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弟一家の年始の挨拶

今年のお正月はなにもやらない、と母は早いうちから言っていたので、最近毎週末に来るようになった妹夫婦は、年末最後の土曜日に来て、正月2日には来ないからと言って帰っていったのだったが、弟の嫁さんが、「どうしてもご挨拶にうかがいたい」とメールに書いてきたので、ことわれなくなった、と母は憂鬱そうに言った。

それで、正月は元日の朝に雑煮を食べておしまいにするつもりだったのが、最低でもなにかを準備しておかなくてはならなくなった、と母はひどく不機嫌であった。

それでなくても、明らかに最近の母は疲れており、普段の食事のしたくさえ手を抜くようになっていたので、正月料理などもってのほか、という感じだった。

夕食はもう5年来相当な手抜きだったのだが、11月にはとうとうカップ麺まで登場するようになった。

ただ、毎回(といっても2回だが)オリジナルのカップヌードルに限られているので、どうして蕎麦やうどんにしないのか、と聞くと、食べたことがないから、という答えが返ってきた。

それがきっかけになり、赤いきつねと緑のたぬきが登場したのが12月中旬で、「大晦日の年越し蕎麦はこれにしましょう」と緑のたぬきを食べながら母は宣言した。

わたしは、独り暮らしの大学生かよ、と思いながら黙って聞いていたが、実際には年越し蕎麦は普通の茹で麺だったのでほっとした。だが、なぜか母は不機嫌で、食べ終わるとひとりでビールを飲み、しばらくTVを観ていたが、そのうち立ちあがってぷいっといなくなったかと思うと、来年のカレンダーをもってきて、古いカレンダーをはずし始めた。

どうしてなのか、わたしにはまったくわからなかったが、母は今年から、カレンダーは大晦日にはずし、元旦に新年のカレンダーをかけることにする、と宣言していたのである。それを実行し始めたというわけだ。

わたしも、二階の仕事場兼寝室にカレンダーを持って上がり、古いカレンダーをはずして、その勢いで新しいカレンダーをかけてしまった。母の言ったことなんてすっかりわすれていたのである。そもそもそんな作法は今までいちどだってなかったのだ。

古いカレンダーと、新しいカレンダーのビニール袋を持って台所に降りて行くと、それを見た母は、咎めるように「まさか新しいカレンダーかけちゃったの?」と言った。

「あっ!」と叫んで、わたしはあわてて二階に駆け上がり、新しいカレンダーをはずして机の上に置いたが、もう後の祭りであった。せめて、かけてないと母に言えばよかったのだが、とっさのことであり、しかも完全に忘れていて虚をつかれたために誤魔化すことができなかった。知らん顔してあとでそっとはずしておけばよかったのに。

それで母はますます機嫌が悪くなったようで、大晦日だというのに、なにもいわずにさっさと寝てしまった。ビールの酔いが回ったせいもあったろう。

さて、年が明けて元日には、弟夫婦から来た家族写真入りの年賀状をみて、「サヨコさんたら、何考えているんだろう」と面白くなさそうに言う。

何かと思ってみると、サインペンで写真の下に、

コロナにきをつけてください
またあいたいです

と書いてあった。字が拙いし、大人が「気」をひらがなで書くとは思えないので、たぶんそれは5歳の長女が書いたのだろう。そう考えれば、微笑ましい文章である。

だが、たしかに、嫁が姑にあてたメッセージだと考えると、まるで死ぬだろうといわんばかりの表現といえないこともない。普通の日本語を話す大人が目上の人に向けて書く文章でないことだけは確かである。

「サヨコさんが、気や会いたいをひらがなで書くはずないじゃない。これは上のお姉ちゃんが書いたんでしょ。字も下手だし」とフォローしたが、母はまるで信じられないようすで、憮然とした表情のまま「そうかしら」と言いながら、立ちあがってどこかへ行ってしまった。

(嫁と姑か)、とわたしは思いながら、年始の挨拶に来るというところがもうすでに戦闘開始の合図だったのであり、(この年賀状ももしかして)、などど妄想をたくましくしていると、確かにまんざらありそうもないことでもないという気になってきた。まあ、サヨコさんの性格を考えれば(というほど良く知っているわけではないが普段の言動から類推すれば)、およそありそうもない話で、妄想以外ではありえない。

結局、母は、憂鬱だ憂鬱だと言いながら、お赤飯とお煮しめを用意し、ほかにも伊達巻きや栗きんとんになぜか焼き豚を用意した。デザートはシフォンケーキとイチゴ。魚介類がどこにもないのは、母の魚嫌いのせいだろう。シャケもエビも甘露煮もなますも数の子も、カマボコすらなかったのは、なんかやり過ぎの気がする。わたしはどれも好きで、大昔おばあちゃんがおせち料理を作っていた頃は毎年楽しみだったのだが。

そして正月二日。昼過ぎに弟一家はやってきた。朝ご飯のおせちとお雑煮を食べてすぐ来たらしく、イチゴ以外のものにはほとんど手を付けなかった。それでも、ほぼ2時間、5歳と3歳の孫娘と戯れて、終始母は楽しそうであり、結果的にはよかったのかもしれなかった。

ただ、翌3日は朝寝坊し、夜もひどく疲れたと言って5時過ぎにさっさと寝床に入ってしまった。風邪をひいたようだ。無理が祟ったのだろうか?

わたしはついに自分で夕食を作るはめになってしまったのであった。

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母が住む実家で週末ごとに過ごす日々。 母との大切な時間を綴る。