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#002 自己紹介のつづき

おはようございます。ぐっすり寝ました。2日目です。

本日、朝からさっそく良かったこと。

ハナの白内障手術がおととい終わりました。術後2日目になり、食欲も出てご飯を食べられるようになりました。散歩にも行けるようになりました。でもまだ、歩いて300メートルぐらい。おしっこをするとどっと疲れるみたいですぐ道端で座ってしまうので、そこから先は僕が抱きかかえて帰ります。トイレってすごいエネルギー消費をする行為なんですね。僕らはいつも当たり前にしているけど。

さらに超余談が続いてすいませんが、、僕は極度の朝型です。朝5時半に起床して歯を磨いて、コップ2杯の水を飲んで、ハナの散歩をして、一杯のコーヒーと激甘なお菓子を食べて6時半には仕事を始めます。体質なのでしょうが、僕は昔から朝起きてから1時間後から生産性が高くなり、昼2時頃までにピークアウトして、3時半にはもう眠くなって仕事をしたくなくなります。遅くとも5時半には仕事を締めてまたハナの散歩に行きます。

あっ、本題に入る前に既に400字以上を費やしてしまった。。こんなんでいいんですよね。「呼吸のように」ですからね(自己承認)

昨日の自己紹介は、直近7年間は、楽天、ジンズ、KDDIで働き、会社の看板があるようで無いような、社長からのハイディマンディングな命を受けて特殊部隊の傭兵みたいなキャリアを歩んできた。その中で、本部スタッフ、店舗スタッフ、エンジニア、デザイナー、取締役、投資家、研究者、米国、フィリピン、台湾のパートナーなど、幅広い人たちと関わりながら事業のマネジメントをしてきた。そんな内容でした(ちょっと情報を加えたけど)

ご参考まで、直近についてプロの方がまとめてくれた記事です。

さてやっと本題です。この怒涛の7年間に突入する前の1年半の経験は、僕の人生にとって1つのターニングポイントで「経営」「多様性」「起業家精神(アントレプレナーシップ)」といったスパイスを僕のキャリアに与えてくれました。タイトなスーツとフチなしメガネで早口に話す、いけ好かない感じの当時32歳の青年に、世界で見たときのお前のちっぽけさ、視座の低さ、万国共通で心でフェアに対話することの大切さ、そんなことをガツンと気づかせてくれた経験でした。

で、その1年半について触れる前に。

僕の軸足となっている専門性は、ITと財務です。2003年に新卒で日本総合研究所という会社に入社しました。固い名前ですね、緑色の銀行が傘下にあるグループのコンサル会社で、システムエンジニアを2年半・コンサルティング営業を1年半していました。僕は今でこそコードは書きませんが、当時は、Cobol、Java、C++といったプログラミング言語や、SQLといった操作言語を使っていました(これも長くなるので本日は割愛)

そして2007年。「でもな、周りはエンジニアとして優秀な人たちはたくさんいるし。よし、もう1つの専門性を身に着けよう。」と思い、金融業界へ転職します。SMBC日興証券という会社の投資銀行部門でM&Aのアドバイザーになります。なぜ全く違う業界へ行こうと思ったかというと、学生時代にお世話になった玄田有史先生の言葉で「仕事はくる楽しい(苦楽しい)」というものがありまして。要するに「若いうちは、苦しいけど楽しいと思える仕事を率先してやりなさい。そして挫折をたくさんしなさい。」と。

玄田さんは、多くの労働観を僕に刷り込んでくれた恩師です。僕が学生時代に作ったサークルも先生からアドバイスをたくさんいただきました。だからこの時も、とても感覚的でしたが「もっと苦しみたい」というスリルを求めるマゾっけたっぷりな単純な動機が第一にあったと思います。さらに僕らは結婚を控えていましたから、お給料を上げたいという至って現実的な動機も。

一方で、こういった個人の興味が起点となった動機とは別に、これについてはどこかでかなりの文字数を割いてそして勇気を振り絞って触れますが僕には重度の精神疾患がある父がいまして。父は色々あって定年前に仕事を辞めざるを得なかったので、ひとりっ子である僕は、その状況を経済面で打開しないといけないという義務感と焦りのようなものがありました。あと、今ではそんなことは全く思わないけど、そんな父の息子であることが、コンプレックスだったり恐かったこともあり「僕は父とは違うんだ。独立した存在になるのだ。」という、どろりとした動機が、父の病気を自覚した思春期からずっと心の奥底にありました。

そして、なぜ証券会社なのかと言えばこれは単純でして。結婚前の奥さんから言われた「あなたは、銀行員には絶対向いていない。証券マンにはぴったりだと思う。」という一言です。僕の奥さんは当時、日本政策投資銀行というこれまたお固めの会社でエコノミストとして勤めておりまして、僕のことを学生時代から深く知っていて、分析に長けた彼女が言うのなら正しかろうと。みずほコーポレート銀行、みずほ銀行、住友信託銀行からの内定をいただきましたが辞退いたしました。当時の世間体としての模範解答は銀行を選ぶことが正しかったのでしょうが、今思えばこの意思決定は正しかったです(この話もまた長くなるのでどこかで触れられれば)

そんな訳でもう奥様には足を向けて寝られませんね、捨てられないようにしないと。

さて、こうやって振り返って思うのですが、僕の職業人生における大事な意思決定は、自分ではなく身近な人の言葉と推しで決められているんですね。なんとまぁ自我が無いことか。僕は、幸せなことに、38歳になった時にやっと自分の人生をかけて社会のためにやるべきこと―carewillと言う事業、を見つけることができました。でも、それまでの15年間は尊敬する人と大切な人の言葉をそのまま鵜呑みにして、あとは、労働市場のその時代時代のニーズに合わせて職種を変化(へんげ)させてきたという、至って他力でマーケットインなキャリアを歩んできました。

••しまった、また中途半端なところであっという間に文字が大量に。これから、ハナの術後診察に行くので今日はここまでにします。では、みなさん、よい1日を!

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