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初めての転職を決断した理由は若気の至りだったのか?(店長補佐/サブリーダーとしての後半)

転職エージェントがお届けする。自分が転職する前の物語の6話目に入ってきた。自分と向き合う時間は意外にエネルギーを消費するものだと痛感しつつ・・・前回の投稿が10月後半だったので約1ヶ月空いている感じになる。その間でも見て頂いた方のお声も頂いており、久しぶりに続編を投稿させて頂こうと思った。

今回は店長補佐でもあるサブリーダーとなり異動をして布施店と梅田本店で勤務した時代の話をさせていただく。お店を店長と共に運営するという大事なポジションでありながら布施店においては店長と馬が合わなかった。というのも指導が細かいという事と褒めるというスタンスが無い方だったので、私のやる気が高ぶらないという悩みも抱えていた。

しかし、自分なりに何とかこの苦しい時期を無駄にしたくないと思い、良い所を探して学べるものは学ぼう。逆に店長として学びたくない事は自分が店長になった時には絶対にしないでおこうと反面教師として接していた事もあった。ただし、この時期は仕事が面白いというよりは毎日、無理やりやる気を出して出勤する日々だったので朝が憂鬱だったのは今でも覚えている。

そんな中、急に店長が退職をしたいという話になって布施店からいなくなった。それもいきなりの事で困惑をしたが別の店舗で普通の勤務をするという事で姿が無くなった。これは新卒1年目の事で、まさかの店長代行という役割を私が担う事になった。代行と言っても店長がいないので実質的には店長をいきなり経験する事になる。

その時の記憶は鮮明に覚えており、次の店長が決まるまで店舗を運営し続ける事が私のミッションとなった。そして、メンバーはもう1名も同期の新卒。そして、アルバイトの女性スタッフ。更に1名足らないので、同期の新卒が応援に入るというまさかの1年目の新卒が揃って店舗運営をする毎日がスタートした。

率直にその時の事を振り返ると最初に楽しかったよな・・・という話になる。普通はありえない事が起こったという事と、何とか協力すればお店が運営できるんだという経験を積む事が出来た。勿論、スキル面や経験値は未熟なんだけど必死でやればお店がまわるという現実を知れた事は大きな自信になった。そして、お店がまわっているんだから1年目で自分が店長に抜擢されるんじゃないかっていう淡い期待も抱き始めた。

ただ・・・そんな事は夢物語で実現する事は無かった。他の店長が異動をして新しい店長となった。でも、その店長とも私は合わなかった。今思えば、私が扱いにくいタイプだったのかもしれない。人に指図される事よりも自分で動きたいという想いが強いタイプだった。といっても、店長を補佐する仕事が私の役割になるので、この時も悩んだ。合わない上司とどうやったら上手くいくのか・・・

結果、糸口が見つかったのは、良い所を見つけてみようと考えた事だった。行動を見たり、発言を見たり、店長の良い所を必死で探していった。そしたら、すぐに見つかった。それは、必死で頑張っている後姿があった事。店頭に立ち、チラシを持ってお客様を呼び込もうとする。その後ろ姿に私の心は自然に動いた。

そうなるとこの店長を盛り上げたいという素直な気持ちになる事も出来て、店長を含めて店舗のみんなで飲み会も出来るような距離感にもなった。ここで学んだ事は、短所ばかり見るんじゃない。長所や魅力的な部分を自分で探して見つける事が大事という事だった。

その後、時が経過をして布施店から梅田本店に異動をする事になった。その店舗での店長が新卒時代に高槻店でお世話になった店長だったので運命の巡り合わせを感じたところもあった。大阪では最大級の規模の店舗で今は無くて寂しい気持ちもあるが大阪のお初天神の入り口の少し歩く左側に大きくお店を構えていた。

ここではマネジメントという部分もそうだが、大型店舗の楽しさも難しさも体感する事になった。とにかく社員数も20名程の大所帯となるので、人の管理が難しい。想いの統一をする中でも温度感の差がある。個性が強いのでなかなかまとまらない。そんな感じでとにかく濃い時間を過ごした。人の異動や入れ替わりもあったので色んな方々と仕事をしたという記憶がある。

そして、ある程度の経験を積んできたという自信と店長代行で店長の仕事を経験した事から内心、早く店長になりたい。という想いが強くなったのも今でも覚えている。ただし、店長になるには何か試験がある訳でもなく、色んな要素が絡まって抜擢をされるという流れだったので店長になる方法が見つからなかった。なれる人はなれるし、なれない人は一生なれない。そんな環境だったと思う。

そんな中、本社から管理職の方が臨店と言ってお店を見るというタイミングがあって店舗に入ってきた。その方は今でも覚えているけど、現場出身の方で偉そうにするタイプでもなく、実際にお客様との接客にも積極的に絡んで対応をしており私から見てもその姿勢が凄く良いなと思った方だった。

そのような姿勢に共感したのかもしれないが、1人1人との面談のタイミングの時に「入社してどうだ?」という質問に対して「店長になりたいという人が少ない印象です。」「このまま行けば会社が傾きますよ。」「だから、私を店長にして下さい。」という発言を思いきってしていた。

この発言がどうなって、どう転んで動いたのかは裏の部分は分からないけど、少し期間が過ぎて店長への打診が入った。勿論、喜んでお受けしますという気持ちで、店長になる事が決まった。店舗はエリアが変わる事になるけど京都エリアへの異動となった。その店舗が京都七条店。初めての京都での仕事でもあり、誰も知らないエリアに単身、若い店長が乗り込んでいくという格好になっていた。

少し長くなってしまったけど、店長補佐/サブリーダー編は完結となり、次回は店長時代を綴らせて頂く。まだまだ、長い物語になるけどお時間があればお付き合いいただければ嬉しいです。今回はここで終了。最後までお読みいただき、ありがとうございました。また、noteでお会いしましょう!

P.S 布施店の時代に新人賞受賞の話もあるんだけど、あまりにも長くなりすぎるので割愛をさせて頂いた。1つその時の私の性格をあらわすエピソードとして人事側から髪の毛を短く切って黒く染めないと新人賞はやらない。という補足も付いていた。(その時は茶髪で襟足も長めに残したスタイルだった。)

最初、私も尖っていたので新人賞はいらないと言っていたが、一生に一度のものだから貰っておいて損は無いよと新卒時代にお世話になった店長に言われた事がキッカケで、髪を切って黒く染めてから写真を撮って人事に送って正式にOKを貰えた。最初はいらないと思っていたけど、頂いて良かったと今は思っているよ。この時の助言には本当に感謝をしている。

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