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夢うつつ湯治日記 5

10月某日 初めての湯治

【三日目(1)】 雨の午前中と、花の湯


温泉に何度も入るせいか、身体は怠いが、気持ちはゆったりして心地よい。
夜も熟睡できる。

今朝は雨音で目が覚めた。
やや強い雨で、風もある。
風に騒ぐ山の木々の音に、寂寥感を感じる。
やはり、ここは山の中なのだ。

こんな天候では公民館前の朝市はないだろうな。

かと言ってやはり体が気怠くて朝風呂に行く気にもなれず、布団から出ずにもうひと寝入りすることにした。

再び目覚めたのは、朝10時近かった。
こんなに朝ゆっくり眠るのも久々だ。

窓の外のどんよりした空を見て、今日は何しようか…と思いながら、布団から抜け出し、
冷蔵庫の牛乳を少しマグカップに入れて飲む。


着替えて、保温ポットと昨夜握ったおにぎりを持って炊事室に向かった。
雨あしは強く、傘を持っていないので、慌てて母屋に入った。

炊事室は誰もおらず、しんとしていた。
電子レンジでおにぎりを温め、その間にお湯をポットに入れ、部屋に戻った。

朝食は、昨夜のおにぎりと柿といちじく。そしてコーヒー。
変な組み合わせだが、新米に紫蘇の実、柿、いちじくと、まさに秋の恵みを感じられて、悪くない。

食後にもう一杯コーヒーを入れる。
昨日朝市で「新生姜の砂糖漬け」も買ったのを思い出し、それをかじってみる。
新生姜なので風味も柔らかで、案外コーヒーにも合う。

コーヒーを飲みながら、昨夜、夕飯の時に小耳にはさんだ「三地蔵」の謂れことを思い出し、
昨日の散歩の時に見た、三体の古い石仏を思い起こした。
お揃い手作りの赤い毛糸の帽子とちゃんちゃんこを着た三体のお地蔵さん。
そういえば、丸い石がお供えされていたなぁ。面白いなぁ。あれは何だろう。

温泉に湯あたりしたか、溜まっていた疲れがでたのか、身体がやはり怠くてしょうがない。

こんな時は無理をするなと、温泉めぐりの記事か何かで書いたあったな。
デトックス中ってヤツかな。

外も天候が悪いし、こういう時は部屋でゆっくりしろという、天の声だろう。

そう思って、再び布団に横になった。

スマホはなるだけ見ない…そう決めていたが、ちょっとメールやSNSを確認する。
幸い、特に急ぎの内容もない。

スマホをしまい、本を読むことにした。

昼過ぎ、昼食に、残っている食パンに、昨日昼の残りを挟んで食べる。
茄子とピーマンにトマト炒めの味は、一晩冷蔵庫で寝かせていたせいか、味がなじんで美味しい。
冷たくてもいけるなあと思いながら、牛乳を飲む。


2時を過ぎた頃、雨が上がった。
風はまだあるが、空が明るくなってきた。
もう雨も降らなさそうだ。


朝からゆっくりして、さすがに気怠いのも収まってきた。

散歩でもするかな。
昨日訊いた、寝ころび湯があるという共同風呂はどこか見てこようかな。


散歩マップも持ち、一応、風呂支度もして、部屋を出た。


「雨が上がったわね」


庭にいたセツさんが声をかけてきた。


そうだ、今夜の夕食も予約しよう。

「昨夜のきのこ汁、美味しかったです。今夜の食事も予約したいのですが」

そう聞くと、セツさんは

「大丈夫よ、でも今夜も、昨日の食事とほとんど変わらないけれど、良いかしら」


そう言いながら母屋に向かった。私もその後を付いていき、昨日と同じように夕食の予約をする時に、
「寝ころび湯」がある共同風呂の場所を、散歩マップを見せながら訊いた。

「ああ、はなの湯ね、そこの道をちょっと下った方にあるよ。…ええと、この辺りかねぇ…ああ、これこれ」

指さした場所には「共同風呂 花の湯」と書かれていた。

「うっかり熟睡しないようにね」

笑いながら言うセツさんの声に手を振り、宿の前の道を下っていった。


まだやや強い湿った風は、金木犀の香りや他の木々の香りを乗せている。
満開のコスモスが風にしなる。


古い家屋がぽつぽつと並ぶ道。
その前を歩く度の、そこの家の犬が吠えたり、繋がれた紐いっぱいに走り回ったり、にぎやかだ。

地図が風に飛ばされないように難儀しながら、歩いていくと、小さな立て看板に
「花の湯 こちら」という文字と矢印を見つけた。

意外と新しい雰囲気の入り口を持つ建物は、玄関前に花壇があり、コスモスが揺れている。
まだプランターに夏の名残のニチニチソウや、今が季節のケイトウの赤や黄色が鮮やかだ。
咲き始めたサザンカの花の木もある。
「花の湯」の名の通り、慎ましくも季節の花に彩られている。

建物の隣には、小さなプレハブの家があり、「受付こちら」の張り紙がある。

サッシの戸を開けると、椅子に座ったおばあちゃんがテレビを見ながら「いらっしゃい」と答えた。

古びたテーブルの上に、箱に入った野菜や、漬物の入った袋、手作りの総菜の入ったパックなどが
数個ずつ置かれていた。

入浴料を払い、風呂のある建物に入った。

(つづく)

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