刺繍が目に留まった。

「この花はなんですか?」

と聞くと、おばあちゃんは近寄ってきて、
「ああ、それはシュウメイギク。もうすぐ咲き始めるのよ。そこの道の脇にも咲くの」
と窓の外を指した。

シュウメイギク。綺麗な名だな。

そのシュウメイギクの刺繍の袋を選んだ。

「ありがとうね。またどうぞ」

おばあちゃんの声に送られながら、花の湯を後にした。

空はすっかり晴れて、夕方の日差しになっていた。
強かった風も穏やかになっている。

ふと道の脇を見ると、すっと伸びた細い花茎の先に白い丸いつぼみが風にそよいているのに気づいた。
近づいて見ると、つぼみに混じって、刺繍と同じ白い花が2つほど咲いている。
これがシュウメイギクなんだ。
花の湯で、花の名も勉強しちゃったな。

気づくと、午前中までの体のだるさは、かなり治まっていた。

宿に一度戻るか、少しこの辺りを散策するか、思案しながら地図を取り出した。

(つづく)

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